十二話.火種が落ちた日【レイ(セレスタ)視点】
数日後。
巡回が終わった後。隊長が詰所へ戻るなり、短く指示を飛ばした。
「急遽、外部からの外交官が王都入りする。護衛は誓焔騎士団が行う。全員、装備の再確認を」
その声に空気が一変した。
噂の鎮まりかけた空気が再び騒がしくなる中、私も言われた通りに装備を整える。
「なにかあったのか」
カイルがカラカラ笑った。
先日のことなど忘れたかのように私に絡む。
「昨日、あの“件”で冷遇された要人が癇癪起こして帰ったとか噂になってたけど……まさか、その人戻ってきたんじゃないか?」
(……陛下に、婚約を断られた件の相手か)
「ア、やっぱり! 国境付近のホテルに泊まったってく聞いたけど、また来たんだなあ。一応収穫を持って来いってこと言われたんだろうなあ。大変だねえ、外交官は」
書類か時事でも確認したのだろう。
カイルの言葉が耳から耳へ外に流れていく。
「よく海からじゃなくて陸路から来たなぁ」などとも言っている。
イグニス王国は確かに火山の付近の、大国にしてみれば、小さな都市。陸路は険しい。海路しかない。
少々気にはなる。
が、カイルの話には適当に相槌を打つ。
――陛下にまた会いに……?
いやいや、外交官なら交渉の場で会うことは普通だろう。
(この感情は……一体)
思わず指の力が強まる。
小手部分の鎧が砕ける音がした。
隊長がそれぞれに各所への警備を指示していく。
私とカイルは要人の馬車という一番重要な場所であった。
(せめて、私情を挟まないようにしないとな…)
誰にも気づかれないようなため息を吐いた。
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要人一行は、馬車数台に従者と部下数名を従え、城下の大通りを進んでいた。それ以外にも配置してあるはずだ。
騎士団は三手に分かれ、私は主馬車の側を護衛する役を任された。
馬車の中から、窓を少しだけ開けて顔を覗かせた男は、整った服装をしているのに、どこか余裕がなかった。
「……まったく。この程度で拒まれるとは。女王というのは、どこもわがままなのでしょうかね」
「ほんとだよ。ね、ラザリ」
「はあ……。君が婚約したいとかいったから……仕方なく交渉内容を変えて――……そうだ代わりに古書でも貰いましょうか」
「竜なんでしょ? 女王は」
「違います。……はあ、とにかく君は少し黙っててくれ」
私に向けられたというより、従者への愚痴。内容の確認。
聞き流せばいい。いや、普段なら気にならない。
――なのに。
……わがままだと?
その一言が、なぜか喉元で引っかかった。
手綱を握る手に力がこもり、革がぎち、と軋む音がした。
意味もわからず、怒りがせり上がってくる。胸の奥が、ぐらぐらと熱い。
(……なんだ、これは)
戸惑う。
頭ではわかっている。私は騎士だ。
冷静であるべきだ。
けれど、どうしても腹立たしかった。
あの人が、どれほどの重責を背負って、あの玉座にいるのか。
誰よりも国を想い、誠実で、堂々としていた。
なのに、ただの政治駆け引きで、その姿を“わがまま”と吐き捨てるのか。
(……こんなにも、怒りを覚えたのは、いつぶりだ?)
まるで、胸の奥に火種が落ちて、静かに燻っていたものに火がついたようだった。
今までの私は、ただ「守らねば」と思っていた。
だがこの瞬間、「侮辱させたくない」と、はっきり思ったのだ。
それはきっと――“忠義”とは、少しだけ違う感情だった。
「……何を言っても無駄なのか……? “炎の姫君”が、こちらに靡くとは思えないし。……しかしまだ交渉の余地はある……はずだ。僕は、ちゃんと善きものを持ってきたのだから」
嗤う従者に言うでもない、独り言。
私は沈黙を守りながらも、その言葉の一つひとつに、小さなざわめきを覚えていた。
(……本当に、交渉の余地などあるのか?)
それよりも、陛下がこの相手にどう対応するのか――私はそれを見届けたくなっていた。




