六十二話.狂愛者【ヴェラノラ視点】
カイルが、ヤツの部屋を見つけたらしい。
案内されるまま、私はその扉の前に立った。
開けた瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でた。
豪奢だが、生活感のない部屋。
机、棚、壁――整いすぎていて、何もかもが無機質に見える。
まるで、“人の匂い”がしない。
唯一白いルミナリアだけが光。
けれど、私は知っている。
ここにこそ、“あの男”の本性がある。
書き物机の上。
あからさまに置かれた革表紙の本。
手に取った瞬間、直感で悟った。
――見せつけるために置いてある。
“読め”と言わんばかりに。
私は、ためらわずページを開いた。
最初の行を読んだだけで、喉の奥が焼けるような嫌悪がこみ上げた。
──今日も、彼はよく従った。
白銀の髪に黒の軍服。完璧な美しさだった。
変身魔法と精神干渉の併用も順調に進んでいる。
夢から始め、音と命令を刷り込む――もう“私の声”は、彼にとって絶対だ。
触れればわかる。
命令に従ったとき、脈が速くなるのが。
嬉しそうに笑う。けれどその笑みには意味がない。
感情ではなく、反射だ。
それが、たまらなく愛しい。
──初めて、彼が“命令された夜”を覚えていなかったとき。
あの夜の任務のことを、彼は何一つ知らずにただ微笑んだ。
その唇を、私は指でなぞった。
形も、柔らかさも、吐息のぬるさも、すべて私だけのもの。
抵抗すればいいのに、されるがままだ。
拒絶すら浮かべない、まるで人形のような彼。
──最近では、彼が“加減”を覚え始めている。
素手の手合わせでも、私にだけは爪を立てず、力を抑えるのだ。
その成長が、どれほど嬉しいことか。
“私を壊したくない”と思っているのか、“命令だから”なのか――それすら、どうでもいい。
結果として、彼は私を傷つけないよう“馴染んで”くれた。
こんなに、愛らしいことがあるだろうか。
──時折、彼の目に私以外の存在が映ることがある。
あの女王のことだ。だが、どうでもいい。
命令すれば、彼はあの女王にすら刃を向ける。
何度だって抱きしめ、躾ければいい。
私には、あの女には見せない姿を。すべて晒してくれるのだから。
「……!」
私は日記を閉じた。
手が震えていた。
ページをめくっていたはずの指先が、今にも崩れそうだった。
怒り、嫌悪。
息が詰まる。
私の知らない、あの子の顔。
そのすべてを、あの男は知っていた。
仮面の下の、あの子の素顔を。
「下衆が……」
吐き捨てたところで、収まる感情じゃない。
それでも――目を背けることはできなかった。
次のページには、さらなる記述が続いていた。
──庭園の件は、処理済み。
彼の手で、始末をさせた。
本人には命令の記憶は残らない。だが、確かにその手で汚した。
その姿を、私は見ていた。
焔に包まれた敵を前に、彼の横顔は美しかった。
ああ、やはり私の“竜”だ。
「……っ!」
言葉が、出ない。
震えが止まらない。
視界が滲んで、文字が読めなくなる。
あの子の手で――人を殺す手助けをした。
しかも、自覚のないままに。
それを、悦びとして記すこの男の筆致が――何より、恐ろしかった。
私は、革表紙を握りしめたまま、力任せに机へ叩きつけた。
鈍い音が響く。
机の上の小物が跳ねる。
それでも。
胸の奥で渦巻く感情は、まったく収まらなかった。




