二十話.焔のささやき【レイ(セレスタ)視点】
言われた通りに従う。
素直座ってくれたのが嬉しいのだろうか。確かに私は逃げ癖があるとは自負しているが……。来てしまった以上、腹を括っている。
せめてボロは出すまい。
「甘いものは問題ないな?」
紅茶が注がれ、甘い香りがふわりと立ち上る。
「ほら、私のお手製だ」
「あ、ありがたく……」
――しまった、まずい。
どうする?
絶対壊れるぞ。
手は伸ばせない。
私はその揺らめく紅茶を見るしかなかった。
陛下は先に紅茶を嗜んでいる。
目を瞑って一気飲みしているようだ。
(豪快だ……)
何をするにも破壊が困るので、陛下を眺めることにした。
今日は毛先だけ三つ編みにしている。
金飾も綺麗で――。
「飲まんのか? レイ」
陛下が私に気づいてしまった。
……どう言い訳しようか。
「いえ、……失礼しました。熱そうだったので」
言い訳にもならない。
手を伸ばす気にもなれないが――仕方ないと手を伸ばす。
指先が震える。
(力加減ができない。持った拍子に……また)
昔触れるものすべて壊したことがある。
最近やっと布と鎧は克服したのだ、やっと。
ほかは触れたくても、怖い。
――陛下の前で何かを壊すのが怖い……。見せたくない。
もう一人の私が顔を出す。
そんな沈黙を見逃さなかった。
「ああ、そうかそうか」
「……」
バレたか……。
顔を伏せる。
「では今日はこうしよう」
「?」
そう言って、陛下は自分のティーカップに再び注ぎ、椅子を私に寄せる。
優雅な所作で見惚れてしまう。
私の前でティーカップを持ち。
「――あ、ホラ、口を開けよ」
「は……っ?」
「まさか飲ませてもらうのも初めてか?」
「そ、そそ、それは……! へ、陛下そこまでなさらなくとも……」
「ふふふ」
やけに楽しそうだ。
陛下の顔が近い。
頬が熱い。
口に熱い縁がつく。
「――ん」
「ほら、溢すなよ?」
「……」
後は飲むのに必死だ。
ふわりと紅茶の香りが口に広がる。
喉が動いていくのも、カップには触れずに添えている手が震えているのも全部見られている。
恐らく耳まで真っ赤なことだろう。
「よしよし、おいしかったな」
ようやく半分無くなってからカップは離れていった。
随分満足そうな陛下の表情に再び顔が火照る。これ以上火照ると火でも出てきそうだ。
(こんなにされたら、私は……)
距離を取れなくなる。
忠義と秘密とよくわからない感情が解けて別の何かになりそうだ。
いっそ秘密も打ち明けて溶けてしまおうか。
「はい……。おいしいです」
辛うじてそれだけ言えた。
己を褒め称えたい。
(どうして優しくするのですか……陛下)
聞けるはずのない問い。
頭が痛くなる。
「ふふ……やはり、おまえは甘やかし甲斐がある」
紅茶よりも甘くて、炎よりあたたかい。
陽だまりの眼差しで私を見つめてくる。
しかし、どうしても目を背けてしまう。
不敬だとわかっているのに――。
「少し、身の上話でもしようか?」
「は……」
まだ、恥じらいが胸に残っている。
果たして、ちゃんと話せるのか――。
「まず、私のことを知ってもらわねばな。……私も両親はいない。兄が遠く異郷の地で将軍をしている」
陛下に仕える身だ。
知らないはずがない。
兄が“雷公”と呼ばれていることも。
兄妹揃って、強い炎を持つことも。
何度、その輝きに魅せられたことか……。
「……」
「おまえは?」
「わ、私、ですか?」
絶対に、調べられているはずだ。
紅茶を飲まされるという、もうひとりの私さえ経験したことのないことをされたのだ。
ちゃんと答えられる自信などない。
のらりと躱すことにした。
「……ご存じでは?」
「私は、おまえの口から聞きたい」
「っ……。り、両親は、他界しています。父は、行方知れず……らしいですっ……」
「お互い、同じだな」
ふわりと笑う。
同じ――。
陛下と。
私が。
お揃い。
いやいや。不敬だ。不敬。
心の中で、必死に騒ぎ立てる。
「剣技は誰から?」
「叔父様……ノル様です」
「ほう。……まあ、宰相も昔は騎士団だったしな。遭難してからは文官となったが」
「そう、なのですね」
一通りの会話が終わる。
陛下は再び、私に紅茶を差し出してきたが――やんわりと断った。
「残念」と小さく呟き、代わりに自身の唇へとカップを運ぶ。
……どうやら、諦めてくれたらしい。
肩から、力が抜けた。
今度は、小さな焼き菓子をつまみ、私にそっと差し出してくる。
「これは他国の者から貰ったのだ。ほら」
「?」
「おまえは”あーん”も知らないのか?」
「ぅ! い、いえ……それは」
逃げられない。
「記念すべき一口目だ。口を開けよ、レイ?」
「……はひ」
再び口を開いた。
小さな価値が口許に触れる。
固いものかと思ったら案外柔らかいそれに……甘い。
味だけじゃない。
陛下の優しさ。視線。全てだ。
……くらくらする。
頭が痛いし、真っ白になる。
「お、おいしかった、です」
「うん。そうかそうか。それは良かった」
とても満足そうだ。
私は与えられたものが本当に腹に入ったのか分からないくらい、分からなくなっている。
そうしてその後も頭痛が重なる中。
陛下の手から与えられていった。
私が燃え尽きてやっと終わりを告げた。




