【閑話】金の卵と娼姫修行
この子は金の卵だ、と一目見て思った。
育てば今よりも美しくなる。
美貌だけで国をも傾けるかもしれない。
後になって振り返ると、金の卵ではまるで足りない。
言わば不死鳥の卵。
こんな子を手放すなんて、男爵夫人は見る目がない。
◇ ◇ ◇
男爵家養女の突然の売却。
男爵の方針と食い違う行動だとは気づいていた。
当主の不在時に夫人が決裁することはよくあるが……。
嫉妬にかられて判断を誤る女を信用したのが間違いだ。
夫人の燃えるような瞳を見て、『瑠璃宮』の女主人はそう思った。
取引をもちかけてきたのは向こうからだ。
男爵の目を盗むように送られてきた使者へ笑みと共にこう答えた。
「金貨300枚、即金でお支払いいたします」
了承の返答はその日のうちに来た。
二日後には正式が契約が交わされ、家紋入りの印が書類に押された。
これでもう、男爵であっても無効にはできない。
「妹が増えるのね?」
準備のためと一度館に戻った際、娼姫の一人──ヴィオレからそう尋ねられた。
一時は宮廷魔術師をも務めた才女。
権力闘争に負けて城を追われ、嫁いだ先で初子を死産、夫に離縁されてここにやってきた。
気楽に研究できる今のほうが幸せと語るこの美姫は、経営における片腕。
他に候補が現れなければ次の主は彼女だろうと密かに思っていたが、
「ええ。もしかしたら、その子が私の後継者になるかも」
「会っただけでそこまで期待しているの?」
「いいえ、まだ会ってもいないわ」
ただ、男爵家の屋敷内で幾人もの使用人たちから物言いたげに視線を送られた。
『アヴィナ様を連れていかないでください』
夫人よりよほど求心力を持っている幼子、面白いではないか。
そして、
「初めまして。アヴィナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
はきはきと喋り一礼した少女を見て、勘は正しかったと確信した。
◇ ◇ ◇
アヴィナの才能は持ち前の美貌だけではなかった。
──純粋な心根と大人びた達観の同居。
歳に似つかわしくないほど聡明で、道理を弁えている。
礼儀正しく勤勉、しかも上の者をきちんと立てられる。
自分という芯がないのかと思えば、
「あなたは、なにかやりたいことを持っているかしら?」
「はい。わたしは、いつか好きな服を着られるようになりたいです」
刷り込みを受けた雛鳥のように、趣味だけは絶対にブレない。
教えようと思った。この幼い鳥に羽ばたき方を。
美しく、大空を旅できるように。
「覚えなさい、女の生き方を。そして強くなりなさい」
◇ ◇ ◇
「いい? 起きている間は常に人目を意識しなさい」
最初に教えたのは娼姫として──いや、女としての心構えだ。
右手を持ち上げて、下ろす。
横を振り返ってにこりと微笑む。
落ちた花を屈んで拾い上げる。
何気ない仕草でも訓練次第で見え方が激変する。
「頭からつま先まで常に神経を張り巡らせるの。無意識でも美しく動けるようになるまで、何日でも、何年でも」
『瑠璃宮』では公爵家並みの作法を娼姫に要求する。
ただし、倣うべき「型」が存在する貴族家と異なり、ここでは「美しく見えるかどうか」が基準。
客の目を意識してより優雅に、美しく、艶めかしく振る舞う。
個人の魅力が引き出せるのならば粗野な仕草であっても許容するが。
逆に、美しくなければ型通りでもえんえんやり直させる。
一級の女が集まるこの店でも、二人に一人は「厳しすぎる」と悲鳴を上げる訓練を。
アヴィナは「はい」と答えただけでもくもくと繰り返した。
綿が水を吸い込むような順応性。
幼さが逆に功を奏したのもあるだろうが、それだけではなく「目」が良かった。
鏡に映した自分の姿をじっと見つめて、それを元に何度も微調整を加えていく。
鏡は自らを客観視するのにもってこいだが──真に「他人として見る」のは難しい。
少女には最初からそうした目が備わっていたのだ。
まるで、男として過ごした経験があるかのように。
数多くの一流娼姫を見てきた彼女でさえ、ぞくりと震えるほどの才能。
◇ ◇ ◇
立ち方、座り方、歩き方、ベッドでの寝そべり方までも。
意識のある間の一挙手一投足を覚えたら、同じように話し方も整える。
「話すのではなく聞かせるの。抑揚、声の速さ、息遣い──すべてを使ってね」
遠くまで声を張りながらも囁くように「艶」を含ませられるのが理想だ。
娼館と貴族の両方を経験するアヴィナはこの課題も着実にこなした。
艶のある声と恭しい声、どちらも多感な成長過程で多く耳にしていたからだ。
「末恐ろしい子ね。教えたら教えただけ吸収していく」
「魔法を教えているんでしょう? そちらの調子はどうかしら」
娼姫ヴィオレは、アヴィナが来てからより生き生きし始めた。
『瑠璃宮』には多種多様な娼姫がいる。
知的な才女も多いが、方向性が異なる上にみんな自我が強い。
先生をしようとするとだいたい言い争いになるので、素直に聞いてくれる妹が本当に嬉しいのだ。
しかし、意外にも返答は「駄目ね」というもので。
「才能がないのよ。理論や術式の理解は早いけど、魔力が平民並じゃあね」
「生まれつきの才能はどうしようもないでしょう」
「そうだけれど、勿体ないじゃない。せっかく意欲のある子供なのに」
利口な女はいらないと言う男は多いし、学ぶことに興味のない女も多い。
素直で意欲もある教え子に才能だけがないのでよほど悔しいのか、ヴィオレは唇を尖らせていた。
「剣の才能は意外にあるわよ。見た目は騎士らしくなりそうにないけれど」
言ったのは娼姫ロザリーだ。
彼女は幼少期から騎士を志していたものの、親から「一度きり」という約束で許してもらった騎士試験を高熱で辞退。
泣く泣く結婚したものの、孕む前に夫を病で亡くしている。
未練があるのか、これまでも時折休みに剣を振っていたが──最近はアヴィナが暇なのを見つけては剣の稽古に誘っている。
「才能って、女騎士になれそうなくらい?」
「なれるかなれないか微妙なくらい、かしら。才能って言っても気持ちの方向だから」
剣を持つこと自体、誰かを傷つけること自体に抵抗を持つ女が多い中、必要な時に正しく振れる強さを持っている……そういう意味らしい。
「身体能力はまあ平凡ね。けれど、あの見た目なら要人警護にはもってこいじゃない」
「ああ、宴の席でも浮かないものね」
「いえ、美しすぎて逆に浮くんじゃないかしら」
「護衛対象より美しかったら顰蹙ものだものね」
揃ってくすくすと笑いながら、彼女は思った。
優秀なように見えて、アヴィナは意外と娼姫以外に向いていないらしい。
──向いているとしたら、おそらく。
以前に見たことのある大きな神の像を思い浮かべながら、女主人は複雑な気持ちを抱いた。