六十三話.燃ゆるは、我が誓い【ヴェラノラ視点】
日記を叩きつけた後も、胸の奥のざわめきは止まらなかった。
手が震える。
目の奥が熱い。
それでも――足を止めるわけにはいかなかった。
「わ。落ち着いてくださいよ」
後ろで竜騎士が軽くつぶやいている。だが、今は気にしていられない。
(……これだけじゃないでしょう、バリストン)
私は静かに室内を見渡す。
整いすぎた本棚。埃ひとつない机。意味のない装飾の香炉。
――隠している。直感でそう感じた。
あれほどの執着と偏執を、ただの日記だけに留めるはずがない。
本当の“狂気”は、もっと奥にある。
そして――見つけた。
壁際、装飾の陰に隠された小さな黒箱。
一見すればただの置物だが、微かに魔力――加護の反応がある。
私は指先でそっと触れた。
鍵は、加護。
王家にも、大事な宝物は加護による封印が施されている。
それと同じ仕組みだ。
――加護を持つ者でなければ開けない。
「……?」
私の炎の加護では――開かない?
「あ。やりましょうか?」
「あ、ああ……」
カイルが手を添えると、黒い箱が小さく揺れた。
表面に刻まれた文様が淡く光り、ぱき、ぱきと音を立ててひび割れていく。
なぜか、彼の加護だと開いた。
加護の“種類”のせいか、それとも――いや、今は中身が先だ。
カイルが中から書類を取り出していく。
私はその一つを手に取った。
幾重にも巻かれた羊皮紙。
日記、そして記録だ。
──《赤翼の会》
総数:三十八名。
うち、戦闘特化訓練済:二十五名。
洗脳適正者:三名。
特別監視対象:二名。
選抜候補:七名。
「……!」
私は思わず息を呑んだ。
組織されている。完全に。
ただの狂信者の集まりじゃない。
国家を脅かせるだけの“軍事力”と“構成”が、密かに育てられていた。
“赤翼の晩餐会”。
あの夜、私が命を狙われたあの場――
彼らにとっては、“選ばれし者の集い”だったのだ。
無意識に拳を握っていた。
こんなものまで、仕組まれていたというのか。
あの子を“中核”に据え、その周囲に牙を揃えた者たち。
彼は、セレスタを“守るため”に軍を育てたのではない。
“使い捨てるため”に騎士団を作ったのだ。
「これはヴァルディス様に報告ですね」
「ああ、頼む」
書類を渡す。
今度は数枚の写本。
竜に関する文献の写しと――封竜の環に関する考察。
その横に添えられていたメモ書き。筆跡が違う。
バリストンではない、別人の手だ。
――これは儀式ではない。愛の証。
再び竜が目を覚ますとき――その加護は、愛に還る。
……のであれば。
試してみよう。
最初は地面にも書かなきゃいけないのが怠いが。
よかった。まだこれが残っていて。
竜から人になれる封竜の環。
そして、人から竜になれるものもある。
これは拝借していこう。
はやく、存在を証明しなくては。
黒い竜の子孫がいる。ちょうど雌もいる。雄も試そう。
……誰だ?
カイルも、書類を覗き込んでくる。
「……誰でしょうねえ」
「古い学者か、何かを遺した誰か、か」
父は行方知らずだと言っていた。
だとすれば――その父か?
バリストンは、その父が遺した記録を読んでいた。
だから、知っていたのだ。
”封竜の環”のことも。
やり方も。
そして次。メモ書き。
いや――捨てられず残された、日記の一部だろう。筆跡はバリストンだ。
――義兄に会った。
不愉快だ。陵辱して、奪って、壊して、捨てた。
俺が殺してやる。
……どういうことだ?
すぐにわかった。ヤツの考えか。
レイ――セレスタを奪われかけた、とでも思ったんだろう。
そして今回のような……
もしかすると――父親は、コイツの手にかけられた可能性もある。
「……」
よく喋ると評判のカイルも、何も言わない。
その沈黙が、かえって怖い。
私は、冷静を装いながらも手が震えていた。
カイルに悟られないよう、息を整える。
狂気、執着、愛、そして――優しさ。
そのすべてが、偽り。
そのすべてが、ここに記されていた。
――赦さない。
ヤツのすべてを焼き尽くしても、足りるはずがない。
指先に、炎が灯る。
カイルが慌てて書類を抱えている。
……燃やしかけるのはやめなきゃな。
ふっと、笑みが漏れる。
――こいつのおかげで、私はぎりぎりで憤怒に飲まれずにいられる。
「いってらっしゃい、ヴェラノラ様」
炎が、足元から立ち上がる。
怒りも、悲しみも、迷いも、すべてを焼き尽くすように。
王族の血に流れる焔が、私の身体を包んだ。
外套も、髪も、瞳も――すべてを紅に染め上げる。
気づけば、私は炎の中にいた。
足が地を離れ、背に風が吹く。
その身に纏う焔は、まるで巨大な鳥の羽根のように広がっていた。
猛禽のように、鋭く、力強く。
誰にも縛られぬ、空を焼き尽くす不死の鳥――それが、私だ。
「――ああ……! 待ってなさい、セレスタ。……あなたの炎は、私が取り戻す」
焔の翼を広げ、私は夜空へと飛び立った。
向かうは火山。
バリストンが待つ場所。
あの子が連れていかれた、最果ての地。
何もかもを終わらせる――最後の戦いの地へ。




