公爵令嬢アヴィナ・フェニリード -7-
「ああ、今わかりました。私はアヴィナ様に出会うために生まれてきたのです……っ! お父様、お母様、産んでくださって本当にありがとうございます……っ!」
恍惚の表情。
お仕着せが汚れるのも構わず跪くと、メアリィは祈りの姿勢を取った。
「生まれて初めて本気で神に祈ります。神は本当にいらっしゃったのですね!」
「え、ええと」
いきなりの豹変に俺たちは取り残されたまま。
「……これは、本当にメアリィですか?」
思わず、というふうにエレナが呟くのもわかる。
俺は、ひとまずしゃがんで視線を合わせ、
「メアリィ? あの、大丈夫かしら?」
ようやく、彼女の黄色い瞳にまともな輝きが戻ってきた。
「大変失礼いたしました。ただちに入浴のご用意をいたします」
ただし、頬は紅潮しきったまま。
抑えようとしているものの呼吸も少し荒い様子で、
「~~~♪」
鼻歌と共にてきぱきと俺は浴槽へと案内された。
◇ ◇ ◇
「はぁぁ……っ」
柔らかな手が俺の素肌を滑るたび、吐息と声が漏れる。
今まで以上に壊れ物を扱うように──あるいは恋人にでもするようなメアリィの手つき。
「……私は、アヴィナ様の素晴らしさをまったくわかっておりませんでした」
懺悔するような声が浴室に反響して。
俺を見つめる、熱のこもった目つきに少しぞくっとしてしまう。
彼女の表情は『瑠璃宮』時代のリピーターにそっくりだ。
彼らの中には「妻と離縁するから私と一緒になってくれ」と本気で申し出てくる者もいた。
「男なんて、アヴィナ様に比べたらなんの価値があるのでしょう。……いいえ、ありません」
「メアリィ? 本当に、大丈夫ですか?」
「なによエレナ。私は大丈夫、むしろ絶好調よ?」
幸せいっぱいだからか、言い返す言葉にもあまり棘を感じない。
「あのね、メアリィ。昨日、メイド長の命令であなたに身辺調査があったのは知っているかしら」
身体も髪もすみずみまで綺麗になった俺は適温の澄んだ湯、花びらの浮かぶそれに浸かって。
「大商人や貴族家の使用人が出入りするような高級酒場をはしごして男性に声をかけていたそうだけれど」
「大変申し訳ありませんでした」
皆まで言う前に「もういたしません」ときっぱり言われた。
「気の迷いでした。……私は根本的に間違っていたのです」
「身の振り方を改めてくれる、ということ?」
「はい」
エレナや他のメイドのほうにも視線を向けて「ごめんなさい」。
「私はずっと思っていたの。早く結婚して幸せになりたいって」
学園卒業と同時に結婚する令嬢も少なくはない。
この国ではそう間違っていない考え方だが。
「公爵家にはもちろん忠誠を誓っているわ。でも、ここは私にとって通過点だった」
「だから、アヴィナ様を利用しようとしていたのですか?」
「そうよ。……でも、それは間違いだった」
両手が、俺の両肩にぴったりと触れて。
「アヴィナ様こそが私の運命の人なの。だから、結婚なんてしなくていいわ」
「メアリィ? 女同士では結ばれることはできないのよ?」
「もちろんです。どうかアヴィナ様、メアリィを一生お傍に置いてくださいませ……っ!!」
愛が重い!!
「……まあ、その、メアリィはもともと美に強い関心がありましたので」
事の顛末を聞いたメイド長もさすがに頬を何度かひくつかせて。
「侮っていたアヴィナ様を急に直視させられ、強烈な印象を受けたのでしょう」
「神に祈るほどでしたから、相当だったのでしょうね」
俺もあの光景を思い返しながらしみじみと同意する。
「我ながら、これは洗脳の域だわ」
手を当てた頬は柔らかくすべすべしている。
転生特典には美の保全も含まれているので、意図的に傷つけない限りそうそう劣化しない。
むしろ、年齢を考えればまだ全盛期ではないと考えるべきで。
「アヴィナ様が当家にお越しくださったこと、慎重な考えをお持ちであることはこれ以上ない奇跡です」
報告会に同席したエレナが真顔のままで断言した。
俺はヴェール越しに専属メイドの濃紺の瞳を見つめて。
「エレナ? あなたはわたしの顔、直視していないのよね?」
「私は正気です。……私自身の意思で、アヴィナ様を尊敬しております」
エレナは、そのまま俺の前に跪いた。
「これまでの無礼をお許しください。エレナはあらためてアヴィナ様に忠誠を誓います」
「あらためて、だなんて。どうして?」
「あなた様を侮っていたのは私も同じ。フェニリード家の血族でないアヴィナ様にお仕えすることは、私にとって『公爵家からの命令』でしかなかったからです」
「それは、悪いことではないと思うのだけれど」
「いいえ」
立ち上がるように促してもなお、彼女の表情に変わりはない。
どこか迷いが晴れたような、そんな雰囲気。
「私はフェニリード公爵家に忠誠を誓っております。
結婚などできなくても構わない。縁談を受けるにせよ、可能な限りメイドを続けられるようにと考えております」
「だから、養女のわたしは対象外だったのね?」
「はい。ですが、アヴィナ様は紛れもなく、公爵家に相応しいお方です」
メイド長はなにも言わない。
……こういうのが苦手だから顔を隠していたのもあるんだが。
「わたしはそう言われるほどのことをしていないでしょう?」
「いいえ、私は見ておりました。短い期間ではありますが、アヴィナ様はまさしく人の上に立つべきお方」
真向からそう言われると胸が切なくなるような、不思議なこそばゆさに襲われる。
「スラムでの民の救済。公平な立場からの評価。努力に裏打ちされた能力。……そしてなにより、メアリィに対する態度に心打たれました」
「そう、かしら。わたしとしては失敗なのだけれど」
「いいえ。理解しあう努力も、必要であれば武器を振るう覚悟も共に必要なことと存じます」
深く、頭を下げられた俺は。
「どうか、メアリィと共に私──エレナもお傍に置いてくださいませ」
「……わかったわ。これからも、どうぞよろしくね?」
努力を評価してもらえた嬉しさから泣きそうになりながら、エレナにそっと微笑みを返した。
◇ ◇ ◇
心を入れ替えたメアリィは嘘のように真面目になった。
調子に乗りやすい性格とお洒落好きは変わっていないのだが──。
「いい、メアリィ? 同僚なのだからエレナや他のメイドとも仲良くしなさい」
「はい、アヴィナ様」
俺の命令には真摯に従ってくれるのでありがたい。
エレナと打ち解けたおかげで「メアリィの裏の態度はどうかしら?」と尋ねることもできる。
「はい。とても話しやすくなりました。これならば連携も取りやすいかと」
「そう。それは良かったわ」
彼女のお洒落方面への関心や人当たりの良さ自体は紛れもない長所なのだ。
細々とした業務や厳かな場での対応が得意なエレナとは適材適所。
「メアリィが外向け、私を内向けの担当となさるのは確かに良い案かもしれません」
「……ふふっ。そうね」
ぴりぴりした空気がなくなったことでエレナも少し軽口を叩いてくれるようになった。
──こんな風に仲良くできたら、とずっと思っていた。
せっかく女子に転生したというのに、女子から敵意を向けられてばかりなんて辛すぎる。
これも姉たちに教育してもらったおかげなのか、それともメアリィたちが本質的に良い子だからか。
「ただ、その、アヴィナ様。メアリィは時折、アヴィナ様の脱がれた服のにおいを嗅いでいるようでして」
「においを」
「はい」
あれ以来、俺に心酔しているメアリィはなんというか同性愛と幼い子への愛を併発したような状態。
今のところ変な手の出し方はして来ないし、俺以外の幼女にも興味はないはずだが。
「……まあ、それくらいは大目に見てあげて。特に害もないのだし」
「アヴィナ様がそうおっしゃるなら構いませんが、その、下着を顔に近づけていたことも……」
変態か?
指摘するべきか。いやでも最低限現行犯であるべきでは。
数秒間頭を悩ませた俺は苦笑と共に、
「着衣に余計な汚れをつけた時はお説教します」
可愛い女の子が俺で興奮してるのって興奮するし。
……とは、もちろん言わなかったが。