五十二話.焱に刻まれし誓い【ヴェラノラ視点】
「ふざけた真似を……」
低く、かすれた声が漏れる。
炎が燻り、ヴァルディスがあわてて書類を引く。
「……すまん」
女王の仮面の裏で、私は――ヴェラノラとしての私が、怒りと悲しみに震えていた。
彼女は、自分の力を恐れていた。
触れれば壊してしまうと。
誰にも近づこうとせず、物にすら――。
それなのに、誰かの手で、力を暴かれようとしている。
「それが、あの子の本意ではないことは……わかっている」
炎を愛したあの子が、別のものに呑まれるなど、許せない。
「さらに……竜化には、その力を“捧げる者”が必要とのことです」
「……十中八九、バリストンだろうな」
「……ええ。ただし、その力は“誰でもよい”ようです」
「な、なんだと?」
ヴァルディスによれば、我が炎も、彼の風も――
“魔法”ではなく、竜より授かった“加護”だという。
ならば、“封竜の環”とは、加護を返還するための術式か?
胸と地、どちらも魔法陣を置く意味も分からんが……。
思い出す、帝国の外交官が“魔法”を欲していた姿。
「それと、もう一つ気になる点が」
「……?」
ヴァルディスが一枚の書簡を抜き、私に見せる。
「セレスタ嬢――レイ殿は、一部の魔法……加護が全く効かなかったとの記録があります」
「魔法……加護が……?」
そういえば、私の炎に包まれた時も、火傷一つなかった――。
「加護のすべてが、です」
「……では、なぜ変身や、意識喪失などが起きた?」
「医務官の診立てでは、加護も“段階的に”かけられると身体が慣れ、定着してしまうとのこと。セレスタ嬢の状態は、完全には解けていないようで……。異常な力は、バリストン家に伝わる“竜の先祖返り”ではないかと」
「つまり、変身の加護の中に、精神干渉の要素が組み込まれていたと」
頷くヴァルディス。
「言葉、物、音など――絶対服従の“トリガー”も必要かと」
私は息をのむ。
――言葉。
“仰せのままに”。
あの子が口にしていた、あの言葉……。
そうだ。
私の願いも“命令”と認識されていた節がある。
婚約さえも。
それでも、今の彼女の表情は――あの愛らしい姿は、偽りではなかった。
抑え込まれていても、あの子は探していた。
希望を。
イヤリングの主を。
竜の因子を宿し、加護を焼き切るほどの力を持ちながら、同時にとても無防備で――。
繰り返し刷り込まれた加護には、強靭な精神すら抗えないこともあるのだ。
自然と拳が握りしめられる。
怒りをなだめるように、無作為に書簡をめくる。
古文書、失われた知識。
文献だけが、その痕跡をとどめている。
否、言い伝えられていないこともあるかもしれない。
寂しさすら覚える。
イグニスの民――赤髪の者には、生まれながらに微かな加護が宿る。
……一つ、気になることがある。
「……待て。私も、あの子と同じように竜化するのか?」
「いえ。研究者によれば――」
言いかけて、ヴァルディスが口をつぐむ。
促すように、私はうなずく。
「……王族。すなわち、アッシュ様のご先祖は――竜を“愛し”、そして“愛された”のだそうです」
「……愛?」
「はい。竜は人に恋をし、“封竜の環”を用いて人の姿となった……と」
思わず、眉が上がる。
なんとも、夢物語めいている。
「ですが、人側――つまり初代女王は、その思いを拒みました。他の人と子を成した後も、竜は怒りも悲しみも見せず、ただ……」
ヴァルディスは静かに目を伏せた。
「……“どうかこの人を守ってほしい”と、願って――。加護とはまた別に、“炎”を遺したそうです。黄金の焱を」
「……黄金の焱」
「それが、王族に受け継がれているのではないかと……」
「なるほど……」
呆れるやら、感心するやら――
それでも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
ずいぶんと、ロマンチックなことをしたものだ。
我が先祖ながら、敬意を表したくなる。
――加護か。
手に、そっと炎を灯してみる。
燃えゆくその光が、今はただ、美しく見えた。




