エクステンディング(拡張してゆく能力)
忠国警備シリーズサイドストーリー。クラウンの話。
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ドラムがビートを刻み、切っ掛けから四小節遅れてギターがリフを飛ばすと、次第にハーモニーが沸き上がり、頂点からのボーカルシャウト。
「だぁぁぁぁぁぁああああい!」
クラッシュシンバルが激しく叩かれて……
「もぉお、クラウン! 止めんなや!」
赤鬼は演奏を止めて抗議する。
「それにしたって何やねんそれは。わいらいつからデスメタルになった?」
サタンがバスドラをどかどか鳴らしながら文句を付ける。
「えゝやん、一遍やってみたかってん」
「そんな真っ赤っ赤な派手な成りして何ゆうてんねん。似合わんわ。なぁクラウン?」
スタジオにはサタンと赤鬼の二人だけである。クラウンの姿は無いのだが、二人共丸でクラウンが居るかの様に振る舞っている。ベースの音さえ聞こえて来る様だ。
その頃クラウンは富士の麓にある忠国警備の施設で、神田の指導を受けていた。
「もう少し増やしてみましょうか」
「いくらでも!」
二人の足元には白雪姫にでも出て来そうな小人がわらわらと湧いていた。床から、壁から、中空から、次々と湧いては足許に溜まって行く。特に何かをする訳でもないが、唯々足許をウロチョロと駆け回り、お互いにぶつかり合ったり、転んだり、踏み付けられたり蹴飛ばされたりしながら、ワイワイガヤガヤと騒いでいる。
「これで今何体位ですか?」
「丁度千体ですね」
「中々圧巻ですねぇ。みんなそれぞれにユニークな動きをしているところが凄いです。パターンが見えない」
「千体一つ一つに別々の性格付けしてますから」
「性格付けしたら後は勝手に動きますか」
「動かしているのは見ている人なんですけどね」
「然し千の性格付けなんて、尋常じゃないですよ」
「そんなこと無いんですよ。一寸ずつ変えてるだけですから。僅かな違いでも動かしていると、どんどん行動の差が開いて行くんです」
「なるほど、まるでカオス理論ですね」
「なんですかそれ?」
また神田が訳解らないことを云っている。クラウンはもうすっかり、そんな状況にも慣れていた。
「中国の蝶の羽搏きが、アメリカにハリケーンを起こすと云う様な、バタフライ効果を識りませんか。僅かな初期パラメータの違いが、結果に大きな差異を齎すと云う様な話です」
「なんか聞いたことある気がしますね。理解しているかと云われると怪しいですが」
「まあ今云った通りなんですが……小人の性格をちょっと変えただけでも行動が大きく異なるというのが、将にそれなんです」
「へぇ」
その時、それ迄足許を駆け回るだけだった小人の一人が、神田の足をよじ登り始めた。
「おっ、干渉して来ましたよ」
「進化しましたね」
「想定外でしたか?」
「想定内です。育ってくれるの待ってたんですよね。多分そいつは、冒険心と向上心が高くて、協調性と危機意識が低い奴と思います」
そう云っている間に、二人目、三人目が神田やクラウンの足をよじ登り始めた。最初に上り始めた小人は、神田の膝頭の辺り迄到達している。
「擽ったいですね」そう云って神田は、膝の小人を抓み上げた。「抓めるんですねぇ……」
「まあその辺は、触覚なくすことも抓めなくすることも出来ますが」
そう云ったかと思うと、小人は神田の手から落ちた。脚を上って来る小人達も、急に実感が無くなる。投影された映像の様だ。
「自由自在ですね。この上何を訓練しましょうか」
「指導者がそんなんやと困りますよ」
合宿二日目にしてカリキュラムの行き詰まりを感じている二人は、床を埋め尽くす小人の幻影を前に、すっかり立ち竦んで仕舞っていた。
其処へ恰幅の良い、ニコニコ顔の白髪混じりの大男が入って来た。
「よぉう、遣っとるか!」
「かかりちょお!」
「部長だっつーのに!」
その部長だか係長だかは、クラウンの前に立つと、「君が噂のパンクロッカーか?」と訊いた。
「いや……パンクではなくて、一応メタルなんですが」
「おお、そうか! それは済まない!」
そして小人達を蹴散らしながら、神田へと寄って行く。尤も、蹴散らすも何も彼に小人は見えていないのだ。クラウンが幻覚を見せる対象としない限り、小人達が見えることはない。
だからクラウンは、彼にも小人を見せて遣った。
「おおっ! なんだこりゃあ!」
突然出現した小人達に驚愕し、ナントカ長は歩みを止めた。
「係長も見せて貰えたんですね。これが彼――クラウンさんの能力ですよ」
「幻覚師ってやつか! こりゃ圧巻だなあ! わはは、俺に登るかお前!」
すっかり楽しんでいるようであるが、クラウンは彼の名前さえ知らない。
「あの……こちらの方は」
「あゝ、すみません!」神田がハッとした様に顔を挙げた。
「私の上司の、佐々本かか――いや、部長です」
「部長さんなんですね?」
「そうです、部長なんです。前は係長だったんですが」
「何年前の話をしとるか! 二〇一一年の正月にこの会社の部長に収まって以来、もう八年間も部長なんだぞ! 係長だった期間の、四倍近いのだ! 四倍! 否、正味三倍ちょっとだが!」
語気は激しいが顔は笑っているので、怒っている訳ではないようである。
「あゝ、もうそんなになりますかねぇ」
神田は遠い目をした。その視線の先に何があるのか。
「ほんで。どないしましょ」
空気が停滞し掛かったので、少し押してみた。
「唉、そうですねぇ……」
「なんだお前ら、困りごとか?」
佐々本部長が二人を交互に見る。
「えゝまぁ。クラウンさんが優秀過ぎて。次に何の訓練をしようかと思案していたところなんです」
「俺に任せろ! で、何が出来る?」
神田はクラウンの能力に就いて事細かに説明した。認識制御に、空間を越えた遠隔監視能力。監視情報の記録と再生。
「なんだそりゃあ、丸っきりスパイの為の能力だな――ご先祖にMI6かKGBでもいなかったか?」
「かかりちょぉ」
「なんだよ、ジョークだジョーク。それにしてもなぁ……」
佐々本はクラウンを繁々と眺めた。
「後は亜空間ワープでも出来れば完璧だな」
「なんの完璧ですか、そりゃ?」
二人の会話を聞きながら、クラウンは己の掌を凝と見詰めていた。亜空間と云うのが如何なものか判らないが、ワープと云うからには、二点間の直線距離より短い経路を見付けなければいけなくて、それは一枚の紙を折り曲げてスタートとゴールをくっ付けるようなものだと、以前何かの漫画で読んだ気がする。
「二点間を……」両手を合わせて「くっ付ける?」
クラウンの呟きと同時に、周囲の景色が急変した。
「うおっ、なんだこれは!」
佐々本が明白に狼狽える。
「これが亜空間ですよ、係長……」
神田はクラウンを凝と見詰めている。
何より驚いていたのはクラウン本人である。この妙な空間は、確かに自分が生み出したものだと思う。然しそれが如何云う意味を持つのかが、好く解らない。
「かっ、神田さん? これは一体……」
「何か来ますね」
「え?」
遠くから誰かが遣って来る。凝と目を凝らして待っていると、少しずつ判然と視えて来る。
「サタン? 赤鬼も……いや違う、これは……」
如何見てもそれは幻覚だった。自分の視覚に迷い込んで来たノイズだ。クラウンはそれを消し去ると、神田を振り返った。神田は何かに驚いた様に目を大きく見開いていた。何かの幻覚を見ている。
「あゝ、不可ない……」
クラウンはそれも消した。神田が安堵の溜息を吐く。
佐々本を見ると、これも何かを凝と睨み付けた儘固まっている。これも幻覚を見ていたので消した。
「どういうことかな」
佐々本が二人に向けて疑問を発する。
「幻覚に襲われていますね……非常に緩慢にですが」
「やはりそうなんですね。これは、この空間の特性なのでしょうか」
クラウンの説明に、神田は納得した様に頷いた。
「で、この空間はなんなんだ?」
佐々本は四方に睨みを利かせながら尚も問う。
「ですから亜空間ですよ。恐らく、地上の何処よりも目的地へ早く辿り着ける空間、係長の求めていたワープ空間でしょうね」
「本当かよ」
「僕にはそう見えます」
空間の生みの親のクラウンは、その説明を聞いても全くピンと来ていない。
「論より証拠。一寸移動してみましょうか。そうですね――大月支社へ向かって」
そう云って神田が歩き出すので、後の二人も仕方なく付き従った。十歩程進んだ処で神田は立ち止った。
「恐らくこの辺りなのではないかと。クラウンさん、空間を片付けられますか?」
クラウンは手を合わせてから、それを緩と開いた。先刻の逆手順の心算で。
周りの景色が回転しながら消えて行き、何処かの会議室へと出た。
「おお、大月だ! このぼろぼろのテーブルは、確かに大月のものだ!」
佐々本が驚いている。如何やら神田の云う通りだったらしい。
「はゝ、富士からほんの数歩で、大月か」
「大月って遠いんですか? 何県です?」
クラウンの疑問には神田が答えた。
「大して遠くはないですよ、山梨県ですので。ただ、普通数歩では着かないでしょうね」
「神田さん……これ、何なんですか……」
「愈々別次元へ移動し始めたとしか」
クラウンは神田の顔をまじまじと見詰めた。如何にも頼りなさが滲んでいる。
「亜空間だろう! ワープ空間だよ、SFでよくあるヤツ!」
佐々本は能天気なことを云っているが、クラウンには如何も信じられないし、神田も解釈に困っている様である。
「それにしても神田さん、よく目的の位置が判りましたね」
「私はね、兎に角能力者の能力が判るんですよ。その特性も手に取る様に理解出来る。時々理解を超えることもありますが、一度見聞きし、体験して納得さえすれば、後は細部迄我が事の様に解ります。だからあなたの作り出した空間の特性も解って仕舞う。――あなたにも解っていた筈ですよ」
「えっ、いや……」
「よし分かった!」佐々本が、獄門島なんかの映画に出て来る等々力警部の様な感じで、ポンと手を打った。「もう一回遣ってくれ、それで富士に帰ろう。その時にもう一度よく検証してみればいい」
「そうですね。クラウンさんお願いします」
クラウンは云われる儘、先程と同じことをもう一度遣ってみた。掌を凝と見詰めて、くっ付ける。周囲の景色がぐるぐると回転して、怪しげな空間へ入る。
「よし、富士はどっちだ?」
「クラウンさん、土地勘が無いとしても、元居た場所が何処か位なら判りませんか?」
「そうですねぇ……」クラウンは周囲を見回した。先程と同じ様に怪しげな幻覚が襲来して来たので、それをいなしつゝ、「こっちの方ですかねぇ」と指さしてみる。
「正解だと思います。では、此処だと思う所迄進んでみてください」
クラウンは自分の感覚に従い、十歩程進んで止まった。
「此処だと思うんですが……」
「では通常空間に戻りましょう」
掌を合わせてからそっと開くと、再び元の空間へと戻る。其処は正に、大月へ向かって出発した時と全く同じ場所だった。
「ビンゴォ! それにしても今回は、変な幻覚に襲われなかったな」
「あゝ、消しておきましたので」
佐々本の独り言にクラウンは何気なく答える。
「襲われる前に対処したのか、大した適応力だな」
佐々本は目を丸くしていた。
「そうなんですよね。センスあるんです、彼」
思いの外褒められたので、クラウンは鳥渡むず痒そうに体を捩った。
その頃サタンと赤鬼は、スタジオを引き上げて公園のトイレで化粧を落としていた。
「この後一杯どや?」
サタンがタオルで顔を拭きながら、赤鬼に声を掛ける。
「えゝで。――え、クラウン行かんの?」
「なんや、付き合い悪いの」
「まあ、本調子でないなら無理強いはせんよ。帰って寝とき」
「まあ、演奏の方も今日はなんだか、存在感が薄いと云うか、いつものノリが無かったみたいやしなぁ。――ほな二人で、いつものとこ行こか」
サタンと赤鬼は、二人で呑み屋へ向かった。二人の中では、クラウンは体調が優れないと云って一人で帰ったことになった様だ。
二人が好い感じに酔っている頃、高槻の空には神田とクラウンが帰って来ていた。
「結局二日間で、可成の収穫がありましたね」
「こんなに能力を連続して使いまくったの初めてなんで、流石に疲れましたわ」
「未だ未だ発展の余地はありますよ。先程も説明した通り、今回急激な能力の開発が見られた為、早めに切り上げて一旦はお帰り頂く訳ですが、暫く間を置いてからまたお迎えに来るので、楽しみにしておいてくださいね」
「はい、首を長くして待っておきますよ」
「それはそうと、皆さんに掛けた集団幻覚、解き忘れない様にお気を付けください」
「おゝ、そうやった。うっかりドッペルゲンガー発生させるところでしたわ」
神田は薄く笑うと、「ではお気を付けて」と云って、クラウンを静かに地上へと降ろした。
クラウンは建物の陰に隠れた状態で一旦立ち止まり、広範囲に掛けておいた集団幻覚を緩やかに解除すると、自宅への道を歩き始めた。




