五十五話.君のいない朝に【ヴェラノラ視点】
ここ数日、私は彼女をただ甘やかしていた。
一緒に散歩をし、本を読み、昼寝に寄り添い――
何も考えず、ただそばにいるだけの時間を過ごした。
けれど今朝、目を覚ますと――
ベッドの横にあったはずのぬくもりが、消えていた。
乱れたシーツ。
ずらされた布団。
そこに確かに、誰かがいたことを物語っている。
わずかに沈んだ寝台のへこみを、そっと手でなぞる。
もう熱は残っていなかった。
それでも、目を閉じれば蘇る。
静かな寝息。ときおり指先が触れてくる、あの感触。
――それが、たまらなく愛おしかった。
だが、もうその姿はない。
私は静かに起き上がる。
一刻の猶予もない。
髪を払い、侍女に背を向けたまま寝間着を脱ぐ。
どれほど乱れていようと、誰かの前で服を整える気にはなれなかった。
――あの夜が夢になってしまいそうで、怖かったからだ。
「……支度を」
短く告げると、侍女は黙ってうなずいた。
鏡の中の自分は、いつもと変わらぬ“女王”の顔をしていた。
薄く化粧が施され、炎を象った金の髪飾りが添えられる。
最後に、イヤリングだけは、自分の手でつけた。
執務室へ向かう途中、ふと、目に入る。
あの日、初めてふたりきりになった生垣の通路――。
しばらく足を踏み入れていなかった場所。
気づけば、私はまた、そこへ向かっていた。
別の道もあるのに。
回り道だとわかっていても、どうしても足が勝手に向いてしまう。
「……滑稽ね」
思わず、自嘲が漏れた。
国の象徴たる“炎の女王”が。
たったひとりの騎士に心を奪われ、今はその居場所すら見失っている。
だが、それほどまでに――私は、あの子に惹かれていたのだ。
心を奮い立たせ、扉を開ける。
王たる者、迷いは許されない。
今はただ――愛おしい騎士を取り戻すため、女王として動かねばならない。
執務室に入ると、ヴァルディスが既に待っていた。
「浮かないお顔ですね」
「……わかるか?」
「ええ。夜までに支度を整えておきましょう」
――流石だった。
私が“どうしたいか”ではなく、“どうしてしまうか”を、すでに察している。
ヴァルディスなら、本来であれば私の自らの出向に異を唱えるはずだ。
それでも彼は、女王ではなく、“ヴェラノラ”として行かせようとしてくれている。
「……公務は公務として、進めさせてもらいますぞ。恐らく耳には入らないでしょうが」
「ふ、わかっている」
すでに、私の中では炎が燻っていた。
待っていてくれ――
セレスタ。
今度は、必ず私が君を迎えに行く。




