三話.変身のあとで 【セレスタ視点】
「ふう……」
変身が解けた途端。その思いを吐き出すように思い切りため息を吐いた。
長く伸びた白百合色の髪が肩を滑り落ちる。
胸元の鎧の締めつけはまだある。それでもなんだか呼吸が楽になった。
……けれど、それ以上に精神の方がもう限界だった。
何もしていないのに、全身が鉛のように重くて仕方がない。
「ふふ……。女王陛下に、婚約を申し込まれたそうじゃないか」
背後から、バリストン卿の声が響く。
その口調は軽やかで、まるで世間話のようだ。
しかし、その笑みに籠もった何か――それは、いつも通り読めなかった。流石国の重鎮と呼ぶべきかただ。
「……は」
「ふふ。陛下もまた、変わり者だな。まさか、君という……」
言葉を切る間に、私の背中を指でなぞるような気配がした――ような気がした。
ぞわり、と肌に寒気が走る。
けれど、触れられたわけじゃない。
ただの思い込み。
「――忠実な騎士を選ぶとは。まあ、上に立つ者としては、分からんでもないが」
くつくつ、と喉の奥で笑う音。
どこか、昔と変わらない声音のはずなのに……どうしてだろう。
胸の奥にわずかなざらつきが残る。
(……この顔、昔もよく見たな。何かを企んでるときの)
養子に取った私を笑わせようとして、何度も悪戯をしかけてきたその人。
「ま、あまり気に病むな。すぐに騒ぎも落ち着くさ。どうせ冗談と思われているだろうしね。……ねえ、レイ?」
呼びかけられた男の時の名に。
眼帯で片目を塞いでいるのに。
思わず身体がこわばる。
優しげな声色。
でも、胸の奥が痛い。
「ところで、騎士の仕事はどうだ?」
その問いかけに、何かが引っかかった。
考える前に次の言葉が重ねられる。
「我が後継にまでなって貰わなければな」
その一言に、胸の奥がずしりと重くなる。
声が脳の奥に響くような感覚。
「頼むよ、レイ?」
ああ――だめだ。
頭がうまく回らない。
考えようとすればするほど、その思考ごと底に沈んでいく。
「……はい、仰せのままに」
その返事は自分の声なのに、どこか遠くに感じた。
口の中が重くて視界も少し揺れている。
最近は……ずっと、こうだ。
何か言おうとすると、喉が詰まってしまう。
誰かを思い出そうとすると、名前が霧に包まれていく。
そんな感覚だ。
でもそれは――
たぶん、“セレスタ”でいられる時間が短いから、だと思っている。
気づけば、ほとんどの時間を“レイ”として過ごしている。
本来の自分がどこかに引っ込んでしまったようで思考が、時々ひどく絡まる。
(……疲れのせいだ。そう、きっと)
でも、ふとした瞬間に思う。このまま“私”が、“どこか”へ行ってしまうのではないかと。
そう思い込み、またひとつ思考を飲み込んだ。
「それはまあ、それとして。ゆっくり休むといい。今日は長い一日だったろう」
「……はい、叔父様」
ノル・レイヴ・バリストン
30代くらい。
外交、交易メインのお仕事。頑張って左宰相までなったけど、基本サボりがち。
幼少期、セレスタを引き取り、以来ずっと育ての親として接しています。
……たぶん、彼なりの愛を、彼なりの形で与えてるつもり。
けれど、それが正しい愛だったのかどうかは、物語を追ってご判断ください。