七十七話.黒炎の薔薇【ヴェラノラ視点】
バリストンが、再び溶岩の中から現れる。
美しかった深海の苑は、黒い炎に呑まれ、禍々しい影と薔薇が咲く死の園へと変わっていた。
――右目が、咲いている。
かつて失われたはずのそれは、今、赤き薔薇のように静かに開き、こちらを見ていた。
背には黒い翼。
尻尾が溶岩の熱にうねり、竜の骸を模して揺れる。
(……封竜の環の魔法陣が二つあったのは、こいつの分も含めていたか……)
白かった髪は、今や焦げたように黒い。
その奥に、赤が混ざっていた。
まるで、まだ燃えていない火種が静かに眠っているかのようだ。
溶岩の中から黒い剣が伸びる。
「……――クソッ。折角準備したのにな」
ブツブツ言いながら彼はそれを足で蹴り上げると、構える。
――が、その姿勢には“戦意”がない。
私に剣を向けながら、まるで自分が斬られることを待っているような構えだった。
(……滑稽な男)
傷つけたくはないが、壊したい。
手は汚さずに、命だけ奪う。
そんな身勝手な願望の剣。
「大体……俺とレイの晩餐会も……一緒に竜になる予定だったんだぞ……邪魔しやがって……」
女王は眉をひそめた。
“晩餐会”という言葉にすら、彼の歪んだ期待が滲んでいる。
「どういうつもり? 私はセレスタを“救いたい”だけ。……“檻”からね」
バリストンの顔が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
それでも言葉は濁らない。
「……クソ。お前がいると、うるさいんだ。狂えよ」
黒い剣が振るわれる。
それは本来の炎とは違う。
バリストンが振るった腕の先――焼け残った黒きイグナリアが、突如として震える。
その中心から、禍々しい黒炎の柱が“ぶわっ”と空へ向かって噴き上がった。
「くっ……!」
瞬時に焔の盾を展開する。
だが、黒炎は通常の炎ではない。
それは墨を垂らしたような色。
心にまで侵食してくるそれは、熱よりも“痛み”を伴う。
皮膚ではなく、記憶を焦がすような――そんな悪意だった。
「く……っ!」
盾さえも効かない。
ずるりと緋色の炎を飲み込む。
そして、炎がこちらを飲み込もうと迫る。
その瞬間――白銀の影が、前へ飛び出した。
「……セレスタ!」
巨大な翼が、私の前に広がる。
青の中に緑が混ざる焔が黒炎を食らい、ぶつかり合い、空間が悲鳴を上げる。
けれど、セレスタは一歩も退かなかった。
その心は精神的に傷ついているはずなのに、青い炎はなお健在だった。
彼女は、私を守るために立ちはだかっている――その“意志”だけで。
私は、胸を抉られるような思いで見つめた。
――もう、支配されてなどいない。
誰の命令でもなく、ただ自分の意志で。
「ありがとう……」
呟くと、彼女が振り返った。
竜の瞳に、透き通るような蒼い光が宿っていた。
その眼差しだけで、私は自分を奮い立たせることができた。
だが――
「アハハ…… まだだ――!」
意思のない影――無数の幻覚。
黒いルミナリアが咲き、そこから伸びる影が戦場を覆う。
切っても斬っても、埒が明かない。
そこへ、セレスタのブレスが吹き荒れる。
青い炎がすべての幻を焼き払い、ようやく視界が開ける。
その間、私はバリストン本人を狙うも、翼で飛んだり剣で防御されたりと隙がない。
グル……とセレスタも齷齪している。
「セレスタ! 向こうに……!!」
と、指示を出してみる。
包囲してみる試みだ。
セレスタも察してくれたのか、飛翔して、瞬時に背後を取る。
それを見ながら再び人影を出現させる。
――セレスタの姿だ……しかし、もう本人はいる。
姿は違ってもセレスタだ。
(こんな幻……!)
と、すべて焼き払う。
まだ加護の力の限界が来ないのは、セレスタがいるからだろうか?
それだけで心強い。




