五十四話.紅茶と炎と、あなたと【セレスタ視点】
次の日、陛下の休憩時間にまた月下の間を訪れた。
変わらない日差しと、変わってしまったルミナリア。
全部、蒼くなってしまっていた。
赤も好きなのに――なんて、陛下の色を思い出して頬が熱くなる。
それでも、どこかそわそわしてしまう。
もう肩の力は抜けたはずなのに、なぜか逆に緊張してしまう。
「今日は紅茶の種類を変えてみたのだ。香りが強いが……セレスタ、どうかな?」
「うう……」
優雅に注がれる琥珀色の液体。
その手元をぼんやりと見つめながら、私は小さくうなずいた。
(大丈夫かな……割れたりしないかな……。うーん……ええい、なるようになれっ!)
「あ、ありがとうございます、陛下……いただきます」
そっと、羽根を持つようにカップを両手で持ち上げ――
パリンッ!
嫌な音が響いた。
次の瞬間、ティーカップは無惨に砕け散り、紅茶が膝の上へとこぼれ落ちる。
「ぁぅ……」
しばし、呆然とする。
じんわりと指先が痛む。紅茶の熱ではない。精神的なダメージの方が大きかった。
(また……やっちゃった)
前回は、敢えて手をつけなかった。
レイだった時のように。
それでも、加減ができなかった。
カップはしょっちゅう壊すし、ドアなんて閉まっていればそれごと砕いてしまう。
今は使用人たちが先に開けてくれるから大丈夫だけど――
今くらいは、普通に振る舞いたかったのに。
私はそっと肩を落とし、陛下の顔も見られず、砕けた破片を見つめていた。
「ご、ごめんなさい……陛下」
陛下は私の隣にしゃがみ、ためらうことなく、膝にはねた紅茶を拭き取ってくれる。
(国のトップに、こんなことしてもらって……申し訳なさすぎるっ!)
「わ、私が……!」
思わず立ち上がろうとしたけれど、両腕をふわりと炎で絡め取られ、動きを封じられる。
――拘束された。
(さすが、陛下……炎、自由自在なんだ……って、ちが……うっ!)
「可愛い可愛いセレスタの世話をしているのだぞ? ほら、動かない。どうせこの布も破けるかもしれん」
「ぐぅ……」
“可愛い”。
人生で初めて、誰かにそんな風に言われた気がする。
そっと、微笑んでしまう。
「ふふ……なんとなくわかってはいたが、加減ができないから、あの時のお茶会も遠慮していたのか」
拭き終えて、陛下が下から私を見上げる。
「も、申し訳――」
その唇に、人差し指がそっと触れられた。
「さて。……また、あーんしてやろう」
「~~~~っ!! そ、そのっ、それは大丈夫です!!」
「ふふ、残念だ」
……あーんは、もう恥ずかしすぎる。
名残惜しそうに陛下が席へ戻る。
私は勢いよく顔を伏せた。
こっそり視線を向けると、赤い瞳がやさしく細められていて、胸がくすぐったくなる。
「もう……ほんとうに、どうしてこうなるのでしょう」
「構わんよ。セレスタ、あなたはあなただ。……それに、私が何度だって、手取り足取り教えてやろう」
「……っう、あの、あーん以外でお願いします……」
「それは善処しよう」
「ぐぅ……」
「どんなに力が強くても、不器用でも、私はセレスタが好きだからな」
思わず、顔を上げた。
そこにあったのは、あの日と変わらない笑顔――
今の陛下は、私だけの“ヴェラノラ”として、笑ってくれている気がした。
「……ずるいです、陛下」
「ん? そうか?」
「はい。……とっても」
そう言って、私も、そっと微笑み返した。




