神の現身? アヴィナ -9-
馬車から神殿までの短い距離だけで多くの人から視線を向けられた。
頬を染める者、眉をひそめる者、躊躇いつつも凝視する者──それぞれの反応が気持ちいい。
ヴェールの奥に隠した唇に笑みを滲ませて。
「アヴィナ様!? 本日いらっしゃるとは思っておりませんでした!」
「本日はお祈りに参りました。ただの礼拝ですので連絡はいらないかと」
「あなた様ほどの方が来られてはみな注目すると思いますが……」
遠慮がちに視線を逸らす神官。
視線を送られた別の神官がふっと笑って、
「注目を集めたかったのでしょう。神だと持て囃されればそうもなります」
彼は「それに」と目線を下に。
「その服装は礼拝には適しておりません。節度を守っていただきたい」
「神に倣ってみたのですが、お気に召しませんでしたか?」
今日の衣装は白い薄手のドレスだ。
中級の既製品を買って、二重になっていた布が一枚になるよう仕立て屋に直してもらった。
結果的に、ごくごく薄い衣を纏っているのに近い格好。
光の加減によっては白い素肌までばっちり透ける。
「下着もつけておりますし、露出はそれほどでもないでしょう?」
「神ではない我々には、そのような格好は不相応なのです」
「神を騙るのではなく崇めるのですから、真似るのは当然だと思うのですけれど……」
俺は、ヴェールを少しだけ上げて彼を上目遣いで見た。
「今日のところはお許しいただけないでしょうか?」
「~~~っ!?」
一瞬にして真っ赤になった彼は、のぼせたように足をふらつかせた。
信仰心のおかげで効いていなかった最初の神官が「おい、大丈夫か!?」と肩を掴む。
「……あれは神ではない。あれは神ではない、あれは神ではない」
「完全にやられている……。あまりにも刺激が強すぎたか」
女の武器は最大限に利用すべし、が娼婦としての俺が教わった処世術。
純粋かつ堅物な成人男性なんて美人にころっといきやすい典型例だ。
騒ぎ立てる輩がいなくなったところで俺は祈りの間に向かった。
視線は集まってくるものの──。
堂々としていれば自信は後からついてくる、これも教えの一つ。
ああ、それにしても神殿の雰囲気はやはり悪くない。
常に空気を清められている『瑠璃宮』に比べれば雑多なにおい。
広い建物を丁寧に清め続ける聖職者たちのと、平民にも開かれた空間性が織り成す特殊性。
例えるなら前世における病院に近いだろうか。
「神の像……。なんだか久しぶりな気がするわ」
青い瞳の偶像を前に跪き、目を閉じる。
前世でも座禅や瞑想はそれほど得意ではなかったのだが──空間込みのトリップか、不思議と気持ちが入る。
普段、指先にまで気を配るようにしているので「感覚をシャットアウトする」のが逆に心地いい。
集中と共に世界から音が消えていく。
やがて触角さえも曖昧になり、浮いているような錯覚の中で不思議と温かさを感じる。
これが、神?
だとすれば確かに悪くない。
聖職者が信仰にハマるのもこういう感覚なのだろうか。
──ここまで生きてこられたことに感謝を。
前世の俺の感覚からすると「神様なんて実在しないだろ」だが。
死んで実際会った今となっては、そして奇跡の実在するここではさすがにそうは思えない。
神が個人の生き死にに干渉するかは別問題としても。
お礼を言うくらいはしてもいいのではないかと思う。
願わくば、これからの俺の戦いが上手く行きますように。
思いは、奇しくも神に届いたらしい。
なんだか明るくなるのを感じ、意識が浮上したかと思えば「おお!」と歓声が上がる。
「美しい光だ……! 神のご加護がアヴィナ様に与えられたのだ!」
ヴィオレいわく、幸運を与える奇跡というのも存在するらしい。
『効果が明確でないうえに疲れやすいからあまり使われないけれど、ここぞという時には気持ちが引き締まるわ』
うん、確かに引き締まった。
「ありがとうございます」と気持ちを込めながら、再び祈る。
あまり来られないのでどうせならもう少しこうしていたい。
また、周りの音が気にならなくなって──。
集中が途切れたのは、一つの気配が近づくるのを感じた時だった。
顔を上げて立ち上がれば、神官長もまた立ち止まる。
「アヴィナ様。お越しになるのであれば事前に連絡をいただけませんかな?」
「申し訳ありません。神殿は誰にでも開かれていると思っておりましたので」
中年男は「屁理屈言いやがって」みたいな顔をした。
「神官長さま。わたし、神像と聖印を持ちたいと思うのですが、どちらに行けば求められますでしょうか?」
「っ。ああ、それは良い心がけですな。よろしければご令嬢向けの上等な品を提供いたしましょう」
「あら。高級な品のほうが祈りが神に届きやすくなるものなのですか?」
「それはもちろん。信仰のために私財を費やすことは神に対する思いを示す行為ですから」
おいおっさん、言い方が悪徳宗教っぽいぞ。
とはいえ、神像というは要するに彫刻だし、聖印だって装飾品だ。
芸術が絡んでくる以上、材質やデザインに凝れば値段は跳ね上がる。
個室に案内された俺は上等な箱入りの神像と聖印を提案された。
白い、独特の質感の材質だが──竜の骨ではなさそうだ。
精緻な造りになっており、像の目と聖印の中央には小さなサファイア。
「こちらは神の石で作られた神像と聖印です」
「神の石……奇跡によって一から生み出された石ということですか?」
「よくご存じで」
魔法でも奇跡でも物質創造は難易度の高い行為だ。
火や土のように元素そのままに近いものはわりと出しやすいし、元となる魔力がどっかから湧いてくるため質量保存は働いていなさそうだが。
神の石と呼ばれる物質は奇跡によってのみ生み出され、ダイヤモンド以上の硬さにほぼ壊れないレベルの丈夫さを併せ持っている。
この神殿自体も「神の石」で形作られている。
古の聖職者たちは今よりずっと優れていたのか、神自らが作ったのかは定かではないが。
この聖印はいい。
思ったよりデザインもシンプルで、正直、気に入った。
「願ってもない品物ですが、お高いのではありませんか?」
神官長はにやりと笑って、
「そうですな。……合わせて竜貨百枚でいかがでしょう?」
「……想像以上でした」
高いよ!? 一億じゃんそれ!? 家が買えるぞ!?
俺の全財産でもさすがに足りるわけがない。
「では、ご自分でお造りになられては? 理論上は奇跡で生み出すことは可能ですので」
さては最初からそっちが狙いか? この男──。
いやでもさすがにそんなもんほいほい出せるわけがなく、
「し、神官長! 大変です!」
「なんだ、どうした」
そんな時、部屋に神官が一人飛び込んできた。
神官長にしたらいいところだっただろうが、神官の顔色を見てすぐに立ち上がる。
……そういうところは好感が持てるんだよなあ。
などと、思っている場合ではなく。
「騎士団から救援要請です! 東門付近に瘴気にあてられた者および怪我人多数!」
俺をいじめて遊んでいた男は「なんだと」と表情を引き締めて、
「すぐに巫女を向かわせろ。……動ける者は全員だ!」
「ですが、それですと神殿の人員が減りすぎてしまいますが……」
判断が早いし思い切りもいいが、神官の反論ももっともだ。
一時的に業務が滞るし、治療を求める者は騎士だけとは限らない。
治療にどの程度時間がかかるかにもよるが、
「でしたら、一刻を争わない方は神殿に運び込んでいただいては?」
「……アヴィナ様?」
「緊急事態なのでしょう? 神殿に少しでも余力を残してください。ここにも一人、奇跡の使える者がおりますし」
「あなたが協力してくださると? しかし……」
「言い争っている暇はありません。わたしに害意があるとまでは思っていらっしゃらないでしょう?」
そもそも人命救助は俺も望むところだ。
金にならない施しをしようとしていた経緯が効いたのか、神官長は「わかりました」と頷き、
「学園にいるセレスティナ様にも要請しろ! 私は神殿で怪我人の治療と指示にあたる!」
やっぱりこの人、根っからの悪人ではない。
あるいは、神の加護が説得に力を貸してくれたのだろうか?