七十三話.蒼竜、咆哮と共に抗う【ヴェラノラ視点】
先手を打って、炎をまき散らす。
黒い軍服のマントでふわりと避けられる。
「見せる、と言ったのに。大人しく見ることもできないのですか? では、静かにしていてくださいな」
バリストンは静かに手を上げた。
空間がざらつく。
焔とは異なる光が空間に差し込む。
揺らめく水面――そこに映像が映し出される。
牢屋だ。
映された中に見えた仮面をつけた黒衣のレイ。
仮面の中の瞳は赤く濁っていた。
恐らくバリストンの視界だ。
「おやめください! 閣下」
庭園で戦い、捕らえた襲撃者か。
レイがめきめきと牢屋の檻を捻じ曲げる。
「しくじったのは、君だ。でも俺はレイを刺したことを怒ってるんだけどね」
「も、申し訳……もう一度――チャンスをッ!」
レイが捻じ曲げた檻に入っていく。
何を、どうするのか。
「はいはい。ほら、レイ仕返ししてあげなさい」
「……仰せのままに」
途端。
彼を殴り、蹴り。
しばらくすると、レイは止まった。
「あれ、もういいの? じゃあ後は俺が……」
バリストンの言葉に頷き、後退する。
自発的に見えるが、そんなことはない。
「……も、申し訳……」
「ああ。赦そう。燃えずに脱出できたらね」
そう言って黒い炎に焼かれて襲撃者は身動き取れず、「……ッ、かは……」と息さえ苦しそうに。
見えない何かで縛り、バリストンは燭台の炎を使って彼に火を灯す。
ゆっくりと焼け死んでいった。
彼は一度も抗わない。
ただ、命令されたとおりに息を吐き、目を閉じて従うだけ。その姿が、たまらなく“愛おしい”と目だけで語っている。
「いい子だろう? あ、他のも見たいか?」
私の膝が、微かに沈む。
心の奥に、氷の棘が刺さったような痛み。
……何度も命令を。汚れ仕事を受け持っていたということか。
それを知らず……。
「黙れ」
焔が爆ぜた。
怒りの炎で映像を焼き払う。
あっさりと消えていく映像。
最後に撫でていた様子だけが映されていた。
「……しかし、彼はあなたを選んだ」
急に苦し気に、苛立ちに満ちて続く。
「私の声に従い、命令で眠り、姿形さえ変えて、わからないようにして。……その彼が、あなたには爪を立てなかった」
黒い炎が立ち昇る。
「命令を重ねたはずなのに、――私の声を無視した」
――来る。
空間が歪む。
ふらりと足がよろける。
精神干渉。幻覚の波が、意識を飲み込む。
一体の影が私に向かって剣を振るう。
ゆらりと躱すその影。
兵士を模したような影。
剣を持っているらしく、たまに切りかかる。
影は次第に二つ三つと増えていく。
炎が集まり、掌に炎の剣が宿る。
「消えろ……!」
視界に立つ“敵”に向かって、全力の炎を放つ。
――だが。
焼かれたのは――セレスタだった。
「え?」
妖精のような服と白銀の髪に赤と黒が染まっていく。胸元に深く焼き焦げた痕。
その唇が、かすかに動く。
『……ごめ……ん』
ごめんと呟く彼女。
足元が、赤黒く染まる。
――血だ。
鮮やかな青の花弁の上に、彼女の血が広がっていく。光の灯らない瞳が私を映す。
(いや……いやだ、いやだいやだいやだ……ッ!)
私の炎が、彼女を殺した?
この手で……私が?
――いや、違う。
こいつの能力だ。
頭ではわかっていても、妙に現実的なセレスタ。
心と体がついてこない。
膝が崩れる。
焔が暴れ、制御不能になる。
何も見えない。自分が誰なのかも、わからない。
増えていく影に覆われて、手足の感覚がなくなっていく。
意識さえも。
「セレスタ……ごめん、ごめん……!」
意識が落ちる。
倒れる。もう終わりだ――
そのとき――
咆哮が聞こえた。
洞窟全体が、震える。
焔でも、魔でもない。
それは、“存在”の音。
白銀の影が、私の前に降り立つ。
青い炎を纏う巨大な翼。
咆哮の余韻を残し、静かに地を踏みしめる竜。
――セレスタ。
彼女は、もう誰にも従っていない。
命令ではなく、意志でここに来た。
バリストンが指をぱちんと鳴らす。
精神干渉、命令、囁き。
――すべての術が、竜の前で霧散する。
「――は?」
バリストンが初めて困惑した表情を見せた。
彼女は、睨んだ。
かつて自分を縛った者を。
瞳に宿ったのは、確かな“拒絶”。
その目に――もう、迷いはなかった。




