デベロッピング(不可解な視点)
忠国警備シリーズサイドストーリー。クラウンの話。
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その日クラウンは、本当に寝込んで仕舞った。熱が出て、一晩中厭な夢に魘され続けていた。近在の者達の認識の様が漏れて来て、クラウンの周りを取り巻くので、気が休まらない。神田が去って多少軽くなったとは謂え、それでも以前より過敏になって仕舞っている様なのだ。翌日の約束をキャンセルし、一日引き籠ることにした。
翌朝になって多少は楽になった。熱も下がった様で、取り敢えず起き出して来ると、前日程周囲の雑音が気にならなくなっていた。相変わらず近所の人達の認識は見えているのだが、壁の染みか何かと同じ程度に無視出来る様になっている。何気なくサタンの病院の方を向いた。流石にそこ迄は見えないか。取り敢えず目を閉じる。何だか朝から、酷く疲れているのだ。
すとんと落ちる様に眠りに就き、数分寝たと思ったら、インタホンの音で目が覚めた。大分疲れも取れてスッキリしている。時計を見たら、昼を回っていた。如何やら数時間寝ていた様だ。ドアの外に気を遣ると、赤鬼が居ることが判った。赤鬼が視えたのだ。赤鬼が見ているドアも視える。これは赤鬼の視覚か。他人の感覚を覗き見出来る様だ。然しそれにしても、赤鬼を見ているこの視覚は誰のものだ?
クラウンは布団から起き出して、ドアを開けた。其処には赤鬼一人しかいなかった。
「なんや、一人かいや」
「他に誰がおんねん」
それもそうなのだが。サタンはまだリハビリ中だし。それなら先刻の視覚は、本当に何だったのか。
「もう具合はえゝのんか」
「おう、たっぷり寝たわい」
「えゝ御身分やのう」
「なんか済まんかったな」
「えゝわい」
赤鬼は勝手に部屋に上がって来て、炬燵の上にコンビニの袋を置いた。
「差し入れや」
クラウンが中を改めると、カップ麺と発泡酒が入っていた。
「お前……見舞いに何持って来てんねん」
「いらんか?」
「寧ろこれしか要らんわ」
「せやろ」赤鬼は笑った。「大体見舞いやのぉて、差し入れやっちゅうに」
「なんのこっちゃい」
「抑々病気やないやろ。単なる疲労やろ。そう自分でゆうたやん」
「まあそうなんやけど……昨夜は熱も出てたしな」
「なんそれ、聞いてへん」
「云うてへんかったぁ」
「おまえな」赤鬼はまた笑った。「サタンが宜しくってよ」
「吁、ありがとう」
「えゝて」
「そう云やサタンって、未だ本物のポンタが来たと思ってるの?」
「思っとるで。夢壊さんたってや」
「はぁー、純真なんやなぁ」
その後暫く世間話をして、赤鬼は帰って行った。如何も差し入れを持って来る為だけに来たらしい。サタンが入院している所へクラウン迄倒れたので、心細かったのかも知れない。元気なクラウンを見て一先ず安堵した様な感じだった。
赤鬼が帰った後、クラウンは気になっていたことを試してみた。
赤鬼の視覚を覗く。駅へ向かっている所だ。これは確かに赤鬼の視覚だ。其処から視点をずらしてみる。赤鬼の後頭部が視える。――これだ。これが何なのか理解出来ない。一回熱が出て引いた後からだと思う、こんなものが視える様になったのは。何か動物や昆虫の視点か? それにしては自由自在に操作が出来る。俯角も取れるし、仰角も取れる。右に左に移動出来るし、正面にも回れる。ずっと赤鬼を監視し続けられる。そんな都合の良い生物が赤鬼の周りに居るか?
クラウンは視るのを辞めた。考えたって判りゃしない。次に神田に逢った時にでも聞いてみようと思う。何となく神田なら、答えを識っていそうな気がした。
それにしてもあの神田と云う男、結局何者なのだろう。クラウンはハンガーに掛けたジャケットのポケットを弄り、神田の名刺を取り出した。忠国警備株式会社。特殊対策部、第一警備課、EX部隊長。神田真一郎。そうか、隊長なのか。でもクラウンが第一号の様なことを云っていなかったか。隊員の居ない隊長か。発足したばかりなのかな。EXって何の略なんだろう。
何気なくひっくり返してみたが、裏面には何も印字されていなかった。特に意味も無く眺めていたら、真っ白な紙面にぼんやりと何かが浮かび上がる。目を凝らすとそれは愈々判然として来た。其処には赤鬼が居た。赤鬼が玄関先に居る。ハッとして顔を上げたが、ドアの外には誰の気配もしなかった。念の為開けてみたが、矢張り誰も居ない。ドアを閉めると首を傾げながら名刺を卓上に抛り、炬燵に潜り込むと炬燵布団に肩迄埋まった。手探りで卓上の名刺を取り、俯せの体制で再度裏面を凝と見詰める。今度は街の様子だった。この近所の様だ。駅迄の道か。視点がぐっと上がり、赤鬼の後頭部が映る。クラウンは目を剥いて、がばと跳ね起きた。炬燵の縁に腰を打ち付け、暫くその姿勢の儘固まっていたが、腰を擦りながらベッドへ倒れ込むと、もう一度名刺の裏を凝視した。視点が上がったり下がったり、左右に振られて、正面に回る。――先刻見た映像だ。赤鬼が帰宅する様子を、監視した時のものだ。丸でビデオの録画の様に、白い紙面に再生されている。これは、何処かから投影されているのか、それとも自分にだけ見えているのか。そっと触れてみたら、触れた部分が遮られた。指に何かが映っている様子も無いから、投影されたものではなく、この紙面がテレビ画面の様になって再生している――イヤイヤ、そんな馬鹿な。唯の紙だろう? ちょっと破ってみたが、矢張り唯の紙の様だ。然し破っても映像は映っている。千切ったら二つになった。映像も二つに分かれた。
何を如何解釈したものか。切り離された二つの紙片を布団の上に並べて、クラウンは腕を組んだ。映像は赤鬼を正面から捉えた構図の儘、静止していた。クラウンが視るのを辞めたのがこの辺りだった気がする。詰まり続きはないのか。――え、それは詰まり、これが自分の見た映像の録画再生だと? でも他に解釈の仕様は無いか。――逆再生とか出来たり? 意識してみたら逆再生を始めた。その後も、再生、逆再生、一時停止、巻き戻し、早送りなど、ビデオ操作で出来そうなことは全て試して、全て出来た。親指と人差し指を紙面に当てて、その儘開いてみると、拡大も出来た。なんて便利なのだ。
それから暫くは、赤鬼訪問時の映像と帰宅中の映像を交互に再生して、色々と遊んでいた。遊ぶ程に能力が定着するのか、段々映像も判然して来る。他の映像は無い様だ。今日この能力に目覚めたので、今日からの分しか無いのか。クラウンは二つに千切れた紙片を元通りに並べてみる。紙片は最早くっ付かないが、映像は吸い寄せられる様にくっ付いた。そっと紙片をずらすと、映像が取り残される。矢張り紙片に何かの仕掛けがある訳ではないのだろう、映像は紙片から自由になり、中空に不自然に浮いている。最近流行のVRかARか、何かそんな様な感じで、何も莫い空間に四角い映像がぷかりと浮かんでいるのだ。これは自分の視覚認識に割り込まれた何かなのだろう。恐らく自分だけに視えているのだと思う。
猶暫く映像の繰り返し再生に熱中していた所へ、携帯電話が鳴った。神田からであった。
「お加減は如何ですか」
電話を取ると、開口一番そう訊かれた。
「すっかり良くなりました」
「それは良かった。如何やら面白い能力に発展している様ですね」
思わず上体を起こして、部屋の中をきょろきょろと見回した。
「今から出て来られたりしますか?」
「今からですか?」
起きてから着替えてもいなければ、食事もしていなかった。
「軽く食べてからでも好いですかね。昼過ぎに起きてから何も食べてないので」
「あゝ、それは不可ませんね。ではこの前の店で如何でしょうか」
「いやあの」
「お待ちしてますね」
外食する気など無かったのだが。なんだか神田に押し切られて仕舞った。仕方なく着替えを済ませ、部屋を出る。外に出たら急に空腹感に襲われた。矢張り少しでも肚に入れてから出れば良かったと思ったものの、取って返すのも大儀だし、神田を待たせても悪いと思ったので、稍早足で駅前へと向かった。
前回二人で行った店の前で、神田は待っていた。
「此処はよく見たら軽食ですね。クラウンさんの腹具合にもよるのですが、向こうのうどん屋さんの方が良かったりしますか?」
「えゝもう、何でもよろしいので」
「では向こうに行きましょうか」
そう云ってスタスタと歩いて行くので、クラウンは必死に付いて行った。
食券を買って二人掛けのテーブル席に着き、二人でうどんを食べた。クラウンが物凄い勢いでうどんをがっついている間、神田は不思議そうな表情でクラウンを観察していた。最後の汁迄飲み干して丼を置いた時、神田と目が合った。
「なんですの」
「いや、それ、如何云う能力なのかなと思いまして」
「そういや電話でも云うてましたね。何か見えました?」
「そうなんですよね。クラウンさんの認識制御能力が大分安定して来たことは判るんですが、それと同時に何か新しい能力芽生えてますよね。これがちょっと理解に苦しむので……」
「たとえばこんなんとか」
クラウンは両手の親指と人差し指で画角を作ると、その中に赤鬼の帰宅時の録画を投影し、更にそれを神田の視覚に滑り込ませた。
「ほぉ、何ですかこれは」
「今日うちに来た赤鬼が、帰宅する際の様子です。僕が能力を使って視たものが、こうしていつでも録画の様に再生出来るんです」
「なるほど、なかなか面白いですね」
「後一言添えておくと、此奴は一人で歩いていて、周囲に誰も居ません」
クラウンの説明に続いて、画面が赤鬼の視覚を外れ、後頭部を映し、上へ下へ、右へ左へと揺れ動いた。
「そうするとこの視覚情報は、一体誰のものなんですか? 物凄くダイナミックに動いてますね。――正面に来てもこの友人の方は視られていることに気付いていない様ですし」
「そうなんですよ。将にそこのところを、あなたに訊いてみたくて」
「私に?」
「自分でもこの視覚の正体が解らんのです。神田さんなら何か答えを持っていそうな気がしたので……」
「そうですねぇ」
神田は腕組みをして黙って仕舞った。
「この映像、本当に視覚なんでしょうか」
「どういうことです?」
「いや、こんな視点で見ている観察者なんか、鳥や虫を含めても、迚もありそうにないなと思いまして。であればこれは、視覚ではない何かの情報を元に、クラウンさんが映像として構築したものなのではないかと」
「ええと――如何云うことですか?」
「卑近な例で云うと、サーモグラフなんかがありますね。テレビなんかでも見かけるでしょう、温度の高い所が赤くなって、低い所が青く映るような映像です。あれは赤外線の強度を測定して、その情報を元に画像を作り出してモニタに投影している訳です。赤外線も光の一種ではありますが、視覚かと云われると違うものですよね。つまり人間には見えないものを映像として再現することで見える様にした訳です。クラウンさんが人の認識を視るのだって、結局はそう云うことですよね。本来見えないものを可視化している。これも同様なのではないかと」
「あゝ……でもこれ、ちゃんとカラーですよね。温度の高い低いとかやなく、木は茶色やし、草は緑やし、赤鬼の服は赤です」
「そうですねぇ……何か色を判断出来るような理由があるのか、若しくはクラウンさんが記憶や知識で勝手に彩色したのかも知れませんね」
「そんな器用なこと」
「出来ると思いますよ」
「そうなんかなぁ……」
クラウンは映像を繰り返し再生してみたが、如何も本物の色にしか見えない。
「あるいは、本当に可視光の情報を何かしらの方法で拾っているのかも知れませんね。遠隔地の特定のアイポイントに於ける、視覚的な映像の情報を……」
「ちなみにこれ解り難いですけど、ちゃんと音も付いてます」
「えっ」
「此奴無言やし、周り何も無いから気付きにくいかも知れませんが、ほら、脇通る車の音とかするでしょう」
「なるほど……丸で見えないテレビカメラをあちこちに飛ばせるみたいな能力ですね。おもしろいなぁ……如何遣ってるんだろう」
クラウンは不図思いついて、赤鬼の録画から別の映像に切り替えた。テーブルに向かい合って座る二人の人物を上から映している。一人は髪が黄緑だ。もう一人が上を見上げた。
「なるほど……特に何もないですね」
クラウンも上を見上げてみた。唯天井があるだけだ。視線を画面に戻し、視点を変えてみる。テーブルの高さから丼のアップ、その儘視点を下げて行ってテーブルの裏面、其処から周囲をぐるぐると回りながら再び視線を上へ。
「凄いですね、自由自在だ。然しこの映像を撮っていなければならないカメラの様なモノは見当たらないですね」
「神田さんにも解りませんか」
「想像による仮説なら幾らでも立てられますけどね。何れにしてもあなたは空間を制した訳だ」
「空間を、ですか」
実感が湧かない。
「場合に依っては、我々の空間とは別の空間迄手を伸ばしているのかも知れませんね」
「何ですかそれは」
また訳の解らないことを云いだした――クラウンにはそんな感想しかなかった。
「最新の物理学、超弦理論では、この世界は十次元だと云うことになってます。但し我々物質には、一次元の時間と三次元の空間を合わせた四次元の時空しか認識出来ない」
「はあ」
「然しこの十次元を自由に動き回れるものが一つだけあるんです。それが重力です」
「重力って、物と物が引っ張り合う力ですよね? その引っ張り合う力が動き回るって、如何云うことです?」
「ああ、ええと、量子力学では力も凡て粒子で表現される、と云うのは」
「何ですかそれは」
「うーんそうですね。光子、って聞いたことありません?」
「四十にして惑わず、とか云う奴ですか」
「それは孔子ですね。孔丘先生です。そうではなくて、光の子と書いて光子、若しくは光の量子と書いて光量子とも云います。要は光の粒々のことです」
「光は粒々ですか」
「量子力学では粒々です。で、この光と云うのは先刻迄話題に上がっていた可視光もそうなんですが、実は電磁気力を伝える粒子でもあるんですよ」
「もうついて行けません」
「電波は判りますよね? あれも光だし、光子なんです」
「電波は波じゃないんですか」
「そんな、ニュートンとかヤングとかの論争を今此処で繰り返すつもりはないですが、結論から云うと波です。そして粒です。それを量子と呼ぶんです」
「はぁ……」
「話を戻しますが、電波、赤外線、可視光、紫外線、X線などを全て含めて電磁波と云うんですが、電磁波イコール光です。で、この電磁波は、電気力と磁気力の掛け合わせなんです。だから、光と電磁気力は同じものなんです」
「はぁ……」
「静電気で下敷きに髪の毛がくっつくのが電気力、磁石に釘がくっつくのが磁気力です。二つを垂直に合わせると直進する波になります。これが電磁波です。電磁波は電磁気の力が具象化した存在なんです」
「はぁ……」
「まあ兎に角――」神田は鳥渡姿勢を直した。「物理の或る分野では、力は粒子が伝えると云うことになっています。で、重力もその一つなんですが、超弦理論と云う分野では、この力だけが十次元の空間を伝播することが出来る、かも知れない、と云われているんです」
「かも知れない、なんですか」
「まだ判らないことも多いですし、実験で検証することも出来ないですしね」
「出来ないんですか」
「でも若しかしたら、クラウンさんはこの重力子を介して、別の次元にアクセスしたり、我々の次元を別の角度から観察したりすることが出来るのかも知れません――妄想の域を出ないべたべたの仮説ですが」
「えゝと、まあ、よく判らないですが――うん、矢っ張り解らないです」
神田は困った様に苦笑した。別の空間とか、別の次元とか、神田の話を聞いている間は何となく解った気になるのだが、改めて反芻してみると何一つ解らない。それでも、なんだか神田が形を与えてくれた様な安心感はあった。説明出来るかも知れないんだと云う、それだけでも、得体の知れない不安は軽減するものなのだ。
「ちなみに何処迄視えますか?」
「どこまで?」
「距離です。どの位遠く迄、その様に映像化出来ますかね」
「気にしたこともなかったです。何しろ今日初めて出来るようになったので」
「ですよね。ではちょっと試してみましょうか。――大阪駅の様子などは視えますか?」
「ええと大阪は……あっちかな」
画角の中に大阪駅の外観が映し出されたが、一ト昔前のビデオテープの様に画像が不鮮明で、色合いも薄い。
「此処から大阪駅は……大体二十粁ですね」スマホの地図アプリで距離を確認した様だ。「それでは少しずつ遠離ってみましょうか。環状線沿いに反時計回りに、先ず西の方へ移動してみてください」
「福島の方ですね」
福島、野田と進むに連れて、段々画質が怪しくなって行き、西九条辺りで最早なんだか判らない程に画面が荒れて仕舞った。
「矢っ張り距離の限界があるんですねぇ。今の所、二十三粁前後に限界がありそうです。唯この限界は、恐らく直ぐに突破されるんでしょうけど」
「神田さんの強化力で、ですか」
「まあそれもありますし、今日目覚めた力なのだとしたら、これからどんどん強くなる可能性は高いでしょうね」
「マジですか、無敵ですやん」
「無敵かどうかは判らないですけどね」
神田は愉快そうに笑った。




