三十八話.咆哮なき刃【ヴァルディス視点】
風が吹き抜ける。
周囲の気配が消え、空気が研ぎ澄まされる。
対面に立つのは――レイ・バリストン。
凛とした長身。
だが、肩に入りすぎた力が、彼の緊張を物語っていた。
日常では寡黙で礼儀正しく、剣に忠実。
それが、この者に対する大方の印象。
……だが私は、あの庭園襲撃以降、違和感を拭えずにいた。
腕力。
しぐさ。
反応。
――その仮面の中に、何が隠れているのか。
確かめよう。
剣で、直接に。
「……始めようか。レイ殿。全力でも、肩慣らしでも構わん」
「は、――仰せのままに」
剣を抜く動きは、美しい。
指先ひとつまで隙がない。
構えも、間合いの取り方も、教本通りに整っていた。
だが――
(隠している……)
急な手合わせ。
仮面を剥ごうと試みたが、動揺は表に出なかったらしい。
先に仕掛けてきたのはレイだった。
私は下段から振り上げる木刀を軽く躱す。
こちらからは、まだ仕掛けない。
二度、三度と躱され、再び距離を取る。
基本に忠実すぎる構え。
しかし、攻撃の重心のかけ方が、妙だ。
本気であれば、もっと鋭く打ち込めるはず。
それを、敢えて外している。
(アッシュ様の炎を受けても平然としていた――まぐれではないな)
抑制された動きを確認できた。
――では、こちらから。
私は防御から攻勢へと切り替える。
砂を踏みしめ、一気に間合いを詰めた。
「!?」
レイは目を見開き、防御を取る。
が――
……終わりか。
木刀を下ろしかけた、その瞬間。
レイが地を蹴った。
――速い。
常人の脚力ではない。
目で追えず、音と風の動きで探る。
木刀での攻撃を防御するも、たった一撃で後ろに引きずられる。
肩に、腕に、鈍い衝撃。
レイの顔に表情はない。
虚無の瞳の奥。
何かを必死に押し殺すような静かな焦燥が揺れていた。
二撃、三撃――
打ち合いではない。
圧し合いに近い。
木刀の重さが腕に痺れる。
(これは……抑えている?)
いや、違う。
(抑え込まれている――?)
筋力では説明できない速さと重さ。
異常な重心移動と踏み込み。
本気なら、一合目で私の腕など砕かれていたはず。
だが、彼はわずかに角度をずらし、加減している。
殺さぬように。
(加減している……意識的に)
一撃ごとに伝わるのは、鋭く研ぎ澄まされた意思。
そして――
深く、深く根ざした恐怖。
(この子は……何を、そんなにも恐れているのだ?)
――まったく。
老体に鞭打つとはこのことだな。
だが、これはアッシュ様のためでもあり、目の前の彼のためでもある。
「遠慮はいらん」
レイが何か言いかけたのを遮るように、告げる。
「――来なさい」
短く伝えると、彼の眉がわずかに動く。
次の瞬間、砂が爆ぜた。
――斬撃ではない。
拳。
私は防御しながら、年甲斐もなく斬撃に風の魔法を混ぜて応戦する。
彼の剣が吹き飛んだのは、恐らくそれが理由だろう。
レイは何か言いかけていた。
木刀を手放したことで、一時休戦を申し出ようとしたのかもしれない。
だが――
これでいい。
彼の心が、ようやく見え始めたのだから。
レイの攻撃は、さらに猛攻を増す。
重い。
木刀で受け止めた腕がしなり、後退する。
(本気の剣より、素手のほうが恐ろしいとは……)
これは――
(獣、か……)
過去、騎士として魔物と相対した時を思い出す。
あるいは――
(……竜?)
一瞬、そんな単語が脳裏をかすめた。
バリストン家は、竜の血を引くとも言われている。
証拠はない。
だが、力だけが先祖返りするなどということも、あり得なくはない。
確信に近いものが、この手の中にあった。
「……――ここまでだ。これ以上は手合わせの範疇を超える」
風を伴う斬撃で距離を取る。
レイは、動きを止めた。
呼吸も乱れていない。
あれだけの動きを見せてなお、だ。
静かにこちらを見つめる瞳――
そこに、かすかな哀しみが滲んでいた。
(まるで、最初から”終わり”を知っている眼だ。それとも――これで、自らの異常な力が知られたと思ったのか? そんな意味での”終わり”だと、勝手に思っているのだろうか)
ならば、純なものだ。
勝手に背負い、勝手に絶望している。
だが、それがまた――
愛らしい。
アッシュ様が好むのも、頷ける。
私は木刀を降ろし、肩の力を抜いた。
「見事だった。これなら、陛下の隣に立つ資格はある」
「……――っ、過分なお言葉、……ありがとうございます」
震える声。
それは、疲労からではない。
勝てなかった悔しさか。
この力を晒してしまった後悔か。
俯いた顔は見えない。
「うむ。ではまた、機会があればよろしく頼む」
そう言い残し、私は騎士団本部と王城をつなぐ道へ歩き出す。
――竜。
今となっては、伝説の存在。
文官になって以降、国内外の研究家たちと話す機会が増えた。
そこでも、たびたび耳にした。
イグニス王国の、竜にまつわる数多の伝承。
そして、思い出す。
バリストン卿がかつて、「竜に会った」と言っていたことを――。
彼は少々苦々しげだったが。
……この子についても、もう少し調べてみる価値はありそうだ。




