ドリーム・ウィズイン・ア・ドリーム(夢のまた夢)
忠国警備シリーズサイドストーリー。クラウンの話。
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http://gambler.m78.com/hikaru/sakuhin/dream-dream.html
サマーライブの盛り上がりはいつも通りだった。いつも通り、微妙だった。最前列の希少なファン達も相変わらずだし、他の客も相変わらずだった。
「オーケー! この盛り上がりを本番でも頼むぜ!」
赤鬼プランクトンのシャウトも相変わらずだ。
「本番では今以上になぁ!」
クラウン吉川のボケも相変わらずだ。
「身も蓋もないこと云いないな!」
サタン町上のドラムロールツッコミも相変わらずだ。
ステージから捌けて、楽屋へ行き、帰り支度をする。これも毎度のことだ。今度は変な女もいない。何事もない平凡な前座だった。
「なぁ」
平坦なトーンでサタンが発声する。
「あぁ」
赤鬼が更に無感動にそれに応じる。
「なに」
クラウンが申し訳程度に先を促す。
ここ数ヶ月、三人の間には如何も気怠い空気が流れている。盛り上がりも低迷もない。日々淡々と過ぎて行く気がする。成長も発展も、全く手応えを感じないので、この儘では禿げ上がる迄朽ちて行くしか無い様な気がする。
「オジン・ハゲトーンって、実は物凄いバンドなんかも知れんな」
楽屋の椅子にだらしなく沈み込みながら、サタンが虚ろな目で云う。赤鬼が視線を挙げてサタンを見たが、何も云わなかった。
「知ってんか? あのバンド、十代ン時に結成してから今年で四十周年やと。よぉそんなに続くわな」
「一回メジャーになり掛けたらしいで」
クラウンが話しを継ぐ。
「そうなんや。何でダメんなったんやろ」
「メンバが一人抜け駆けしたんやと。そいつは一人で、事務所の作った別のバンドでデビューしたけど、直ぐに他のメンバと入れ替えんなって、結局何処かへ逃げてそれっ切りや。せやからあのバンド、結成時から一人減ってんねん」
「そうなんや……」
「その抜けたんがボーカルで、暫くボーカル抜きのバンドでやってゝんけど、結局はギターの川島さんが歌う様になった聞いたで」
赤鬼がまた視線で反応したが、矢張り何も云わない。
「へえ。クラウンお前、ハゲトーンのファンか?」
「何でやねん。一曲も知らんわ」
「にしては、やけに歴史に詳しいやん」
「本人に聞いてん」
話題が途切れて暫く沈黙があり、またしてもサタンが話題を振る。
「川島さんて、ポンタに似てはるやんな」
赤鬼が明白にサタンを凝視した。反対にクラウンは視線を逸らせた。
「禿げてんのにな。何か物真似用のヅラ迄持ってるらしいけど」
クラウンは視界の隅で、サタンの認識の様子を見る。特に目立った感情の動きなどは無く、焦点の定まらない目で卓上の灰皿の辺りを見詰めている。大阪レジスタンスのメンバーは誰も煙草を吸わないので、灰皿は綺麗なものである。
また暫く沈黙が続いた。今度はサタンも黙って仕舞って、誰も沈黙を破ろうとしない。
赤鬼はサタンを凝と見詰めた儘、何も云わずに固まっている。赤鬼のことだから、何か声を掛けたいけど何を云えば好いのか思い付かないのだろう。
沈黙に耐えられなくなったクラウンは、一度仕舞ったベースを出して来て、ボン、ボンと弦を弾いた。何か音があれば紛れると思ったのだ。それを見た赤鬼もギターを出して来て、出鱈目なメロディーを弾き始める。ベースとギターがセッションを始めると、なんとなくそれらしい感じになって来て、即興の新曲が生まれる。赤鬼がハミングを始めて、曲らしくなってくる。ずっと黙って聞いていたサタンが、スティックを手に取って、灰皿をハイハット代わりに、机をスネア代わりにして、床をバスドラに見立てゝリズムを刻む。
なんだか切なく、悲しい曲が編まれて行くが、今一つ盛り上がらないし、かといって収束もしない。淡々と単調に、少しずつ心を抉って行く。なんだか堪らなくなるのだけど、誰一人、演奏の手を止めることが出来ない。
「そうやん、こうやって俺ら、伝え合って来たんやん」
クラウンが歌うように云うと、赤鬼がそれに応える様に、
「怖いねん、今、伝えることが、別れへのステップになる気がして」
サタンが床をどたどたと踏み散らかして、
「おまえら! ええ加減にせぇよ!!」
赤鬼とクラウンは、吃驚して演奏の手を止めた。サタンは立ち上がっていた。
「あんな、ポンタさんがな……鼠先輩なんか知ってるか!?」
「おま……」クラウンは口元に手を当てた。
「それでもわいは騙されたんや、騙された振りやないで! 正真正銘騙されたわ! せやけどそれはえゝねん! えゝのよそれは! 幸せやったもん!」
クラウンも赤鬼も、口を差し挟めなかった。
「そんなことまでしてバンド続けたやん! レジスタンスの解散の危機乗り越えたやんけ! それがなんやこの、為体は! どうしてしもたんやお前ら!」
クラウンは胸が痛かった。多分ここ迄バンドの空気がトーンダウンして仕舞ったのは、自分の所為なのだ。集団幻覚なんてものに頼り過ぎて、この半年間は殆ど富士に居たし、なんなら軽微な案件の手伝い迄した。その間ずっと、この二人は幻覚のクラウンとセッションしてきたのだ。そんなもん、真面なバンド活動になる訳がない。然しそれを正直に云う訳にもいかないし、かと云って他のメンバーの所為にすることも出来ない。
「なんかすまん。わしのベースが最近ノれてないから……」
そんな云い訳位しか出て来ない。
「クラウン、そやない。俺のギターも歌詞もアカンねん」
赤鬼が責任を被ろうとしていることさえ、心苦しい。
「誰が悪いとかやないよ。そんなこと責めたい訳やないねん」
サタンがトーンを落として、椅子に座り直した。
「わいら、終わるんか?」
再び沈黙。誰一人、応とも否とも答える者はない。
すうっと、風が吹き込んだ気がした。
手にはスティック、右足にはバスドラのペダル、左足にはハイハットのペダル。そうだ、これは長年使い込んで来た愛用のドラムセット。二十万位したんだ。バイト代をコツコツ貯めて、やっと買ったんだ。バスドラには「大阪レジスタンス」のロゴがプリントされている。ハイハットでエイトビートを刻みながら、二拍置きにバスドラ、四拍置きにスネア。これが基本のエイトビート。サビに入るところでクラッシュ、タムタム、フロア、ライドで締めて、再び基本形。バスとスネアに変化を付けて……不図客席に目が行く。ポンタだ。川島ではない、本物のポンタだ。わいが見間違えるものか。病院では態と引っ掛かって遣ったのだ。ポンタの隣には、RCサクセションの新井田耕造。我ながら嗜好が古い。でも堪らない。ポンタがドラムを叩く。新井田もドラムで応える。サタンが続けて叩く。三つのドラムセットが三角形に向かい合って、ドラムだけのセッションが始まる。重鎮二人を目の前にして、サタンも引けを取っていない。最高にハッピーなセッションだ。
伝説のギタリストなんか枚挙に暇がない。その中でも特に、エリック・クラプトンに心酔している。勿論日本人の、小川銀次だって凄い。押尾コータローだって神だ。人間椅子の和嶋慎治にだって到底敵わない。いやいや、赤鬼如きがプロのギタリストに並ぼうと思うこと自体が冒涜だ。そんな四人が何故今、目の前でセッションしているのか。コンセプトもスタイルもバラバラの四人が、信じられない程美しいハーモニーを生み出している。赤鬼自身もギターで参加している。敵わない筈なのに、並んで演奏している。決して引けを取っていない。物凄く気持ちが良い。こんな夢のようなセッション、一生続けていたい。この儘死んでも構わない。夢なら醒めるな――
サタンは机に突っ伏して、赤鬼はソファに沈み込んで、涙を流しながら寝ている。クラウンはそんな二人を置いて、そっと楽屋を後にした。
「わしにはもう無理や。すまんな……」
誰にも聞こえない様に呟いて去った心算だったが、楽屋ドアの横でリーは聞いていた。然しクラウンはリーには気付かず、その儘立ち去った。リーも引き留めはしなかった。
その日の夜、クラウンは高槻の家を引き払って、単身東京へ出て来た。
何も当てはなかった。誰も頼る者も居なかった。東京なら何とかなるか、位の気持ちで出て来たが、家賃の高さに当てられて、殆ど挫け掛けていた。
その晩はスーパー銭湯に泊まった。翌朝牛丼屋で腹を満たすと、東へと歩き出した。途中、長い橋を渡った。渡り切った処は最早東京ではなかったが、クラウンに土地勘など無い。道々不動産屋や、空き室有りの看板などを見かけては立ち止まる。橋を渡ってから少し安くなった気がする。もう一声、もう一声と思いながら、歩みを進める。然し駅の近くになると再び家賃は高騰して来る。好い加減疲れて、駅前のファストフード店へ入った。
ハンバーガーにかぶり付きながら、道々収集した住宅情報のフリーペーパーを確認する。結局のところ、駅に近ければ高くなるのは仕方が無いのだろう。深く溜息を吐いた時、目の前に誰かが座った。
「クラウンさん、こんなところで何してるんですか」
神田だった。
「あっ、え、どうして」クラウンは滑稽な程狼狽えた。
「都内の支部に居たら、クラウンさんの気配を感じたので、来てみました」
「あゝ……そうか、そうですよね、神田さんには判って仕舞うんでした」
なんとなく、不自然な標準イントネーションで喋っている。大阪弁なり近江弁なりが出て来るのが、なんとなく怖いのだ。彦根生まれなので元々近江弁だが、大阪育ちなので大阪弁で上書きされた状態である。関東人から見たら「関西弁」で一緒くたなのだろうが、何れにしても関東で関西人と思われるのが怖い。友人などと一緒であればまだマシなのだが、独りの場合如何すれば好いか解らない。だからぎこちない標準語になって仕舞う。
「若しかして移住して来るのですか? 物件をお探しの様ですが」
広げられたフリーペーパーを見ながら、神田は訊いて来た。
「えゝ、まぁ……然し思ったより高くて。襤褸アパートで好いと思ってたんですが、そもそも襤褸が余りないんですよね。綺麗で高い所ばかりで」
「千葉県がお好みで?」
「いや、別にどこでも……」
「そうですか。弊社でも宿舎はいくつかあるんですが……別に社員でなくとも、協力者として登録頂けるのであれば、そうした枠での賃貸も可能ですが、如何しましょうか」
「滅茶苦茶営業モードですね」
「お安く出来るんですよ。此処に並んでいる物件の、半額か三分の一か、場合に依ってはそれ以下です。バイトや副業して頂いても全く構いません。クラウンさんの場合既に何度かお手伝い頂いている関係なので、登録も形式ばかりのもので、直ぐにでもご案内出来ますよ」
クラウンは腕組みをして鳥渡考える振りをしたが、考える迄もなかった。
「場所は何処になるんでしょうか」
「都内でも千葉でも、埼玉でも神奈川でも。結構各地に在りますね」
「――お願いしちゃって良いでしょうか」
「もちろん!」神田は満面の笑みで応えた。「そう云えば、バンドの方は解散されたんですか?」
「いや――如何でしょう。僕が捨てゝ仕舞った形になってると思いますが……」
「確認されてないんですか?」
神田は人差し指と親指で画角を作って見せた。
「いや……見るのが怖いと云うか……」
「確認しないのも怖いのではないでしょうか」
「はぁ……そうなんですけど……」
クラウンは画角を作ってみた。サタンと赤鬼が映る。リーとジンも一緒に居る様だ。いつもの飲み屋で、四人で何事か相談している。四人の間には、クラウンが書いたメモが置かれている。
「世話になった人達に相談してますね。未だどうするか決めてない様です……」
「このメモみたいなのにはなんて書かれているんですか?」
「あ――これは、その――東京に行く、バンドはやめる、申し訳ない、と云う様なことを――」
「なるほど。捨てて来たんですねぇ」
神田がしみじみ云うので、クラウンは罪悪感に圧し潰されそうになる。
「それにしても、四百二十粁ですか……大したもんです」
「はぁ」
「大阪なんですよね? その四人。四百二十粁位あるんですよ、此処から。いずれ日本全土をカバーするのも時間の問題なのではないかと」
確かに、こんな長距離の監視は初めてだった。クラウンは画面を凝と見詰める。リーの声が聞こえて来る。
「まあ、しゃあないわ。もう行ってしもたんやろ」
「結局俺ら、あいつの気持ち何にも汲んで遣れんで……」
「それはちゃうで、赤っち。アイツは意図的に、気持ちをひた隠して来たんやろ。気付かないのんが正解や。そのメモ見たら判るわ」
「解りまっか」
「解るよサタやん。アイツはお前等のこと大事やったからこそ、こんなことしてん」
「そんなん云われても……」
「まあそやろな。――ほんでお前等、お前等としては如何したいねん」
「わいは赤鬼の気持ち考えたらもぅ……」
「俺は二人でも続けたいで!」
サタンは顔を挙げて、赤鬼を見た。
「なんやねん、俺の気持ちて。お前今リーさんに何訊かれた? お前の気持ちやろ? 何でそこで俺が出てくんねん! お前自身、如何したいねん!」
「俺は……」
サタンは暫く、己が右手を凝と見詰めながら、握って開いてを繰り返していたが、軈て一言、「叩きたい」と、ぼそりと呟いた。
「極まりやな」
リーが立ち上がる。ジンも立ち上がりながら、二人を見て声を掛ける。
「暫くしんどいかも知らんが、全然うち頼ってくれてえゝからな。何ならゲストメンバでちょっと間入ってくれてもえゝで」
「えゝ、ジン、マジか」
リーが不安そうに云うが、ジンは笑いながら、「此奴等なら問題ないわ」と云った。
クラウンはそこで画面を消した。と同時に、落涙した。袖口で眼を擦り、急度顔を挙げて、「神田さん。もう大丈夫です」と云った。
「良かったんですか。別に私としては、バンド活動を続けて戴いても……」
「駄目なんですよ、もう、自分自身が。両立は出来ないです。――なので、まあ正社員は無理でも、お仕事の方は宜しくお願いします」
クラウンはぺこりと頭を下げた。
「えゝまあ、それは、有り難いですが。――いや、そうですか、では先ず、住居ですね!」
「ハイ! お願いします!」
クラウンはもう一度、頭を下げた。
道頓堀に沿って、赤鬼がとぼとぼと歩いている。リーやサタンにはああ云ったものの、この儘音楽を続けて行けるのか如何か、非常に心許無い。赤鬼とサタンはバンドの中では結構両極端で、おっさんで頑固なサタンと、ガキで移り気な赤鬼の、丁度中間地点でバランスを取っていたのがクラウンなのだ。一旦ブルーエンペラーズが面倒を見てくれることになったとは謂え、今の赤鬼には不安しか無い。何故クラウンは去って仕舞ったのだろう。
戎橋に差し掛かった辺りで階段に腰を下ろし、赤鬼はポケットから小さく折り畳んだメモを取り出すと、丁寧に広げて繁々と眺めた。リーはこれを見て、クラウンが赤鬼達のことを大事にしていたことが判ると云っていた。そんなこと判っている。だけど赤鬼は解りたくなんかない。
――サタン、赤鬼。身勝手ですまん。わしは東京に行く。ベースはもうこれ以上、どうもならん。続けていても足引っ張ってお前らに迷惑かけてしまうだけや。ベースのいないバンドかてあるし、お前らならうまくやれるやろ。サタンのドラムは天下一や。少なくともわしはそう思ってる。偽ポンタの件はすまんかった。でもお前なら乗り越えていける。赤鬼の詞は粗削りやけど、そんでも誰にも書けんようなハートがこもってる。ギターかて捨てたもんやない。少なくともわしはそう思ってる。お前ら二人ならメジャー行ける。東京からチェックしとくからな。ガンバレ。
「クッソ!」
赤鬼はメモをくしゃっと丸めて、堀に向かって投げようとしたが、結局投げ切れず、また丁寧に畳み直してポケットへ戻した。
「見とれよ、後悔させたる」
口の中でそう呟くと、赤鬼は戎橋の階段を登って行った。
(終わり)
二〇二三年(令和五年)、十一月、六日、月曜日、先勝。
改稿、二〇二四年(令和六年)、五月、六日、月曜日、赤口。