三十七話.仮面の剣試【レイ(セレスタ)視点】
パーティから一日休んで、その次の日。
まだ陽が昇りきる前。
空気はひんやりと張りつめていた。
熱気に溢れる訓練所。
肌に触れる朝露が、かすかな清涼感を運んでくる。
金属の打ち合う音。
気合いの声が交差する中――
私はいつも通り隅に立ち、服装を整えていた。
「おい! レイ!! 一昨日の夜会見たぞ――!」
「はあ……」
案の定、騒がしい赤の竜騎士。
絶対に声をかけてくると思っていた。
ほかの騎士たちも肩をポンと叩き、「おつかれさん」と示してくる。
「で? 花束渡したか? 渡したよな?!」
「渡した」
「よしよし。それだけでおまえとしては一歩だよな。……それと、カーテシーなんてどこで覚えたんだ? あのタイミング……絵になるぜ~。令嬢たち、絶対惚れたぞ」
「……覚えたというよりも――」
(もう一人の私の時に一応仕込まれた、とは言えないしな)
適当に言葉を濁す。
「まあ、ご令嬢方に人気のレイ様だからな。覚えておくに越したことないよな」
まだまだ茶化したりないらしい。
訓練用の木刀を準備する時も、午後の予定を確認する時も、ずっとついてきた。
隊長もまったく注意してくれず、むしろ微笑ましそうに眺めている。
その目は――
「やったな、レイ」とでも言っているかのようで。
私が目配せすると、ようやく口を挟んでくれた。
「カイル、もう少し静かにしてくれ」
「え? いや、隊長も『中々華があるじゃないか』ってあの時言ってたではー?」
「誰に華なんて言われても嬉しくない……」
苦々しく言い返しながらも、どこか――落ち着く。
この空気が、今の私には、少しありがたかった。
――日常だ。
いつも通りの。
一昨日のことを思い出すと、どうしても顔が熱くなる。
(……陛下の、あの言葉……)
思い出すだけで、胸が痛くなる。
隊長が何か言いかけた、その時。
王城側に通じる扉が開いた。
そちらから来る者は、たいてい緊急の要件だ。
我に返る。
入ってきたのは――ヴァルディス卿。
その場にいた隊員たちが、思わず背筋を伸ばし、一斉に一礼する。
私も自然に、背筋を正した。
「誓焔騎士団のレイ・バリストンはいるかね?」
「――は、ここに」
名前を呼ばれ、前へ出る。
ヴァルディスの赤い瞳がわずかに細まり、カイゼル髭を撫でた。
一体、何事だろうか?
粗相をしたのだろうか?
一抹の不安を抱えたまま、次の言葉を待つ。
「第二演習所へ。少し、剣を交えよう」
「……は?」
まさかの言葉に、あっけに取られる。
隊長が、困惑する私を差し置いて説明を始める。
「ヴァルディス様は周知だな? その我が師が、若い騎士を見ておきたくなった。それだけだ。……いいな、レイ」
ほぼ強制参加じゃないか。
隊長がやけに私を見ていたのは、パーティのことだけじゃなく、この手合わせのことも意味していたのかもしれない。
ざわつく周囲。
引退して政務側に回ったとはいえ、その黒と赤の服の下に隠しきれない筋肉質な身体。
頬の傷。
歴戦――いや、今も現役かもしれない。
叔父様とはまた違った、もっと本能に刺さるような威圧感。
ただ陛下の側にいるだけの存在ではない、そんな空気。
「……は」
パーティとは違う、緊張感。
まだ、心の準備が――
なんて、言えるはずもなかった。
右宰相がなぜ? と疑問に思う。
いや、一応”婚約者”だから当然か……と自分に言い聞かせる。
眼前の赤。
鋭く、貫かれる。
陛下とは違う、また別の強さの瞳。
胸の中で、緊張とは別の感情が渦巻く。
――この人にまで、何か悟られるのではないか。
それが、怖かった。
第二演習所へ向かう。
訓練所の奥、屋根付きの砂地。
指導官による稽古や昇格試験にも使われる、比較的広い場所。
第二演習所だけは、一対一で手合いするにはもってこいの環境。
(――人払い、か)
そこまでして、私と剣を交えたいと?
「おまえ、なにしたんだ?」
カイルが困惑したように尋ねる。
私は、首を振った。
正直、私自身もわからない。
その視線を背に受けながら、私は一人、演習所へと足を踏み入れた。




