四十二話.白き灯篭の誓い【ヴェラノラ視点】
唐紅の空がイグニス王国を見下ろしている。
赤いルミナリアが、静かにそれを見上げていた。
生垣から通路へと出ると、ちょうど城側からヴァルディスが歩いてくるのが見えた。
「……見ていたのか、ヴァルディス」
「なんでも登りますからな、アッシュ様は。城壁をよじ登り城下町へ抜け出した回数、数えましょうか?」
「ふふ……誰にも気づかれないと思ったのだがな」
私は肩を竦めて苦笑した。
だが、ヴァルディスの表情はどこか遠い。
風にかき消されるような小さなため息を落として、彼は問うた。
「アッシュ様は、レイ殿をどう見ておられるのですか?」
「婚約者だ」
即答すると、相手がレイであれば間違いなく固まっていただろう光景を想像し、思わず口元が緩む。
「ふふ……」
「そういう意味ではなく」
淡々と突っ込まれ、私は肩をすくめると、真面目な話へと戻した。
「レイは――自分自身を押し殺している者だと、私は見ている」
その言葉に、ヴァルディスの眉が僅かに動く。
「……おっしゃる意味は?」
「仮面のような忠誠、極端な礼節、抑えすぎた身のこなし。……あれは誰かに教わったというより、刷り込まれたものだろう。自然なものではない」
「なるほど、仕込まれた、ということですか」
ヴァルディスがカイゼル髭を撫でながら考え込む。
私は続けた。
「先ほど、私が昔を思い出した時――彼も、何かに気づいたようだった。夜会の時も、仮面を被っていた顔ではなかった。……少なくとも私は、そう感じた」
ふと風が吹き、髪が乱れる。
それを耳にかけながら、私は無意識にイヤリングに触れていた。
ヴァルディスもその仕草を見逃さない。
彼も知っているのだ。
かつて、城下町で迷子になった私を探しに来たことを――。
「やはり、似ておられるのですね」
「……確証はない。だが、強くそう感じる」
私が静かに告げると、ヴァルディスも頷いた。
「では、今度は私から。……アッシュ様の騎士殿を少し借りた結果をご報告しましょう」
「ふふ……楽しみだ」
レイ本人には詳細を聞けなかった。
その分、ヴァルディスの報告に期待している自分がいた。
「剣技としては、まだ伸びしろがある。だが――途中から手合いとも呼べぬ展開になりましてな」
「?」
眉を寄せると、ヴァルディスは肩をすくめた。
「年甲斐もなく、私が風魔法を使ってしまいましてな。彼の木刀が吹き飛び、それ以降は拳での戦いになったのです」
「拳、だと?」
「ええ。……正直、恐ろしさすら覚えました。あれでもまだ抑えていると、そう感じましたよ」
静かに告げるその声には、重みがあった。
「筋力だけでは説明できぬ速さと重さ。そして――あれは、かつてギルドで魔物と戯れた時の感覚に近い」
「……ふふ。老体に鞭打ったか」
私は笑いながらも、内心曇る。
ヴァルディスがここまで言うとは、それだけ異質だということだ。
「それでも、私はレイを選んだ。……気まぐれで指名したわけではないぞ」
「その節は失礼しましたな」
謁見の場で即興の婚約宣言をした際、彼から何度小言を受けたか。
これはその意趣返しだ。
「それがアッシュ様のご意志であれば、従います。……レイ殿もきっと、喜ぶでしょう」
「?」
「終わり際、少しだけ、悲しそうに見えました。おそらく――自身の異常な力を知って、アッシュ様が遠ざかってしまうのではと、怯えていたのかもしれません」
私は小さく息をついた。
そうならぬよう、もっと寄り添わなければならない。
「ところで、一つ気になることが」
「バリストンか」
「ええ。……ノルがレイ殿に向ける眼差し、主従や義理の親子というには、あまりに歪です」
「私も、そう感じていた」
思案する。
レイを王城に引き取るか。
あるいは、ヴァルディスの養子とするか。
バリストンを突く手もあるが、あの男は狡猾だ。
ふわりと躱される
下手をすればこちらが論破されかねない。
どれが最も適切か、慎重に見極める必要がある。
「ヴァルディス。おまえはあれをどう見た?」
「……主従の忠義ではありません。あれは、執着。しかも、強烈なものです。隣に立たれることすら、本能的に嫌がっているように見えました」
私はまたイヤリングを撫でた。
「いずれ、あの男も誤魔化しきれなくなる」
「……引き続き、調査を進めます」
ヴァルディスが静かに頭を下げた。
白く灯るルミナリアが、夜の訪れを告げている。
私は蒼白く光る花を見つめながら、心の中で呟いた。
――レイ。
おまえを守るためなら、私は何度でも、誰とでも剣を交えよう。




