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六十五話.紅の守護者、眠りを守る【ヴェラノラ視点】


 焔の翼をたたみ、私は火山の斜面に舞い降りた。

 着地した足元から伝わる熱――ここが“生きている山”であることを思い出させる。



 赤茶けた岩肌。

 噴煙はないが、皮膚の奥にまで染み込むような地熱。

 隣には、ゆっくりと流れる大地の血汐。



 そして――



「これは……」



 眼前に広がるのは、一面に燃えるように咲く花畑。



 ――ルミナリア。



 王国の象徴。

 この山脈と王都でしか咲かない、特別な花。


 だが、花の色が――変わりかけていた。



 蒼。



 ……そうだ。


 あの生垣も、バリストン邸でも、青く染まりかけていた。

 つまり、あの頃から既に、仕込んでいたということ。


 けれど、ここはまだ半分が黄色。

 中央へ向かうにつれ、青く染まり始める花が徐々に混じりはじめている。

 まるで、静かに押し寄せる津波のように。


 私は、花の海の中に――ひとつの人影を見つけた。


 白銀の髪。

 地に伏す姿。

 偽りだと、本人は言っていたその姿。



 けれど、私にとっては、どちらも――セレスタだ。



「……セレスタ」



 一歩、また一歩。胸の奥が熱を帯びる。

 この場所には、誰もいない。



 私は彼のそばへしゃがみこみ、そっと手を伸ばした。



 あのときの傷が、まだ残っている。

 焦げた布地の下に覗く火傷の痕。

 私の炎が、確かに触れた証。



「……ごめん」



 ぽつりと、声がこぼれた。



 眠るその顔は、あまりにも安らかで。

 まるで戦いなどなかったかのように、ゆっくりと呼吸を繰り返している。


 ルミナリアの花弁が白銀の髪に絡まり、イヤリングが青白く煌めく。

 青く染まりかけた花々が、その体温に寄り添うように咲いていた。



 ――幻想的ですらあった。



 ああ、このまま、連れて帰れたら。


 抱き上げて、すべてを忘れさせて。

 あの庭園に、もう一度彼を座らせて。

 湯気の立つ茶を淹れて、何も言わず隣に座って――甘えさせてやって。



 ……それだけで、よかったのに。



 けれど、それは許されない。



 ――花畑の中に、気配があった。



 気づけば、岩陰に影が揺れていた。

 ひとつ、ふたつ――いや、数十。


(誰もいないわけ、ないか)


 本気でやっていい。そう覚悟する。


 私は焔をまとった。

 マントのように背で翻る炎。

 肩に燃える火は、まるで紅いファー。

 王冠も、髪も、燃えるように煌めいている。

 焔の衣を翻し、静かに立ち上がる


 バリストンの私兵――

 “赤翼”と呼ばれる組織の、残り火ども。



「その方から、離れてもらおう」



 静かに告げる。

 セレスタのそばを離れたくはない。



 だが――



 この眠りを守るためなら、この命すら盾としなければならない。


 手を振ると、耳飾りが光を放つ。

 指先に炎が灯った。



「来なさい。おまえたちに、私の焔を分けてあげる」



 私は振り返らず、戦場へと踏み出した。


 足を踏み出した瞬間、敵の気配がざわめく。


 岩陰から飛び出す影。


 炎の衣を纏った私に、剣を振り上げてくる。

 刃が煌めくより先に、私の掌から焔が弾けた。




 ――閃光。




 次いで、バリストン邸で放ったものより小さな爆破。

 それでも、斬りかかってきた男の身体は吹き飛び、岩壁に叩きつけられた。


 戦場が、静寂に包まれる。

 私はそれを一瞥し、小さな残り火たちへと視線を向ける。



「――さて、……次は?」



 問いかけに応えるように、周囲の影たちが一斉に動き出す。


 四方から襲いかかろうという構え。

 加護持ち、剣士、後衛と前衛に分かれた布陣。



「この程度で、“竜”を守れるとでも思ったのなら――」



 私の足元から、焔が巻き上がった。

 大地を焼き裂くように、炎が奔る。

 火線は鞭のように地を這い、爆ぜ、ねじれ、風を巻き込みながら敵を薙ぎ払ってゆく。

 岩を砕き、武器を溶かし、叫び声ごと焼き尽くす。



 どうやら水の加護を持つ者がいたようだが――

 蒸発して、もう影も形もない。



 私は歩みを止めない。

 一歩ごとに、焔が足元から広がっていく。



 炎は命令に応じて姿を変えた。

 槍のように突き上がり、盾のように守り、翼のように宙を翔ける。



 燃え広がる赤の中で――

 足元のルミナリアの一部が、青へと染まりかけていた。

 炎と竜の気配が重なったその場所だけ。


 一瞬だけ淡く、紫に揺らめいた。

 焔と竜の気配が、戦場の土を――未来を――静かに、染め上げていく。



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