自分ざまぁの底から〜悔恨と贖罪
荒涼とした崖下の吹雪は、容赦なく積もり続けていた。
ジュリウス・ラインフォードは深い雪の中で意識を失っていたが、偶然通りかかった旅の民に救われ、近くの集落へと運ばれた。
そこは山間にひっそりと建つ小さな村で、吹雪の被害が少ない地形を頼りに生計を立てる者たちが暮らしている。
村の長老の家とおぼしき木造の建物で、ジュリウスは粗末な寝台に横たわっていた。
周囲を取り囲むのは暖炉のかすかな火と、雑多な薬草の匂い。
頬にはまだ冷気の名残があり、胸や腕、足に痛みが走るたび、傷の深さを思い知らされる。
「生きているのが奇跡と言っていい」
そう呟いたのは、旅の民を名乗る男だった。
彼は褐色の肌に独特の布をまとい、慣れた手つきでジュリウスの包帯を取り替えている。
「崖下で見つけた時は、もう駄目かと思った」
男の穏やかな声には、不思議な温かみがあった。
ジュリウスは体を起こそうと試みたが、鋭い痛みに耐えきれず歯を食いしばる。
「おとなしくしていろ」
男はたしなめるように言い、薬草の湿布を軽く押さえた。
「少なくとも数日は安静にしていなきゃ動けない」
ジュリウスは鼻を鳴らそうとしたが、うまくいかない。
自分の体がこんなにも言うことを聞かないなんて屈辱的だった。
数時間ほど寝台で横たわっていると、村人らしき老女が薬湯を運んできた。
彼女は優しく微笑み、ジュリウスの唇に湯を含ませるように匙を運ぶ。
唇に触れる熱い薬湯は、体の芯を少しずつ温めるようだった。
しかし彼の内心は不快でしかない。
傲慢に振る舞っていた自分が、こんな見知らぬ者たちの世話になるなど。
翌日、外の吹雪がようやく収まった時分、旅の民の男がまたやってきた。
「村の者たちは、随分前からあんたの話をしている。
名家の出らしいが、何やら評判が芳しくないそうだ」
その一言に、ジュリウスは眉をひそめる。
「俺の名を知っているのか」
男は肩をすくめ、荒れた指で彼の髪をかき上げてやる。
「ラインフォードの家名は、あちこちで耳にするさ。
だが聞く話では、あまり好かれていないらしい」
ジュリウスは無言のまま天井を見つめた。
ここまで全身を痛めつけられ、崖から転落し、それでも生き延びた。
なのに仲間や周囲は誰一人として助けに来ない。
それがまるで当然だとでも言わんばかりに、この村の人々は淡々と彼を世話している。
やがて薄暗い記憶の底で、雪山の崖際でアストリッドやノア、エヴリンの姿が遠ざかっていく光景が蘇った。
「どうして、誰も俺を助けに来なかった」
ぼそりと呟くと、男はしばし黙った。
それから少し困ったように笑みを浮かべる。
「救おうにも、危険が大きすぎたんだろう。
あんたの仲間も無茶をすれば崖下に落ちかねない状況だったらしい」
ジュリウスは黙って受け流そうとしたが、胸の奥にかすかな痛みが宿る。
翌日から、彼は村人や旅の民から様々な噂を耳にした。
気位ばかり高く、仲間を顧みない冒険者がいるという話や、エイレア大陸でも独り善がりの者は恨みを買うという話。
彼らにはジュリウスを責め立てるような意図はないのだろう。
しかし、その何気ない言葉の全てが胸に突き刺さる。
「俺のせいで、周囲がどんな目にあっていたのか」
頑なに認めようとしなかった自分の過ちが、ここまでに膨れ上がっていたのかもしれない。
いつもなら「関係ない」と一蹴していただろうが、今の体では何もできない。
悔しさと自己嫌悪が入り混じり、静かに唇を噛んだ。
三日目の朝、やや身動きが取れるようになったジュリウスは、旅の民の男に自分で包帯を巻こうと申し出た。
男は少し驚いた顔をするが、やがて笑う。
「気力が戻ってきたようだな」
ジュリウスは「当たり前だ」と言いかけて、喉に言葉を詰まらせた。
どこか、今までのように大言壮語ができなくなっている自分に戸惑いを覚える。
夕方になると、村の老女がまた薬湯を運んできた。
ジュリウスは少し遠慮するように、静かに椀を受け取る。
その様子を見て老女は笑みをこぼす。
「少しは力が出たかい。
あんた、随分と頑固な目をしているが、人を寄せつけないほどではないね」
そう言われても彼は答えられず、両手で椀を包んだまま視線を落とす。
この小さな村の人々は、ジュリウスの素性を分かった上で世話をする。
名家であろうと、それがどうした、という表情ばかりだった。
ただ命を救うことを当然だと捉えているに過ぎない。
彼はその純粋さに、初めて罪悪感のようなものを感じ始めた。
四日目、ようやく上半身を起こして歩く練習を試みるが、足に激痛が走り思うように進めない。
壁につかまってよろめいたところを、旅の民の男が支えてくれた。
「人に頼るなんて癪かもしれないが、今は耐えろ。
自分を守る術がない時ほど、他者の手が必要になるものだ」
ジュリウスは思わず舌打ちしそうになったが、言い返す言葉が見つからない。
それからさらに数日が過ぎ、ジュリウスは立てる程度には回復した。
村人たちや旅の民が手を貸してくれたおかげで、傷もだいぶ癒えている。
だが、それ以上に変化したのは彼の心だった。
この村で聞かされた自分の評判や、誰も救助に来ない現実が、彼に小さな疑問と後悔をもたらしている。
「本当に、俺は仲間を見下してばかりだったのか。
そうかもしれないな…」
寝台の上で呟くと、冷たい床板の感触がやけに鮮明に伝わる。
過去の言動を思い返すたび、胸が重くなった。
数日後、歩けるようになったジュリウスは、旅の民の男に送られて村の外れへ出る。
そこから先は雪が解け始めた細道が続き、街道へと繋がっているらしい。
男は最後に言葉を掛ける。
「仲間がどう思っているかは知らないが、あんたが戻りたいなら、戻ればいい。
もう一度会いたい相手がいるなら、そうするべきだ」
ジュリウスは黙ったままうつむく。
顔を上げると、男は笑みを湛えて見送る。
そして村人たちが手を振る姿も見える。
彼は何とも言えない感情を抱えながら、ゆっくりと足を踏み出す。
かつてのような強気な姿勢はなかったが、少なくとも自分の過ちに目を背けない決意だけは感じられる。
村から離れる道すがら、心の中に「誰も助けに来なかった」という現実が渦巻いていた。
これが自業自得なのかもしれないと、ほんの少しだけ思い始める。
自分が積み上げてきた傲慢が、こんな形で返ってくるとは。
しかし、まだ終わりではない。
そして、逃げ出すわけにもいかない。
ジュリウスは独りきりの帰路を歩きながら、痛む足に耐えつつも前へ進んだ。
ここで立ち止まっていては何も変わらない。
ようやくそう思えるだけの力が、今の彼には残っていた。