六十七話.紫焔、交わる刻【ヴェラノラ視点】
突然、敵の動きが止まった。
再び様子を観察していると、彼らは一斉に退いた。
声もなく、指示もない。
まるで何かに――呼ばれたかのように。
(……なに?)
考えられるのは、バリストンの命令。
だが、撤退の理由は不明だ。
彼らは全滅も覚悟の上でいたはず。
しかし、それをこの場で確かめる術はない。
「……」
国花――ルミナリア。
そのほぼすべてが、青く染まっていた。
まるで、ここだけが海になったかのよう。
耳を打つ溶岩の音すら、潮騒に聞こえる。
私は静かに息を呑み、視線を向ける。
――彼は、まだ横たわっていた。
風に揺れる白髪。
閉じられた瞼。
細く整った指先が、花に触れ、絡み合っている。
「……セレスタ」
その名を呼んだ瞬間。
彼の目が、静かに開いた。
――目が、違う。
かつて私を見つめた、あの優しい瞳ではない。
冷たく、凪いだ湖のように静かで、何も映していない。
ゆっくりと上体を起こす彼の身体から、鮮やかな青い炎が揺れた。
焔。
けれど、私のそれとはまるで異なる。
蒼く、透き通り、音もなく燃え上がる――静謐の焔。
その炎が、彼の両手から立ち昇っていた。
「セレスタ……っ」
私はすぐに炎のマントを翻した。
いつでも防げるように。
彼を包み込めるように。
次の瞬間、視界が弾けた。
風を裂く音――
そして、肩に衝撃が走る。
「……ッ!?」
踏み込みの勢いで、身体が吹き飛びかける。
我が炎で包んでいたおかげで、体勢を崩さずに済んだ。
――が、直後。
視線の先には、足。
振り下ろされたそれを、どうにか炎の盾で防いだが、私は後ろへ引きずられた。
(速い……速すぎる)
身体能力が、人の域を超えている。
(なるべく、傷つけたくない……でも)
私は焔の槍を生み出し、迎撃に出る。
放ったそれは、青い炎を纏った拳に軌道を逸らされた。
空気が震え、ルミナリアが衝撃で花弁を散らす。
「あなたは……本当に、セレスタなの……?」
彼は答えない。
ただ、私を見据えるその瞳に――迷いはなかった。
命令だけをなぞる人形。
感情の起伏は、一切読み取れない。
そして――
再び地を踏み込み、私のもとへ来る。
「……くっ」
拳と足蹴りの打撃を、マントで薙ぎ払う。
だが、私の炎は徐々に弱まっていく。
――まだ、まだだ。
再び己を奮い立たせる。
しかし、ここまでとは。
バリストン邸での戦いが、まるで嘘のような力。
レイの中に眠る竜の血が、既にその力を目覚めさせつつある。
「……あなたを、止めなければならないなんて」
言葉にするたび、心が軋む。
けれど、私はもう迷わない。
あの子を、取り戻すために。
この焔を、使い尽くす。
私は再び、足を踏み出した。
再び炎が、舞う。
彼の青い炎と、私の赤い焔が、空中でぶつかり――
紫の光を一瞬だけ放ち、爆ぜた。




