ドリーム(友の願望)
忠国警備シリーズサイドストーリー。クラウンの話。
自サイトでも公開しています。
http://gambler.m78.com/hikaru/sakuhin/dream-dream.html
ずっと悩んでいた。これは正しいのか、それとも大きなお世話になるのか。独りでベースを弾いている時も、サタンの見舞いに行くときも、赤鬼と遊んだり呑んだりしている時も、リーさんに連れられて彼方此方連れ回された挙句朝迄呑まされる時も。ずっとその命題はクラウンの頭から離れない。
「ポンタ様が来てくれるなら、ワイは復帰を考える。そうでないなら農民になる」
相変らずサタンはそんなことばかり云っている。若しかしたら単に農業に興味があるだけなのかも知れないが……いや、矢張り拗ねているのだろう。「農民」なんて云い方からして、そうとしか思えない。
ポンタを見せてやる可きなのか、本物のポンタを来る気にさせて仕舞う手もあるか。否抑々クラウン自身に接点がないので、それは無理か。いずれにしても、長く会話させようと思うとそれなりに知識が必要だろうし、その為の準備が大変な気がする。数分だけとか、会話無しとかだと、却ってサタンに変な期待をさせて仕舞うのではないか。大体、サタンのことだから、そんな幻覚見せてもどんどん要求がエスカレートして止まらなくなって仕舞うのではないか。
ずっと悩んでいた或る日、一人でサタンの見舞いに来ている最中、来客が現れた。
「よぉ、お前か、俺を呼んだのは」
クラウンは自分の目が信じられずに、固まって仕舞った。これは自分の仕掛けた幻覚ではない。――抑々幻覚ではない、実物だ。――えっ、如何云うことだ。
彼はポンタ村上こと、村上秀一その人だ。本物だ。モノホンだ。
サタンも同様、暫く固まっていたが、何れ大口を開けて「う、わぁあああ!」と絶叫した。
「ポッポポポポッポ、ポ!」
「鼠先輩か!」
えっ、ポンタ村上がそんなツッコミするの?
「おいおい、大丈夫か。頭までヤっちまったか?」
「ポンタさん! ポンタさんなんですね!」
「おう」
ポンタ村上ってこんな喋り方やっけ。いや、あんまり知らないのだ。兵庫県の西宮出身だと思うのだけど。喋っている所は余り見たことが無い。
「まぁ、あれだ。早く治せよ。ドラム好きなんだろ。いつまでも寝てんじゃねぇよ」
「はいっ!」
「じゃあな、俺は待ってるぜ」
そう云うとポンタは帰って行った。後には震えるサタンと、呆然と立ち尽くすクラウンが残された。
「ポンタ様やぁ……ポンタ様が来てくれた!」
サタンは眼をキラキラさせてクラウンを見上げる。
「お、おう……」
クラウンは言葉が出なかった。如何云うことなんだ。
「わい頑張って治して復帰するわ!」
「お、おう……がんばれ」
クラウンは茫然とした儘病室を出た。そして手洗いへ行くと、其処に先程のポンタが居て、鬘を取るところだった。鬘の下は禿げ頭だった。
「あっ!」
二人同時に叫ぶと、ポンタ――だった人物――は照れ笑いをした。
「見付かってもうたか、あいつには黙っといてや」
「あ、あなたは?」
「オジン・ハゲトーンってバンドでギターやってる、川島云います。よう普段からポンタさんに似とる云われてゝ……ライブでもネタにしたりしとったんですが……せやけどこんなことの役に立つとは思わへんかったですわ」
鬘を取って老けメイクを落としても、素顔は五十絡みのおっさんだった。オジン・ハゲトーンと云うバンド名は、ブルーエンペラーズ主催のライブで見たことがある気がする。こんな年でインディーズ続けているのはある意味凄いことだと思う。もうデビューは見据えていないのだろうな。――そんな余計なことばかり頭に浮かぶ。
「サタンくんな、息子と同じぐらいですねん。可哀想でなぁ。思ってたらよ、ジンさんから声掛けられて」
そこは「さん」なんや。
「最初は断ってんけどなぁ。でもまあ、物真似ネタにしてた訳やし、ドラムは叩かれへんけど、会話程度ならな、思いまして」
そうか。そうだ。クラウンはいきなりすとんと肚に落ちた気がした。
彼は結局贋物だった。然しクラウンが仕掛けるかどうか迷っていたような「幻覚」ではない。そこは「実在」なのだ。実在だけど贋物なのだ。現実が事実であるとは限らないのだ。然しその贋物は、サタンにとっては紛れもない本物だった。虚構が事実になることもあるのか。
「すんません、有難う御座いました」
「おう、可愛い後輩の為ですわ。後は確り面倒見たってや」
素に戻った川島は、ゆったりとした足取りで病院を後にした。そういう物腰も本物らしさを演出していたのだろうか。
クラウンが病室に戻ると、サタンはまだ興奮が収まらない様で、ポンタ村上に対する想いを滔々と聞かせられる羽目になった。然しその間もクラウンは全く別のことを考えていた。
自分の能力は、認識を操作するものだ。幻覚を見せることも出来るし、感覚を操ることで間接的に感情をコントロールすることさえ出来る。然しそんな能力なんか無くったって、川島は同等のことを遣ってのけた。あれは幻覚ではなく紛れもない現実だった。人は誰しも、現実を操作することが出来るのだ。だったら現実なんてものは本来的に信用出来ないのではないか。そう云う意味では幻覚と何が違うのか。仮装した贋物を見て本物と思うのと、操作された知覚による幻覚を見て本物と認識するのとで、脳の遣っていることは同じなのではないか。自分はこの能力を過信することも恐れることもないのだ。現実と幻覚は本来的に同じものなのだ。一方で脳の働き自体を誤魔化すことも出来る。砂糖壺がその一例だ。然しそうしたことだって、脳は日常的に当たり前の様にしていたりする。見ているのに視えていない、聞いているのに聴こえていない。前座のファン達が良い例だ。つまりそれだって何も特別なことではないのだ。
自分のしていることは、脳の可能性をちょっと手助けしているに過ぎない。麻薬でも洗脳でもなくても脳が日常的に行っている機序を、少し選択的に行わせているだけに過ぎないのだ。そう考えることでクラウンは一気に肩の荷が下りた気がした。ここ何ヶ月もずっと心の片隅に蟠っていた閊えが、すっと消えて行く気分だった。そう、これなら出来る、クラウンは自信と確信を得たのだ。
その日以来、サタンの調子はみるみる佳くなっていった。それ迄中々回復が進まなかった骨折箇所も、ぐんぐん回復して行き、一週間後には杖を突いてリハビリを開始出来る迄になった。病は気からと云うのは本当なのか。表情も明るくなったし、畑のはの字も云わなくなった。
懸念していた膝も、如何やら何とかなりそうだった。骨さえ確りくっ付けば、後は筋力の問題だと云う。抑々膝自体に損傷は無いのだ。筋力が低下して戻らなければ膝に負担が掛かって仕舞うかも、とか云う話であって、ちゃんとリハビリ出来るなら何も問題は無いと云われた。
こんなに劇的に変わってくれるのなら、迷うことなく幻覚でも何でも見せて遣れば好かったのだ。唯、川島の物真似以上のクオリティが保証出来るかどうかは、未だに鳥渡自信が無い。川島様々なのである。