インシデント(危険な香り)
忠国警備シリーズサイドストーリー。クラウンの話。
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サマーライブの盛り上がりはいつも通りだった。いつも通り、微妙だった。客席に来ている大半の客は、前座の自分達ではなく、メインのアーティスト達のファンである。それでも十人程の客が、大阪レジスタンスの自作応援グッズを手に、前方迄進み出て来て一頻り盛り上げてはくれた。周りの客達は明白に嫌な顔こそしなかったものの、それでも若干迷惑そうにしつゝ、なんとなく調子を合わせてくれていた。
「オーケー! この盛り上がりを本番でも頼むぜー!」
赤鬼プランクトンのシャウトに、クラウン吉川が被せる様に叫ぶ。
「本番では今以上になぁ!」
最後にサタン町上がドラムロールしながら、
「身も蓋もないこと云いないな!」
と、ここ迄いつも通りの演出である。ファン達がぎゃははと盛り上がる一方で、他の客は一歩退き気味になっている。
大阪レジスタンスの退場と共に、前に集まっていたファン達も後ろへ下がる。これもいつも通りのお約束である。バンドの立場が弱ければ、勢いファンの立場も弱いのである。
前座が終われば自分達に出番はない。ライブが終わる迄居ても好いことにはなっているが、大抵邪魔にされるし、他のバンド達に対して余り興味が無いので残っていたところで暇でしかないし、抑々バイトやなんかで忙しいので、出番が終わればすぐ帰り支度を始める。元々好意で前座をさせてもらっているのだが、それでも一応寸志程度のモノは貰える。メイクを落として着替えが終わった頃、ライブ主宰バンドであるブルーエンペラーズのリーダーがポチ袋を三つ持って楽屋に来て、三人それぞれに渡してくれた。
「今回もご苦労さん。お前らの曲も、少しずつ良くなってきてるで。最初の『マイハニー』のシャウトは、ちょっと如何かと思ったけどな」
そしてニコニコ笑いながら、「また次も頼むで」と云って楽屋を去った。
クラウンがポチ袋の中身を確認しながら、「ほらみぃ、『マイ』付けたぐらいじゃ変わらんし、むしろ悪化してるって」
「ゆうて全然えゝ案出て来んかったやんけ」赤鬼がむくれる。
「なんでもえゝ。わいこの後バイトやから、帰らしてもらうで」
サタンは自前のドラムセットの梱包を終えて、一番大きなバスドラを抱えると、楽屋から出て行った。残った二人もそれぞれ持てるだけのドラムを両手に抱えると、サタンの後を着いていく。駐車場にはサタンのマイカーである古びたライトバンが停まっていて、三人掛かりでドラムセットの積み込みをする。楽屋と駐車場を三往復程して全て積み終えると、「ほなまた」とサタンは独り帰って行った。
サタンを見送った赤鬼とクラウンが楽屋へ戻ると、見知らぬ女がぽつんと立っていた。
「誰?」赤鬼が怪訝そうに訊く。
「オープニングアクト拝見しました! 素晴らしいバンドですね! あ、私、こういうものです」
そうして差し出した名刺には、音楽プロデューサー、花井みずほ、とある。香水の匂いがツンと鼻を突いた。
「ぷっ……ぷろでゅーさー!?」赤鬼の腰が砕けて、近くの椅子にヘタヘタと倒れ込む様に座った。
「そんなごっつい方が、何用ですか?」クラウンは女から赤鬼を庇う様に立ち位置を移動すると、不信感を孕んだ瞳で女を見る。
「ごっつくないですよー、そんな大きな事務所ではないので」女はニコニコしながら二人に歩み寄る。クラウンは無意識に後退った。
「えっ、まままさか、俺ら、デビューすんの?」
「落ち着け赤鬼。いきなりそんな訳あるか」
「いきなりデビューでは無いんですが……とても興味があるんです。小さな事務所ですが、バックアップさせてもらえませんか?」
如何も変だ。この女からは、何か変な感じを受ける。それが何なのか判らない儘、クラウンは本能的に自己防衛の構えをする。女が近寄ると香水の匂いが増す。それに伴い、心做しか赤鬼の目がとろんとして来る。自分もなんだか意識に霧が掛かった様な気分になる。
「それでですね、何分事務所が小さいので資金力に乏しくて。ほんの少額で結構なので一旦預け金という形で――」
「赤鬼、ヤバイ、逃げるぞ」クラウンは女を見据えた儘、赤鬼だけに聞こえる声で囁いた。
「へっ?」
ぽかんとする赤鬼の首根っこをひっ掴み、もう一方の手でベースとギターのソフトケースを鷲掴みにすると、クラウンは一気に走って楽屋を出た。
二人で好いだけ走り、駅前のうどん屋に駆け込むと、食券も買わずに先ずテーブル席に着き、水を一杯飲んだ。
「食券をお買い求めくださーい」
カウンターの中から店員が声を掛けて来る。
「あ、はい……ちょっと待って……」
ぜえぜえと肩で息をしながら、ギターとベースを置くと、二人交代で食券を買いに席を立った。
「おいクラウン、これは何事や」
漸く息を整えて、赤鬼が低い声で問い質す。
「判らん、解らんけどな、ヤバかってん」
「何が。あれ、詐欺かなんかか?」
「判らんけどヤバい香水やった。意識持ってかれそうやった」
「ああ……」赤鬼は少し考えるようにしてから「云われてみればちょっと記憶が曖昧やねんけど、なんかえらい気持ちよぉなってな、俺、デビュー出来そうな気ンなってたわ。今思い返すと、なんでそんな気持ちになったんか訳解らん。前座やのにな」
「やっぱりか……」
「お前はならんかった?」
「気持ちよくはならんかった。意識が遠くなりそうではあったけど」
それ以前に、赤鬼が敵の術に堕ちて行く様が判然と視えた。「視えた」という表現が妥当か如何か判らないのだが、他に云い様がない。そしてその原因が香水だと、なぜ自分は確信したのか、それもよく判らない。
「そうや、なんか金出せゆうてたな、あの女」
「そやった?」
「そやで。何で事務所入るのにこっちから金出すねん。奇怪しないか?」
「そうやなぁ……やっぱ詐欺なん?」
「判らんけどな、可成怪しいんちゃう?」
「他のバンド大丈夫かな……」
赤鬼の言葉に、クラウンが顔を上げた。同時にうどんが来た。
「そうや、夢中で楽器だけは持って出たけど、着替えとか他の荷物、楽屋に置いた儘や」
「戻るか?」
「まあ、もうあの女もおらんかも知れんけどな」
「取り敢えず食ったら俺は戻るよ。鬼の鬘とカチューシャ無くしたら困る、アレ手作りやから」
「わしも戻るわ。メイク道具リュックの中やもん」
戻ってみると、荷物は楽屋を飛び出した時の状態の儘だった。他にも楽屋の中が荒らされたような形跡は一切なかった。自分達の荷物を纏め、忘れ物の無いことを確認して楽屋から出た所で、ブルーエンペラーズのメンバーとばったり出喰わした。
「なんやお前ら未だおったんか」
「忘れ物しまして、取りに戻ってたんです」
「ほぅか」
クラウンは当り障りのない受け答えをしたが、赤鬼は鳥渡グズグズして何か云いたそうにした。
「何や赤っち、なんかあるん?」
「あの、リーさん……なんか変な女見ませんでした?」
「変な女ぁ? そんなん客席にようさんおるわい」
「いやっ、そういうファンとかやなしに」
「わしらのファンの他に変な女がおるんかい」
そう云ってリーはケタケタ笑った。そう云うこと云って好いのだろうか。そのファンに支えて貰っているのではないのか。このキーボードのリーと云うのは、ポーズなのか地なのか判らないが如何もこうしたシニカルなことを云っては、ファンの心を掴んで行くスタイルなので、どこ迄本心で云っているのかは知れたものではない。でも此処は楽屋で、ファンの耳に入る訳でもないのだから、矢張り素で云っているのか。それともスイッチの切り替えが出来ていないだけなのか。
「なんか音楽プロデューサーとか云う怪しい女が、先刻俺らの楽屋に居ってんですわ」
「なんや?」
そこで赤鬼は、先程貰った名刺をポケットから出して見せた。それをよく見ようと鼻先を近づけたリーの顔色が、サッと変わった。
「お前らコイツに遭うたんか」
「はい。名刺貰いました」
「何の話した」
「あなた達のバンドに興味あるんですー、バックアップするから事務所にお金入れてくださいー、的な」
「で!」
「逃げました。否正確には、クラウンに首根っこ掴まれて無理矢理逃げさせられました」
リーがクラウンを見る。
「冷静やってんな」
「あ、えゝ、まぁ」
クラウンはしどろもどろに答える。
その時ブルーエンペラーズの他のメンバー達がぞろぞろと遣って来た。
「おおい、リー、そろそろ出るぞ」
「おう、すぐ行く!」リーは即座にそう応えると、赤鬼とクラウンを交互に見てから、「すまんな、これから出番や。その話、またどっかで聞かせてもらえるやろか」
「今夜でもよいです、連絡ください!」
「そうか、すまんな。番号くれや」
赤鬼がリーに携帯電話の番号をメモして渡した。
「ステージ頑張ってください!」
リーは振り向きもせず、片手だけ挙げてそれに応えながら、ステージへと向かって行った。
「じゃ、この後お前んちやな」
「また家来るんかよ」
「リーさんの連絡一緒に待つわ」
そして二人は赤鬼の文化住宅へと向かった。




