三十五話.黒殻のひび、仮面の余熱【レイ(セレスタ)視点】
夜の空気は、昼間よりも澄んでいた。
眠る町を、白いルミナリアが控えめな光で包んでいる。
城を出て、馬にまたがり、無心で王都の道を駆ける。
騎士団本部で礼装を脱ぐ暇もなく、私は屋敷へと向かっていた。
頬に夜風が当たる。
気持ちいい。
火照った体には、ちょうどいい冷たさだった。
パーティ会場での陛下の言葉。
カーテシーの瞬間が、頭を過ぎる。
(あああああっ……なぜ、あんな動きを……)
情けなさで胸がぎゅっと締めつけられる。
でも、それ以上に――陛下の言葉が、胸に残っていた。
――『気取った仮面より、今の素顔のほうが――よほど絵になる』
心を見透かされたようで、震えた。
少し、怖かった。
そして、頬を撫でられたとき。
また、甘えたくなってしまった。
傾きかけたのだ。
(でもよく堪えた! 私!)
無いに等しい自制心が、まだ少しは残っていたのだろう。
完全に、セレスタとしての己が出てしまっていたけれど……。
屋敷の門をくぐる。
馬を降りて、足早に屋敷へと向かう。
しかし、叔父様の姿は見当たらなかった。
玄関の扉は、軽く破壊した。
使用人が慌てて駆け寄ってくる。
謝罪して、その場を任せる。
(ぐう……)
――そうだ。
あの時は取り繕うことに必死だったけれど……
陛下の身は、大丈夫だっただろうか?
腰や手にも、触れていた――。
いや、それ以前に……
イヤリング、カーテシー、炎……。
思考がぐちゃぐちゃに乱れて、まとまらない。
屋敷の使用人たちが軽く頭を下げてくる。
それを無視するように、私は足を速めた。
(今は誰とも話したくない……っ)
そして、廊下の角――自室の扉を、勢いよく――
――ドガァン!
「ゥ……っ!?」
壁と扉が完全にさよならした。
また使用人が駆け寄ってくる。
しかし、私は軽く手を上げて制した。
「大丈夫。あとで直す。今日はもう休む。叔父様が戻ったら、そう伝えて」
そう伝え、侍女が頭を下げるのを見届けると、私は壊れた扉を無理やり嵌め込み、部屋へ入った。
ドアノブだけが、コトリと床に落ちた。
それを一瞥するだけで、礼服を崩し――
「……はあああああああああ!!」
大きく息を吐く。
そのまま背中からベッドへダイブする。
さらにころりと転がって、枕に顔を押し付けた。
(なんで……っ。あんなの見せちゃったんだろう……)
騎士としては、カンペキであるべきだったのに。
仮面を被ったレイとして、いつも通り押し通せばよかった。
それなのに――。
陛下の前では、どうしてもぱきぱきと黒いものが剥がれ落ちてしまう。
(よりによって……)
脳裏に鮮やかに浮かぶ。
ルミナリア。
カーテシー。
湧く令嬢たちの声。
女王の声。
炎。
笑み。
(美しいなんて、ずるい)
ずっと頭を巡る。
熱がまた、顔に昇る。
眠れない。
胸が痛い。
着替えようと立ち上がる――
……が、ふと気づく。
変身の魔法が、解除されていない。
姿も、声も、レイのままだ。
(そうだ。叔父様がいないから……)
本来なら、帰宅と同時に出迎え、解除してもらうのだ。
叔父様も、今夜はパーティに出席していたはず。
全然、気づかなかった。
それどころじゃなかった。
……でも。
今夜は、このままでいいかもしれない。
枕からようやく顔を離す。
手袋を外し、頬杖をつく。
……陛下は、大丈夫だっただろうか?
本来、私は力を抑えることを常に意識していた。
けれど、今夜は無意識すぎて、帰還後も物を壊してばかりだ。
でも、あの時は忘れていた。
必死だったから。
ただ、陛下の手に触れたくて。
あの熱に、溶けたくて。
――また、あの炎の隣にいたくて。




