四話.もう一つの秘密 【セレスタ視点】
誰もいない自分の部屋。
ドアの前で小さく深呼吸して、ノブに手をかける。
――ミシ。
「はわっ……また……」
案の定、力加減を間違えた。
扉の蝶番が悲鳴を上げ、軋みながら傾く。
反射的に手を引いたものの、時すでに遅し。
「うう……ごめんね、扉……」
思わず謝るように呟く。
誰かに聞かれていたら恥ずかしいくらい情けない癖。
でも昔から直らない。無機物にすら謝ってしまう――まるで、傷つけた相手が本当にそこにいるかのように。
どうにか横に置いて中に入る。
侍女が待ち構えており、慣れた様子で扉を見て、ふっと笑った。
「またですね。でも……お嬢様のそういうところ、私は好きですよ」
そう微笑まれると、なんとも言えず頬が熱くなる。
「ぐう……」
自分が嫌になる。
ただ部屋に入るだけなのに、気が抜けたせいか、いつもこれだ。
(私は……どうして、こうなんだろう)
こんなふうに力をコントロールできないから、人に触れるのが怖い。
だから、私は誰にも触れようとしない。
それが癖になって、当たり前になって、――孤独にも、慣れてしまった。
握手もできない。
ふいに差し出された手にさえ、手を伸ばせない自分が――情けない。
だからきっと、今もひとりなんだと思う。
侍女が白銀の鎧を脱がし、ふわりと白髪が肩に落ちる。
鎧を脱いでも、心までは軽くならない。
部屋を後にする侍女の足音が消えてから、私は静かにベッドサイドへと腰を下ろした。
ちょうど前には、埃を被った鏡。
普段まったく使わないもの。
そこに映るのは、整った顔立ち。
少し幼さの残る輪郭と、白磁のように透き通った肌。
白銀の髪は光を柔らかく弾き、まるで雪の精のようだと、昔誰かに言われたこともある。
でも――
目だけが、違った。
白い瞳は、まるで感情を映すことを忘れてしまったように芯が見えない。
空っぽの水面のようなその視線に、自分自身が映っていない気がした。
まるで、自分で何も決められない人形のように。
(綺麗に見えても……中身がこれじゃ、意味がない)
思わず顔を背けた。
鏡に映る“自分”を見ていられない。
それに――。
「力が強すぎる……女の子なのに……」
ぽつりと、口からこぼれる声は、自分を責めるように震えていた。
女の子として生きる時間は短くて。
強さだけが自分を形作っていて。
その“強さ”が一番、自分自身を遠ざけている。
――何もできない。
守りたいものに、触れることさえできない。
あの人に触れたいと思ってしまったら、私は、壊してしまうのではないか。
そんな怖さが、胸の奥を冷たく締めつける。
けれど、それでも。
私は開けっぱなしの机の引き出しから小さなケースを取り出す。
丁寧に。そっと開けて、中の金のイヤリングをつまみ、指先で転がす。
「……今日も、見つからなかったな」
ひとりごと。
誰に向けるでもない祈り。
昔。
出会った少年がくれたかけがえのない記憶。
私がこの手で守った、大切なもの。
(あのとき……わたしが確かに、女の子だったって思えた。この力を持ってはじめて良かったと思わせてくれた)
今も、あの目をしている人が、どこかにいるのなら――。
――『婚約しよう』
……女王陛下のあの言葉が、また胸の奥に火をつける。
(だめ……あの人に近づいちゃいけない。バレたら、すべて終わる。最悪死刑かなあ……)
けれど、それでも。
今、心のどこかが――ほんの少し、疼いていた。
(守りたい。だけじゃない……何か、もっと……)
それは戸惑いとも憧れとも違う、けれど確かに“何か”が生まれかけていた。