身請け希望者 アヴィナ
ここで、公爵家との身請け交渉について回想しておきたい。
フェニリード家は身請け先の最有力候補だった。
訪問順ではアーバーグ侯爵家が先だが、あの時は破談を前提とした交渉。
神殿に認められるための後ろ盾を探し始めてからはここを最もあてにしていた。
一番の理由は家格。
侯爵家より上の公爵家であればセレスティナの上に立つに相応しい。
他の理由としては服飾に関わりのある家だとか、家の評判だとかいろいろだ。
交渉には『瑠璃宮』の女主人とヴィオレ、ロザリーが同行した。
馬車を降りた俺は多くの使用人に迎えられ、あっという間にうさぎに囲まれた。
みゅみゅみゅ?
俺の知っているうさぎは鳴かないので前世のうさぎとはいろいろ違うんだろうが。
もこもこふわふわで可愛いのは間違いない。
撫でろ、抱いて、とばかりに縋ってくるので困っていると、
「珍しいこともあるものですね。この子たちがお客様にここまで懐くとは」
メイド長だという年かさの女性が驚いたように呟いた。
「あなたたち、それではお客様が身動きできませんよ」
みゅみゅ!
まるで返事をするように鳴いて道を開けてくれるうさぎたち。
……やばい、めちゃくちゃ可愛い。
前世から小動物は大好きだ。
男だって可愛いものは可愛いと思うもの。
まあ、甘噛みで済まないような動物は苦手だが。
女子になってからは可愛いもの好きに拍車がかかっている。
娼姫の中には猫を飼っている者もいて、時々抱かせてもらっているのだが……可愛いものを愛でているとこう、俺のほうが鳴き声を上げたくなる。
気を抜くと緩む口元を必死に整えて。
特に人懐っこい一羽──のちに部屋に来ることになるうさぎを「ありがとう」と撫でてから。
「では、ご案内いただけますか?」
毅然とした態度でメイド長に告げた。
ぶっちゃけこの時点でだいぶ「ここがいい」と思っていたが。
◇ ◇ ◇
交渉の場には公爵と公爵夫人が揃って参加した。
二人いるという子供たちは不参加だったのでこの時は会っていない。
──夫妻はまず俺の素顔を確認。
揃って感嘆の吐息を漏らすと笑みを浮かべた。
「噂に聞いていた以上の美しさだ。……思わず見惚れてしまった」
「お褒めいただき光栄です、公爵閣下」
恭しく礼を取りつつそっと夫人を窺えば、彼女は微笑んだままに。
「養女ではなく愛人になさるのでしたらこの場でお決めくださいませ」
「美しいとは言ったがそういうつもりではないよ」
夫人だけでなく俺もほっとした。
商品価値を知りたいのは当然だが、ガチ惚れされたら最悪家が潰れる。
貴族家において当主が愛人を囲うのはよくある話。
嫉妬ではなく初手から調整に入るのはさすが、高位貴族の夫人だ。
ヴェールを元に戻した後は魔力の測定。
最低限の魔導具利用ができる程度であると確認されたうえで、
「当家からの要求は三つです」
お茶とお菓子を挟みつつ、公爵は穏やかに告げた。
「一つ、学園に入学して卒業のために励むこと。
二つ、公爵家の水準に基づき淑女教育を受けること。
三つ、婚姻に関しては当主の決定に従うこと。……いかがでしょうか?」
ほとんど間を空けることなく女主人が返答。
「問題ございません」
義務のように聞こえるが、考え方によっては「実子同様に扱う」という宣言とも取れる。
少なくとも家の中で飼い殺しにはならない。
結婚を親が決めるのもこの国では当たり前だ。
「そちらからは何かありますか?」
「いくつかお願いがございます。
まず、アヴィナの神殿との関りを容認していただくこと。
養子となった後も手紙等でこの子とのやり取りを認めていただくこと。
加えて……」
「わたしの服装について、可能な限りの自由をいただけないでしょうか」
好条件の相手にずいぶんぶち込んだものである。
しかし、それが俺の最もやりたいことだ。
公爵は「ふむ」と思案して、
「それは予算的な意味合いだろうか? それとも、好みの話だろうか?」
俺は「後者でございます」と微笑んだ。
「自分で申し上げるのもおかしな話ですが、わたしの趣味は少々変わっておりまして」
「ああ。おおよその話は当家にも伝わっているよ」
そこからしばらく言葉のやり取りを交わし──最終的に「構わない」と了承が得られた。
「時と場所、効果を可能な限り見極めてくれるのなら」
「善処させていただきます」
『瑠璃宮』から提示した身請け金はアーバーグ家の時と同じ竜貨300枚(金貨30000枚)。
金貨一枚あったら平均的な平民一家が一か月食いつなげる。
一般人からしたら想像もつかない金額だが、二つ返事でこれが承諾されて。
細かな話を詰めることになったのはその後だ。
神殿への寄進を増やす話が出たのもこの時。
公爵家としても、さすがに組織への毎月の寄付となると話が大きい。
相談の結果、俺の小遣いを一部減額。
加えて、俺の身請け金を竜貨400枚に釣り上げたうえで、うち100枚を『瑠璃宮』から公爵家に献上することになった。
公爵家が出す金に大きな代わりはないが、娼館としても公爵家としても「外部に公表する商品価値」を釣り上げられる。
そのうえで当面の寄進についてはその100枚から賄うわけだ。
「金銭的なお話は問題ないと存じます。
……参考までに、貴家がアヴィナにお望みになることを差し支えのない範囲でお教え願えますか?」
「条件については述べた通りですが」
「いえ。貴家の政治的立場や社交の方針についてお聞かせいただきたいのです」
「ああ、なるほど。そういうことならば」
卒業して結婚してくれればいいと言っても、結果「なにを得ようとしているのか」次第で行動方針が変わる。
神殿と付き合う気はあるとして、セレスティナと仲良くできるかいがみ合うことになるか、嫁ぎ先は若者か中年オヤジか、職業は騎士か魔術師か貴族家当主か……等々、いろいろある。
公爵家としても話せる範囲は限られるものの、大まかな回答が得られて。
「大変有意義なお話でした。……正式な回答は後日、書面にてお送りいたします」
「良い返事をお待ちしております」
ぶっちゃけ俺としても女主人としてもほぼほぼ乗り気ではあったが、その場はいったん持ち帰って。
「こちらの持っている情報との齟齬もない。
条件も申し分ないわ。受ける他ないと思うけれど、アヴィナ、あなたはどうかしら?」
「はい。わたしも同じ意見です」
身請けを承諾する旨を書面で回答、今度は女主人一人が訪問する形で契約書が交わされ。
高位貴族の養子縁組ということで国王からの承認まで受けた。
……そこに関しては公爵家が王家とやり取りしたので伝聞でしかないのだが。
こうして、俺は書面の上で「公爵令嬢」となり。
公爵家の使用人を連れて神殿へと赴いて『大聖女』に任命された。
元スラムの浮浪児がものすごい出世である。
とはいえ、権力があろうと俺のやりたいことに変わりはない。
むしろ、やりたいことのために権力を求めた。
俺の望みは多く分けて二つ。
一つは、えっちな衣装をこの世界に広めること。
前世から続く俺のアイデンティティ。
一つは、俺の寝覚めが悪くならない範囲で人助けをすること。
スラムで生まれてひもじい想いをした『アヴィナ』が抱いた目的。
際限なく助けるつもりはない。
『大聖女』などと言っても根っからの善人ではないが、前世からして平和ボケした日本人なので人死には好みじゃない。
対立する相手は排除してでも進む。
しかし、人は多い方がえっちな衣装を広めやすい。
そうして俺は公爵家を訪れ、新しい生活を始めた。