七十四話.空をかける約束【ヴェラノラ視点】
視界に広がるのは、青い焔の海。
竜の翼が地を覆い、吹き込む熱風が精神の濁りを焼き尽くしていく。
私は、震える指で床を掴んでいた。
黒い灰が舞う。
涙と汗が混ざる顔に、ようやく風が触れる。
その中心に立つ――セレスタ。
白銀の鱗に覆われたその姿は、静かで、荘厳で、あまりにも神聖だった。青い焔を揺らしながら、彼女は、かつて“主”と呼ばされた男を睨み据える。
「……セレスタ」
呟いた私の声に、竜は反応しない。
だが、その一瞬だけ、翼が風をはらむようにゆるやかに広がった。
バリストンが低く唸る。
「制御できない……? 私の声も……届かない……」
その目には、戸惑いと、怒りと、悲しみと。
――なにより“敗北”があった。
「まさか……“変身と干渉”が解けた……? この姿で?」
頭を抱える彼。
彼は理解してしまったのだろう。
ドラゴン――それはイグニス王国の人間が持つ加護の源、彼らが与えた力だ。
全ての魔法――加護に耐性を持ち“支配される存在ではない”。
私は立ち上がった。
この背中に守られているという事実に、膝が震えた。
同時に、感情が溢れ出しそうだった。
「セレスタ、あなた……」
ドラゴンの横顔が、ほんの一瞬だけ。
こちらを見た。
そして、こつんと私の額に口をつけた。
感情を言葉にはできない。
でもその視線は、私を“見た”と確かに思えた。
「その姿になっても……セレスタは、私の顔を忘れていないのか」
咆哮が、バリストンへ向けて放たれた。
空気が震え、洞窟の奥が崩れる。
彼は怯んだ。
あのバリストンが、ほんのわずかに、足を引いた。
竜が一歩、前に出る。
私の前に、壁を作るように翼を広げる。
まるで、“私だけは通すな”と意思表示するように。
「……私にだけは加減していたな、レイ。今もそのつもりか? 可愛いな。ならば――」
バリストンが何かをする前に竜が、口を開いた。
青い焔が、彼を飲み込むように放たれる。
「! ……?」
寸で躱すバリストン。
何が起こったのかわからないような顔。
が、その炎の風圧で洞窟が揺れる。
天井の岩が崩れ落ちる。
溶岩が今にも溢れ出しそうになってきた。
私はその背中の影で、ただ彼女の姿を見つめていた。“王としての私”ではない。
“女”として――ただ、あなたを想う目で。
洞窟の奥で、空気が変わった。
竜――セレスタの体から、音が漏れ出す。
――キュイイイイイン…………
高く、細く、耳の奥に突き刺さるような。
電子音のような響き。
焔でも風でもない、“この世界の理とは異なる”感覚。
まるで神が眠る機構が、どこか遠くで動き出したような、異質で、神聖な音。
「……なん……だ?」
バリストンが、息を飲んだ。
それは恐れだった。
加護も、命令も通じない。
この“竜”の中にあるのは、支配も従属もない――絶対の力。
セレスタの青白い鱗が、青い光を滲ませ始める。
まるで彼女という存在そのものが“臨界点”に達していくように。
空気が軋む。
空間がたわむ。
岩が割れるより先に、重力が変わったような錯覚。
私――女王である私ですら、息を飲む間もなかった。
次の瞬間――爆破。
竜の全身から放たれた青白の輝きが、周囲の空間を“押し潰す”ように広がっていった。
――轟音。
炎ではない、光の洪水。
それは焔を遥かに超えた“存在の咆哮”だった。




