『大聖女』アヴィナ -3-
「神殿内にもアヴィナ様のためのお部屋をご用意いたしました」
サファイアのような瞳の巫女──ラニスが俺を案内してくれる。
関係者用の奥まった場所はこれがほぼ初めてだ。
与えられた俺の部屋は確かにそう広くない。
安いビジネスホテルのように最低限の物が詰まった感じ。
つまり、庶民には十分な空間だ。
「着替えの機会もあるでしょうし、部屋があると助かります」
「着替え……聖女の衣を纏っていただけるのですか?」
神官長といいラニスといいそこに拘るなあ。
「神に似せた姿と言うのであればこれで十分だと思うのですけれど」
「アヴィナ様ご自身のお姿としては、私は構わないと思いますが」
自分たちが着るのはちょっと……と目が訴えている。
前に、俺は「一緒に露出しよう(意訳)」と彼女に言った。
あの時のことが未だに気になっているらしい。
「公爵家のご令嬢としても問題があるのでは?」
水を向けられたエレナはポーカーフェイスを崩さないまま、
「公爵様より、アヴィナ様には服装に関して最大限の自由を──と仰せつかっております」
養子縁組の契約を結ぶ前にその点については確認済みだ。
『君は最低限の良識を備えているだろう?』
そりゃあ、通報されるような格好を往来でしない程度には。
『それに、今の常識は神殿が作ったものだ』
『女は肌を晒すべきではない……という、貴族の慣習も、ですか?』
『神ではない我々の姿は隠すべきだと昔から唱えられてきたからね』
神話が慣習を作り、慣習が常識に変わった。
『だが、君が神殿を変えるというならそれは新しい常識になる。違うかい?』
『公爵さまは、わたしにそれをお望みなのですか?』
『私はね、国を安定させるには新しい風が必要、と考えているんだ』
「ラニスはどうして、肌を晒すのが嫌なのかしら?」
「それは、それが神殿の教えだからです」
「聖典には書かれていない、拡大解釈でしょう?」
「聖典をお読みになられたのですか?」
ラニスの目が歓喜と驚きに染まる。
「セレスティナ様も完全に目を通してはいないはずですのに」
「わたしも同じよ。ただ、語っていただく機会が何度もあったから」
具体的に言うと前の家──『瑠璃宮』に神官が拝みに来た時だ。
彼らに俺の格好には初心な反応を示すだけでごくごく真っ当に神の話をしてくれた。
加えて姉たちの中にも知識として知っている者はいて、
「正確な記述は『神の完全な美しさは衣で隠す必要がない』でしょう?」
「それはつまり、不完全な我々は衣で隠すべき、ということではありませんか」
「神に近い女ほど薄い衣を纏うべき、とも言えるわ」
そして、目の前にいる巫女は顔立ちも整っているし、神を思わせる青い目の持ち主。
「わたしはね、もしいま二人目の聖女を選ぶならラニスだと思っているの」
俺の倍以上の歳の巫女は感動と羞恥に打ち震えながら、
「今この場でなければ、神託を授けられたも同然と感謝いたしましたのに……!」
「試しに裸になってみましょう、ね?」
「やはりそういうお話なのですね……!?」
「アヴィナ様、恐れながら強要は避けるべきかと」
「あら、ラニスはそんなに嫌なの?」
瞳を覗き込んで尋ねると「嫌と申しますか」と曖昧な返答。
「恥ずかしいではありませんか」
「なにも大勢の前で、とは言っていないわ。わたしとエレナだけのこの場ならいいでしょう?」
「そうですね。神殿の方は複数人での入浴も多いと聞きます」
エレナが補足してくれるが……意外と俺の味方というか、ノリが良いのか?
助けてくれそうな相手にはしごを外されたラニスは「うう」と涙目になって。
ならばここはもう一押し。
「もちろんわたしも一緒に脱ぐわ。それならいいでしょう?」
「そ、それは」
敬虔な巫女の中で「神に最も近い全裸を間近で見る」と「裸になる」が天秤にかけられて。
前者に傾く光景が、不思議とはっきり脳裏に浮かんだ。
「……かしこまりました。今、この場であれば」
一糸まとわぬラニスの身体は、少なくとも「良い人がいないなんてもったいない」と思うくらいには美しかった。
◇ ◇ ◇
「随分時間がかかっていると思えば、そのようなことをなさっていたのですか」
「ごめんなさい。でも、十分な収穫もあったのよ?」
ところ変わって神官長の仕事部屋。
事務仕事の手を止めないままため息をつく中年のおっちゃんに俺は微笑んで返す。
建前上、大聖女は神殿のトップなので俺はタメ口で神官長が敬語だ。
「ねえ、ラニス?」
白い衣を纏い直した巫女は未だほんのり頬を染めたまま、
「信じがたいことではありますが、確かに奇跡の効力が向上いたしました」
「本当か?」
美人が脱いだ話に動じなかった男が羽ペンを止めた。
「肌を晒すだけで効率化が可能ならば一考の価値がある」
「神官長様はご自分が対象外なので平静なのだと思いますが……神に誓って嘘は申しておりません」
全裸になったラニスが神に祈ったところ、大きな光が溢れたのは俺もエレナも見ている。
「アヴィナ様のお身体に感動した影響──という可能性は否定できませんが」
「心持ち次第で効力が変わるのならば、神に姿を近づける意味はあるということね」
「神の姿を真似ることは望ましい、と、全員の意識改革は必要になりますが」
言いつつも、神官長はわりと本気で検討している様子。
財政改革のために上司と喧嘩していたくらい真面目な彼だ、成果が挙がるなら破廉恥でもやる。
「近いうちにより大人数での検証を行うべきでしょう」
「他の巫女も巻き込んで行うと仰るのですか!?」
「ふむ。アヴィナ様、神官でも同様の結果が出ると思われますか?」
「男と女では身体のつくりから異なりますのでそれはわかりません」
「人数を増やす方向に進めないでくださいませ!」
穏やかで心根の優しい巫女がガチで訴えてきている。
いや、完全に俺のせいだが。
「しかし、ラニス。神殿の立て直しは急務なのだ」
「神官長の想いはある程度理解しているつもりだけれど、随分と必死なのね?」
大聖女就任以来、俺が神殿を訪れるのはこれが初めて。
聖女であるセレスティナもだいたい月一らしいし、公爵家への移動で忙しかったのも事実だが──上層部との情報共有が足りていない。
「今更だけれど、治療報酬を厳格化することでどの程度の差が出るのかしら?」
俺は首を傾げて彼に尋ねた。
「巫女と神官を総動員したとしても、無報酬が多少交じる程度では気にならないんじゃない?」
「アヴィナ様。聖職者の数を『この神殿のみ』で考えていらっしゃるのでは?」
神官長が立ち上がり、片腕を広げた。
「国内全てで考えれば、聖職者数は十倍以上になります」
「……そうね。主要な街はもちろん、小さい町や村にも神殿が置かれているもの」
「末端に至るほど『無報酬での人助け』に鈍感です。大神官様の教えに感銘を受けた者が各地に広がり、また下の者に教えを授けてきた結果です」
上司の目が光りまくっているここは規律がしっかりしているほうってことか。
「他の神殿はそれで経営できているの?」
「小神殿や中神殿を統括し、運営指示を出すのが都の大神殿です。
各地の神殿は資金が足りなければ追加要請を送ってきます」
「……よくわかりました」
目の前のおっちゃんが沈痛な表情を浮かべている理由も。
現場の者からしたら「金がないなら治せません」と言うのは心苦しい。
だが、その一方で「足りないからお金を増やしてください」と言われたら上としてはイラっとする。
「加えて、貴族からの寄進も一昔前に比べ減少しております。……だからこそ、フェニリード家やアーバーグ家の支援が重要なのですが」
「寄進が減った理由はなにかあるのかしら?」
尋ねると、神官長はなぜか少し言いづらそうにした。
「……軍拡派の台頭。貴族内における勢力図の変化が原因と言わざるを得ませんな」