二十八話.紅の帳、青の檻【ヴェラノラ視点】
翌朝。
騎士団本部は騒然としていた。
静かだったはずの薄明。
緊迫した空気に包まれていた。
「な、なんだこれは……」
牢の前に立つ騎士たちの顔は、蒼白だった。
昨夜の襲撃者を閉じ込めた牢。
牢の鉄柵が、外側から無理やり押し曲げられたように、ぐにゃりと歪んでいた。
――ちょうど人一人通れるような。
その隅に転がるのは、炭のように黒く焦げた死体。
監視をしていたはずの、見張りの騎士は気絶したまま床に倒れていた。
調査の結果、魔法による干渉――特に精神操作、記憶操作などの痕跡が見つかったが、それ以上は不明。
「審問の予定だったのに……クソ。これじゃ、何も引き出せないじゃないか」
騎士たちは苛立ち報告書に手を走らせた。
その中にいた一人の若い騎士が、牢の柵と残された焦げ跡を見て、震えながら呟いた。
「……これは、人間の力じゃ……ない……」
***
「――――というのが今朝、報告にあがりました仔細です」
ヴァルディスの低く重い声が静かな謁見の間に響く。
ややあって、ざわりと文官が騒ぎ出す。
彼の指先が手元の報告書を叩くと、紙の端がわずかに揺れた。
私は黙って書類を受け取る。
視線をおとしながらも、その内容は既に頭に入っていた。
……牢の中で捕らえた襲撃者が焼け焦げて発見されたということ。
「ふむ」
短く返して、ページを捲る。
その間にもヴァルディスは文官たちに今日の日程を伝える。
(柵と焦げ跡からは魔道反応なし、唯一通路には精神操作系の魔法反応は微弱にあり……か)
それはつまり――。
誰かが、反応を完全に消したということ。
そして、魔法なしで牢の柵を捻じ曲げて、焦がして……?
それほどの魔術を使えるものなど、この国にそうはいない。
私が熟考していると、既に朝の集会は終わりを告げた。
文官が退出した後。
ヴァルディスが私と二人だけになってから再び尋ねた。
「くだんの件。ご判断を。……この件は事件として処理しますか? それとも、不可抗力という名目で?」
ヴァルディスの問いかけは穏やかだったが、静かな剣呑さが見え隠れしている。
私は一拍置いて、答えた。
「不可抗力、で構わん。もとより審問にかける相手でもなかったのだろう」
「承知しました」
淡々と頷くその顔に、一切の動揺は見えない。
――あの焼け跡と曲がった柵に残る形。
庭園の抉れた地面と投げ出された樹木。
……そんなことはない。
私を心から助けていた。
あれに偽りはないはずだ。
私はそっとひじ掛けに乗った片方だけのイヤリングを撫でる。
庭園では外して正解だった。
しかしまだはめ直せずにいる。
視線の端。
王座の隣にある火皿に目をやる。
この書類――燃やしてしまえばなかったことにできる。
だが、それはまだ早い。
「アッシュ様?」
ヴァルディスの声で我に返る。
彼はじっと私を見ていた。私の意向を確かめようとする瞳の光。
「この件、何か……お気づきの点が?」
言葉を出さない私の代わりに、聞いてくる。
(そうだ……気づいている。だが、まだ言えない)
「……いや。考えすぎだろう。まだ、確信を得るための材料が足りぬ」
レイ――。
あの時確かに私の炎に包まれていた。
烈火に触れながら、彼は火傷一つ負わなかった。
私の加減ではない。
だが、どうしてだ?
私は知っている。
魔法が許すのは、限られた者だけ。イグニス人だけ。
それでも王族の炎に焼かれて無事だったものなんて記録さえない。
(あの力もそうだ。――あれが、過去と繋がるものであったなら……)
指で遊ばせていたイヤリングをつける。
「とりあえずは、パーティか。今更中止にはできない。警備は頼んだぞ」
話題を切り替える。
ヴァルディスが頷き、控えめに口許を緩める。
「心得ております。お望みとあらば、空にでも剣を投げましょうぞ」
「ほどほどにしてくれ……」
謁見の間の柱に巻かれたルミナリアの光がわずかに揺れる。
その暖かさを感じながらも、私はどこか遠くを見た。
次に会うのはおそらくパーティ。
彼と顔を合わせる時のことを、ぼんやりと思い描く。
(そろそろ、打ち明けてもよいのだぞ? 私が全て燃やしてやる)
グッと拳を握る。




