男爵家の養女 アヴィナ -1-
「お世話になりました」
お姉さま方には一人一人挨拶をしてまわり、今までのお礼の品を手渡した。
「……これは?」
「おかみさんが今までのお給金をくださったので、そのお金で買いました」
それぞれの好みの色の布地。
大したサイズじゃないが、ハンカチとかシュシュくらいなら仕立てられる。
加工前のほうが用途の融通がきくのでそうすることにした。
というか、おかみさんもわりと律儀だ。
言いつけられた仕事なんてお手伝いの範疇で、俺の食費のほうが高かっただろうに。
なら、その金は娼館に還元したほうがいい。
先方の家からは老執事が俺を迎えにやってきた。
迎えは午前中だったので、お姉様方は寝ている時間。
すれ違った店の従業員──下働きや用心棒はなぜかみんなして「元気でね」とか「達者でな」とか声をかけてくれた。
状況が変わると人の態度も変わる。
当然だが、不思議なものである。
見送りに来たのはおかみさん一人だった。
「あんたの服はくれてやるから好きに使いな。もっとも、必要ないかもしれないけどね」
「ありがとうございます」
客前に出る時に着ていた一張羅を今日というハレの日の服にした。
世話になったおかみさんに頭を下げて、老執事とともに娼館を後にする。
実に数年ぶりの外だった。
「表通りに馬車を待たせております」
娼館のある歓楽街は昼間なのでひっそり静まりかえっていた。
老執事は道の一方──道幅がだんだん広くなっているほうに向かって歩き出した。
彼はゆっくり歩いてくれたが、歩幅が違いすぎてついていくのは少し苦労した。
次第に景色が移り変わって。
歩くほどに建物が立派になり、一件一件の間隔が広くなっていく。
娼館、あるいはそれに類するものには違いないのだろうが、最終的にはお屋敷と言っていいレベルの建物に。
「都の歓楽街は南門近くから西門近くまでを繋ぐように伸びております」
「都……ここって都だったんですか?」
「表通りに出れば、角度によっては城が見えるようになるかと」
言われた通り、馬車の待つあたりまで来ると、建物の間からかすかに高い尖塔が見えた。
「都の貴族街には国中の貴族が家を持っております。その一つ、男爵様の別邸にご案内いたします」
そう、俺を買ったのは男爵位を持つこの国の貴族だった。
◇ ◇ ◇
貴族階級は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五つに分かれている。
男爵位は一番下ということになるが、平民から見ればその男爵でさえ「逆らってはいけない存在」。
スラムの浮浪児から見たら別世界の人間だ。
可愛いは出世の役に立つらしい。
まあ、人買いに捕まって娼館に売られて、その娼館からまた売られて──あまり人扱いはされていないが。
「こちらが、あなた様のこれから生活する男爵家別邸でございます」
「わ……っ、大きいですね?」
馬車を何台も停められるような広い庭のある屋敷。
前世の感覚から言うと紛れもなく豪邸である。
馬車が停まると、先に降りた執事にエスコートされた。
大人の手に捕まった程度では身長が足りず、結局「えいっ」と飛び降りて。
「ようこそ、可愛いお嬢さん。いや、これからは我が娘と呼ばせてもらおうか」
中年の男爵は、以前娼館で見たことがあるような気がした。
「わたしを引き取ってくださりありがとうございます、男爵さま。どうぞよろしくお願いいたします」
引き合わされたのは他に男爵夫人と、歳の離れた姉二人。
「まあ、本当に綺麗な子」
「よろしくね? あなたに名前はあるのかしら?」
「どうぞ、相応しい名前を付けていただければ」
実の母につけられた名前は覚えていない。あったかどうかもわからない。
娼館で便宜的につけられた名前はあったが、無理に引き継ぐ必要もない。
「では、アヴィナとしよう。これからは私を父と呼びなさい」
「かしこまりました、お義父さま。アヴィナをよろしくお願いいたします」
男爵の養子になると、今まで以上に生活の質は良くなった。
一人部屋。しっかりしたベッド。おなかいっぱいになるまで三食食べられる。
湯あみではなく風呂に毎日入れる。
世話係としてメイドが一人付けられたので、着替えも入浴も手伝ってもらえる。
男爵家に来てからは自分で髪を梳くこともなくなった。
朝に起きて暗くなったら眠る、健康的な生活。
さすが貴族、優雅な暮らしをしている。
「あの、ところで。こちらでのわたしの役目はなんでしょうか?」
メイドに尋ねると、彼女は「敬語はお止めください」と言ってきた。
「お嬢様は既に男爵家のご令嬢です。下々の者には相応の対応をお願いします」
「……わかったわ。それで、わたしがなにをすればいいか、あなたは聞いているかしら?」
「はい。こちらでの生活に慣れ次第、貴族としてのお勉強を始めていただきます」
主に言葉遣いと礼儀作法。
娼館では貴族を相手にすることもあるため、今まで教わったことを延長した先にそれはある。
というか、
「娼婦も令嬢もそれほど違いはないのかしら」
「なにか仰いましたか?」
「いいえ、なんでもないわ」
歴史や地理、計算がないあたり俺に仕事をさせる気はない。
将来、美人に育ったところで他家に縁付かせたいのだろう。
ここでも俺は商品なのだ。
──ああ、それで構わない。
貴族になれば目立つチャンスが増える。
えっちなファッションを宣伝しやすくなる。
娼婦はえっちな衣装を着られるが、客以外の目に触れにくい。
真似してもらうには多くの人から注目されなければ。
◇ ◇ ◇
意気込んだ俺だが、以前とは別の問題もあった。
それは、服が全然えっちじゃないこと!
男爵は俺用のドレスを何着も用意してくれていた。
「こんなにあるのね……!?」
驚いた俺にメイドが「仕立て屋の元締めが当家の生業ですので」と答える。
「お嬢様にもお洒落をしていただきたいとの旦那様のご意向です」
「わたしにもそんなに良くしてくれるなんて」
とてもありがたい。
ありがたいが、ドレスはどれもフリルのついた子供向けのデザイン。
下着も実用性重視で布面積多めのものだった。
「ねえ? もっとえっ──活動的な服は着られないかしら?」
「ええと、その、難しいと思います。肌はなるべく晒さないのものですので」
「あら、それはどうして?」
「神ではない我々の身体は服で装飾すべきと、神殿が古くから謳っております」
メイドに尋ねた結果はこうだ。
宗教的価値観もあるのか。
確かに、義母や義姉の服も布たっぷりで上品なイメージ。
夫以外にアピールする必要ないんだから前世的にも納得だが。
違うんだよ! 俺は肌を出したいんだ!
ふりふりのドレスが悪いとは言わない、お子様ぱんつにぐっとくる紳士もいるだろう。
だが、エロの基本は露出だ!
肩だしへそ出しミニスカ生足、そういうのが欲しい。
残念ながら都での流行は露出ファッションではないのか。
「そうだ。じゃあ、都でどんな服が流行っているか教えてくれないかしら?」
「はい。もちろん、私の知っている範囲でよろしければ」
お洒落好きなお子様と思われたのか、メイドは快く教えてくれた。
女子の服装は基本的に平民ならワンピース、貴族ならドレス。
「夏場は半袖も好まれますが、それ以外だと袖もスカートも長いものが多いですね」
露出を気にしない、あるいは好むのは娼婦か冒険者くらいのものだとか。
「これは、まずいわ」
言われた勉強だけしていては十代で結婚して家庭に引っ込むことになる!
そうしたらますます地味な格好しかできなくなってしまう。
──冒険者にでもなれればいいんだが。
女冒険者は女騎士と双璧を成すファンタジーのエロ職業だ。
家出でもしてみるか? いや、今家を出たら浮浪児に逆戻りだ。
大きくなって最低限の生活能力が身に着くまでは少なくとも動けない。
買われた以上、ただ逃げ出したらばちが当たるし。
人生、どこでチャンスが来るかわからない。
せめて今から身体を鍛えておこう。
急に腕立てとか始めたら怪しまれるのでまずは散歩から。
というか、食事量が多いので動かないとたぶん太る。
食える時に食えるだけ食わないのは育ち的に我慢できないし。
そうして、俺は勤勉かつ従順な幼女を演じつつ自己鍛錬を試みた。
男爵家に引き取られてから、あっという間に二年ほどの月日が流れて。
「ねえ、アヴィナ? 人のものを取っちゃいけないって教わらなかった?」
「子供のくせにお姉様の婚約者を誘惑するなんて、なんて子なの!?」
成長した俺の容姿が姉との関係に亀裂を作った。
って、またこういうのかよ!?