力への過信〜破綻の序曲
森の薄暗い小道を抜けると、視界が急に開けた。
地面はひび割れ、枯れかけた草がまばらに生い茂っている。
獰猛そうな魔物の唸り声が遠くから響き、血の臭いまで漂うようだった。
それでもジュリウス・ラインフォードは少しも臆することなく、むしろその荒涼とした光景に愉悦を感じていた。
「ここなら思う存分、暴れられそうだ。
あの村人たちも腰を抜かすだろうな」
深い青色の瞳には自信の色が濃く映っている。
アストリッド・ロウレンスが鋭い銀色の瞳で周囲を警戒しながら、低い声を投げかけた。
「一度は下見をすべきだ。
魔物の数も状況も把握しないまま突っ込むのは危険だぞ」
しかしジュリウスは眉一つ動かさず、短く鼻を鳴らした。
「俺の実力をもってすれば、どれだけ集まろうが関係ない。
敵が多いほどやりがいがあるというものだ」
その傲慢さは聞く者の心を逆撫でするほどで、アストリッドは密かに歯を食いしばる。
ノア・ディアスは杖を握りしめ、気まずそうに目を伏せた。
「魔物が群れを成しているなら、回復魔法だけじゃ追いつかないかもしれない。
少なくとも陣形を考えないと、僕たちも危ないよ」
「大袈裟だな。
俺が前に立って斬り伏せれば済む話だ。
お前は後ろで取りこぼしでも片付けておけ」
ジュリウスの一方的な指示に、ノアは言いたいことを飲み込むしかなかった。
エヴリン・ローズウッドはツインテールを揺らしながら、やや呆れた調子で舌打ちする。
「魔物の習性くらい調べてもいいのに。
この森、いろんな情報が出回ってたでしょ?
強い個体がリーダーになってる可能性だってある」
それでもジュリウスは片手で剣の柄を叩き、取り合おうとしない。
「強いリーダーがいるなら、それこそ格好の獲物だ。
俺の名をさらに高める好機じゃないか」
挑発というよりは純粋な自信に浸るような声音で、まるで危機感は感じられない。
アストリッドがかすかに息を吐いた。
「いつまで自分だけの力を信じて突っ走る気だ。
被害が増えれば、守るべきものも失われる」
「知ったことか。
守る守らないはお前の得意分野だろう。
俺は俺で、自分が勝利を掴むために動くだけだ」
彼女が鋭く目を光らせても、ジュリウスは悠然と歩き出す。
周囲には奇妙なほどの静寂が広がり、幾つかの影が茂みの奥で動いているのが見えた。
「来るぞ」
ノアが警戒の声を上げた瞬間、黒い獣の群れが土埃を舞い上げながら飛び出してくる。
それは大型犬に似た獣の魔物で、牙が異様に長く、目は血走っていた。
アストリッドが剣を構え、素早く防御態勢を取ろうとする。
エヴリンも矢をつがえて狙いを定める。
だがジュリウスは彼女らより早く、二刀流の構えを見せる。
「こんな雑魚をいちいち警戒する必要はない。
俺が一瞬で潰してやる」
彼は片方の剣に魔力を帯びさせ、高速詠唱で火の魔法を付与する。
瞬く間に赤い光が剣先を覆い、獣の魔物が一斉に唸り声を上げて突進してきた。
アストリッドが「囲まれないように動け」と指示を飛ばすが、ジュリウスは耳を貸さない。
むしろ一直線に敵のど真ん中へ飛び込み、火の刃を振るい始めた。
「これで終わりだ!」
自信満々の声とともに獣たちの前衛を切り裂く。
立て続けに数体が地面に倒れ込み、魔物の群れがひとまず後退する。
周囲に焦げ臭い臭いが立ち込め、ノアは杖を握る手に冷や汗を浮かべながら呟いた。
「さすがにあの剣技はすごいけど、今ので刺激したんじゃ…」
エヴリンも視線を遠くに走らせる。
「群れの奥に、もっと大きなのがいるみたいよ。
見たこともない獣…」
アストリッドが舌打ちし、急いでノアに声をかける。
「私が前に立つ。
あなたはジュリウスが危険に巻き込まれる前に回復の準備を」
しかし、当のジュリウスは「危険に巻き込まれる」という台詞を聞き咎めたかのように振り返る。
「余計なお世話だ。
どうせあの奥にいるのも同程度の獣だろう。
まとめて灰にしてやるさ」
その傲岸不遜な態度に、エヴリンがついに苛立ちを口にする。
「いい加減にしてよ。
あんたが暴走したせいで、こっちも危ない目に遭いかけてるのに」
ジュリウスは肩をすくめ、火の魔力をさらに剣に帯びさせて笑う。
「危ない目なんて大袈裟だ。
俺がいるのに被害を受けるとしたら、お前らの動きが遅いだけだろう」
きつい物言いにエヴリンのツインテールが揺れ、彼女は怒りを飲み込めず矢を番えたまま睨む。
「そんな口を利くなら、一度痛い目を見ればいいのに」
その直後、森の奥から異形の魔物が姿を現した。
先ほどの黒い獣よりも一回り大きく、縦に裂けたような口を持つ異様な存在だった。
ノアが顔色を変え、すぐに回復魔法の詠唱に入る。
「これまでの相手とは格が違いそうだ。
ジュリウス、本当に慎重に…」
「いいや、ここで引くわけがない。
俺が首席合格者だということを、その化け物に叩き込んでやる」
彼はアストリッドの制止を無視し、派手に跳躍して魔物の横腹に斬りかかった。
すると獣の魔物とは比べ物にならない硬い鱗が剣を弾き、逆に強烈な爪がジュリウスを襲う。
鋭い衝撃音とともに地面が抉れ、アストリッドが駆け寄ろうとするが、複数の小型魔物が邪魔をする。
エヴリンが次々と矢を放ってフォローしようとするも、ジュリウスは一瞬の硬直を見せたあと反撃に転じた。
「俺が、こんなところでやられるはずがあるか!」
歯を食いしばりながら魔力を込め、火の爆発で魔物の横腹を吹き飛ばす。
轟音と煙が辺りを覆い、ノアが息を呑む。
「すごい威力だ…でも危なすぎる」
アストリッドが剣を握りしめ、煙の中に突っ込もうとする。
その時、ジュリウスの声が響いた。
「お前らの手出しは要らない!
これは俺が勝たなきゃ意味がないんだ」
煙の隙間から、深手を負った魔物が吠える。
ジュリウスも軽い裂傷を負っているが、まったく意に介さない表情で魔力を再び練り上げた。
ただ、その呼吸が微妙に乱れているのをアストリッドは見逃さなかった。
「ここまで傷を負いながら……」
彼女が食い止めに入ろうとするも、ジュリウスは最終打撃を放ちにかかる。
ノアは慌てて「頼むから少し下がって」と叫ぶが、ジュリウスは聞こえないふりをして二刀を振り下ろす。
渾身の火の魔力を帯びた刃が魔物の皮膚を抉り、凄まじい衝撃波が周囲の樹木をなぎ倒した。
魔物は絶叫のような咆哮を上げ、ついに力尽きる。
凶暴な存在を打ち破った達成感からか、ジュリウスは荒い呼吸を整えつつ満足げに笑う。
「見たか。
お前たちが苦戦すると決めつけていた相手を、俺はこれほど容易く倒せる」
彼の胸は血に濡れているが、本人はまるで勝利の勲章でもあるかのように誇示する。
ただノアの回復魔法がなければ、彼は確実にもっと深刻な傷を負っていただろう。
エヴリンが呆れたように舌打ちしながら言葉を吐き出す。
「勝ったのは認める。
でも無茶苦茶よ。
あんたが一人で暴れたせいで、私たちも巻き込まれかけたんだから」
ジュリウスは薄い笑みを浮かべたまま、刃についた魔物の血を振り落とす。
「俺が確実に勝つとわかっていたからこそ、あの程度で終わったんだ。
弱い者ほど口出しが多いな」
エヴリンの眉が跳ね上がり、アストリッドも唇を噛む。
ノアは回復呪文でジュリウスの裂傷を塞ぎながら、小さく溜め息をつく。
「どうにか大きなケガは避けられたけど、もう少し協力できなかったの?」
ジュリウスは鼻で笑い、剣を鞘に収める。
「余計な連携なんか必要ない。
むしろ俺の邪魔をしないように動けばいいんだ」
やがて森の魔物が落ち着いたと判断し、パーティは一旦村へ戻ることになった。
農道を進む途中で、エヴリンが苛立ちを隠せないまま声を張り上げる。
「これ以上、一緒にやってられないわ。
あんたのせいで次に何が起きるかわかったもんじゃない」
ジュリウスは軽く眉をひそめ、「好きにすればいい」と返す。
彼女は「本当にそうするからね」と啖呵を切って先に歩き出し、ノアが慌てて後を追いかけた。
アストリッドは複雑な表情で二人を見送り、肩の力を抜くように深呼吸する。
ジュリウスはどこ吹く風だ。
村に戻ると、討伐を終えたという報告を聞いたガーランドから次なる依頼の情報が伝えられる。
「かなり手こずる難度の高いクエストが舞い込んでな。
本来なら経験豊富な者たちを派遣するべきだが、適任者が足りない」
ガーランドの声には苦渋が混ざっていたが、ジュリウスはすぐに応じる。
「まさに俺にぴったりじゃないか。
大物ほど俺の力量を示す好機になる」
支部長の表情には疑問が滲むが、ジュリウスの決心は揺るがない。
アストリッドが険しい面持ちで「お前はどう考えている」と問いかけると、ジュリウスは悠然と笑みを浮かべる。
「俺の評価を高めるには絶好の依頼だろう。
嫌なら降りてもらって構わない。
俺一人でもどうにかなるさ」
その姿はますます傲慢に映り、周囲から不安の囁きが増していく。
村人たちもあまりの独善ぶりにやや引き気味だ。
だがジュリウスは満足げにマントを揺らし、視線を遠くに向けたまま準備を進めようとしていた。
アストリッドはわずかに目を伏せ、言葉を飲み込む。
ノアとエヴリンは、もう彼のそばを離れたいという思いを持ち始めている。
それでもジュリウスは、自分だけを信じていれば勝利は揺るがないと確信しているようだった。
森の消え残った瘴気が肌に張り付き、あちこちに焦げた跡や破損した場所が散見される。
それはまるで、ジュリウスの戦い方そのものを象徴しているように見えた。
パーティは分裂寸前のまま、次なる戦いに向かって進まざるを得ない。