安楽死料理屋〜安楽亭〜
「いやぁ、まさか予約がとれるなんて思ってもいませんでしたよ」
老人は温かいおしぼりで手を拭きながら嬉しそうに言った。
安楽亭。安楽死を望む人が最後の晩餐にと訪れる料亭。
死んでもいいから食べたいと思わせる料理をコンセプトとしており、その名の通り食べ終わる頃には毒がまわり死に至るという噂の店だ。
ただ、噂以上の“裏”を抱えているという話もある。
予約申請は常に殺到しているが、来店許可は予約順でもなければ抽選というわけでもない。何故死にたいかという理由が書かれた予約依頼の中から料理長が直々に招待客を選ぶ仕組みといわれている。
橙色の照明に照らされた店内は狭く、店のカウンターには老人を入れて四人の客が座っていた。
老人はにこやかな様子で話を続ける。
「私はね、先日余命宣告をされたんですよ。癌らしいですわ。今年で八十になりますし、寿命といっちゃあ寿命ですわな。これからどんどん苦しみが増していって食べ物も喉を通らなくなるくらいなら最後に美味しいものを食べて死にたいと思ったんですよ」
老人の話を聞くと、カウンターの向こう側で料理長は伏せ目がちにゆっくりと頷き、老人の隣に座っている次の客に目を向けた。
ここの料亭ではいくつかのルールが存在する。その一つが食事の前に死にたい理由を自分の口で語る事だった。
「次は俺の番か。結論からいうと、さっき人を殺して来たんだ」
自分の身体の倍以上も足を開いて野蛮そうな中年の男が口を開いた。
「昔のことだが、俺の一人娘が輪姦されて自殺しちまったんだ。それから嫁さんと何とかお互いやってきたが……嫁も娘のところに逝っちまってね。俺ァこう見えて弱虫だから同じように後を追うことも出来ねぇし、そうしてたらこの店の予約がとれてよぉ。この日に死ねるって分かったら急にやる気が出てきて、無事にさっき最後の一人を殺ってきたんだ。何の後悔もねぇよ。アイツらも自分を殺した奴が刑務所にも入らず美味いもん食べて幸せのまま死ぬんだから悔しいだろうな」
男は抜けた前歯を見せながらニコリと笑う。その様子を見た料理長はまたゆっくりと頷き、男の隣に座る女性へと目を移した。
「えっと……私、特別な理由があるわけじゃないんです。ただ、生きるのが――苦しくて。」
女性は小さな声でおどおどするように話を続ける。
「大学に入ったものの、朝起きられなくなって。そのまま昼夜逆転の生活、友達もいなくて……このままじゃダメだと思って、大学を中退して深夜帯で働き始めたんですけど、失敗ばっかりで怒られるし、みんなが当たり前にしている事が出来なくて……生きている意味あるのかなって」
女性がちらりと視線を料理長に向けるが、料理長は静かに手元のまな板を見つめているので女性はハッとしたように言葉を付け足した。
「そ、それでっ……今日ここの予約がとれて私久しぶりにおしゃれしたんです。予約が取れるなんて思わなくて、まるで自分が特別な人間になれたような気がして……今までこんな意欲出なかったのに、死ぬ時くらいは綺麗に死にたいなって、ただ……それだけです」
女性がもう一度料理長に目をやると、料理長はゆっくりと頷き最後の一人に目を向けた。
最後の一人は剃り残した髭がトレードマークの草臥れた男だった。実はこの男は記者で、オカルト界隈で噂の安楽亭の取材目的で応募してきていた。
今までもそういった目的の人物が多数応募してきており、最初の応募段階で予約から弾かれてしまうのが常だったがこの記者は他の応募者とは少しだけ違うところがあった。
死ぬ気持ちだけは純粋に持ち合わせていたのだ。
男はポケットから手を出し机の上に肘をついて話し始める。
「俺ァ、記者一筋で今まで生きて来たんだ。今年で遂に定年だ。最後にでかい花火をぶち上げるには此処しかねえって思ったのさ」
そう言って記者は自らのスマホを手にとり料理長に見せつけるように掲げた。
「ここの料理を食べながらSNSで実況させてもらうぜ。何、店のルールに反することはしねぇさ。写真も撮らねえし動画も撮らねぇ。四十年かけて俺が築き上げてきた文章で全て表現してやるよ」
記者がそう言うと、料理長は表情を変えず穏やかなままゆっくりと頷いた。
全員の視線が料理長に向くと、料理長はここへきて初めて口を開いた。
「本日は安楽亭にお越しくださり誠にありがとうございます。当店のルールは皆さんご理解していただいていると思いますが、今一度ご確認お願いします」
そう言って料理長はお品書きと共に注意事項と書いた紙を全員の目の前に置くと、各々顔を近づけてその端正な文字に目を通した。
一、写真や動画の撮影は禁止とする。
二、貴金属類は外しておくこと。
三、出されたものは必ず全て食べること。
「なぁ、この貴金属類を外すっての、時計は机を傷付けるからとか高級店ではするなっての聞いた事があるが、ネックレスや指輪までとるのに何の意味があるんだ?」
野蛮そうな男が尋ねるが、料理長は微笑んでいるだけで何も返さない。
見かねた老人がおそらく、と声を出した。
「此処の料理は普段は猛毒とされるものを調理法や食材の組み合わせで発症する時間を調節し、食事が終わる頃にぽっくり穏やかに死ねるというもの。食材が金属類に付いて化学反応を起こしたり、アレルギー反応を起こしてショック死しないようにしているのではないでしょうか?」
老人の言葉を聞いて男は素直に納得する。
「なるほどな。出されたものは全て食べ切るってのもそこに関係してくるのかもな。じいさん、ありがとよ」
男がお礼を言うと、料理長も穏やかに笑ったまま一度頷き最初の小鉢を皆の前に置いた。
「季節の芽のジュレです」
皆がおそるおそる置かれた小鉢の中を覗き込むと、透明感のあるゼリーの中に緑色と赤色が散らばり、照明を跳ね返す様は誰が見ても綺麗な一品である。
「おお、案外普通に美味そうだな」
最初に箸をつけたのは記者の男。
何かの芽のようなものを箸で摘み、じっくり見た後に口に入れ咀嚼する。
「ふむ。けしの芽か。確かに合法的には食べられんな。それと……この謎の食感のものはなんだろうな……ジュレはかつおだしがベースで、ほんのり香ばしく苦味がある」
記者は喋りながら左手でスマホに文章を打ち込み送信ボタンを押した。
「なんか見覚えがあるんだがなぁ……」
老人もぼやきながら二口目を口に入れる。
「あ、あのっ……!」
女性が声を上擦らせながら言った。
「じゃ、じゃがいもの芽ではないでしょうか……少し芋っぽい味もします……まっ間違ってたらすみません」
女性は早口で少し遠慮がちに言うと、やはり言うんじゃなかったとでもいうように視線を落とし、恥ずかしさで顔が赤く染まる。
「おお、そうだそうだ、これぁじゃがいもの芽だ。買ったまま置いてたら生えてきてて嫁さんが捨ててたよ」
野蛮そうな男が最後の一口を食べながら言うと、女性はホッとしたように顔を上げ、口に入れた芽を飲み込んだ。
全員の小鉢が空になったことを確認すると、料理長は小鉢を下げ次の椀を置いた。
「ベニテングダケの吸い物です」
そう言って置かれた椀の中には、薄く切られたかさの赤い茸と透き通った汁の上には白い小さな花と紫色の花びらが浮いている。
「はぁー、綺麗なもんだ。蓮の花かと思ったよ」
野蛮そうな男が感嘆の声を上げる。
「お、仏の世界へ逝く前だからかね。上手い事言うねぇ」
老人が楽しそうに男を持て囃した。そのやりとりに女性がクスリと口角を上げる横で記者の男は早々に椀を手に持ち、汁を一口吸った。
「お、おぉぉ……こりゃすげぇ。アミノ酸が桁違いだ。ベニテングダケってなぁ、こんなに旨味が強いのか」
二品目にして皆の緊張はほぐれ、名前も知らない、年齢もバラバラな他人とはいえ和やかな空気が流れた。
「本当に美味しい。スズランの花がほんのりいい香り……この紫色の花はトリカブトね」
「お姉ちゃん詳しいなぁ! やっぱり女の子はお花が好きなのかい?」
「そ、そういうわけでは……ただ、死に方を探してた時に丁度調べた事があって……」
「なるほどなぁ……ならうちの娘も、嫁も、知ってたのかねぇ……」
野蛮そうな男は小さく声を零し、椀の中身を全て飲み干す頃、調理長は次の料理にとりかかっていた。
「次は四種のお造りです。こちらからバラムツ、トラフグ、アオブダイ、牡蠣になります。牡蠣にはこちらのレモンと塩をお好みでどうぞ」
綺麗に盛られたお造りを前に、箸をつけるタイミングは皆ほぼ同じだった。
「ほぉ。ムツといえば脂質が多くて下痢になるんじゃったか?」
「おいじーさん、下痢とか言うなよ食事中だぞ」
「か、牡蠣に関しては、もはや安全すぎて何の怖さもありませんね」
「さっきから安楽死っていう程、そこまで毒性が強いものが出てこないな。しいて言うなら明日を気にしない人が食べられるコースといったとこか?」
記者の男は自分の指先が最初よりも動きにくくなっている事にまだ気が付いておらず、誤字を打っては消してを繰り返した。
「次はイシナギの香草焼きです」
「昔は肉の方が好きだったが、いつの間にか魚の方が好きになっていたのぉ」
「俺はまだ肉の方が好きだな~」
「確かにお肉もいいですね」
「この香草はなんだろうな……見たことが無いな……」
記者の男は思わず癖で写真を撮りそうになったが、ギリギリ残っていた判断力でなんとか堪えた。昔の男なら相手の目をかいくぐってでも写真をとって調べていたかもしれないが、今はそんな気概も消えていた。
「お次はフグの白子と彼岸花の根の煮つけです」
「……罪悪感があるのぉ」
「煮つけといいつつ結構生だぞ」
「美味ひい……でも、少し舌がしびれまふね」
「少し目がかすんできた気がするが、食事のせいかスマホのせいか……」
皆の体が僅かに揺れ出した。料理長は顔色を変えず目を伏せ、静かな表情のまま次の料理をよそった。
「お次は炊き込みご飯と香の物になります」
「もう米か……楽しい時間は早いのぉ」
「あぁ、あっという間だったな」
「日本人ならさひごに、ごはん、食べたいでふよね」
「もう、何が入ってんのかどうでもよくなってきたな」
料理長は湯を沸かし始めた。時折席を外し、店の奥へ行ったり来たりしているが、皆は料理長が何をしていようがもうどうでもよかった。
「最後、こちら南国フルーツになります」
「ふしぎないろじゃ」
「あまいな」
「はい……」
「これでおわりです……と……」
記者の男が震える手でスマホの画面をタップし、最後の文章を送信するとピコピコと通知音が鳴り続けた。その初めて聞く音の連鎖にどんなに気持ちが高ぶっても麻痺した口角は弧を描けなかった。表情に反して記者は満足気に電源を切り、それを鞄にしまう頃、料理長は急須からお茶を注ぎ入れていた。
「本日はありがとうございました。こちら温かいお茶です」
全員が震える視界でまるで最初の一品のように湯呑の中を覗き込んだ。湯呑の色自体が黒っぽくで分かり難いが、ほんのりと青い色がついて見えることに女性は気が付いた。
「青い色……バタフライピー……それとも……」
女性はここへ来て初めて誰よりも先に湯呑に口をつけた。なんの変哲もないお茶の苦みを感じ、やはりかと、推理が当たったような表情と共に頭をふらふらさせて机に顔を伏す。
「本当だ、青いな。そういえば、嫁さんが飲んでた睡眠薬も、溶かしたら青色だったよ」
野蛮そうな男は眠るように倒れた女性を後目にそれを一気に飲むと、同じように静かに顔を机に伏せた。
「あがり……って言い方は寿司屋か? まぁいい、わしもここであがりじゃ」
老人は湯呑を少し掲げ、全員に小さく会釈すると同じように飲み干し、顔を伏せる。
「料理長……わがままきいてくれてありがとな、うまかったぜ」
記者もお茶を飲むと、静かに机に伏して浅い呼吸を繰り返す。そのようすを見届けた料理長は店の奥に戻ると大きな台車を引いて戻り、僅かに息のある四人を乗せまた奥へと戻る。
店の奥をさらに抜けるとそこはまた別の店内だった。
同じようにカウンターがあり、そこには人よりも数倍大きな化け物が四匹、等間隔に席についていた。
「お待たせしました。食材の下処理ができましたのでこれから調理に移りますね」
先ほどと打って変わって饒舌になった料理長はカウンターに座った化け物たち話しかける。
「いやぁ、まさかこの店の予約がとれるなんて思わなかったなぁ」
一番左端に座る角が生えた黒い化け物は言った。
「ここの料理を食べたら死ねるんだろ? 長命種の俺らには願ったりかなったりだよ。多少の傷じゃあすぐに回復しちゃうしな」
その隣から嬉しそうに体中から毛が生えたドラゴンのような化け物は言う。
「はい、こちら原材料に特別に配合した毒を含ませており、眠る様に死ねるようになっております。糞尿も予め出しておくことによって臭みもなく、酵素を含んだものを食べさせることで柔らかい肉質に仕上げております。あと、気を付けてはおりますが、たまに固い金属がついている個体もありますのでよく噛んでから飲み込んでください」
料理長は四人の衣服を剝ぎながら答えた。
「他にも似たような店はあるけど、ここの店の食材は活きが違うっていいますよね。何か秘密でも?」
ドラゴンの隣で長い爪を交わせて細長い化け物は問う。
「安い店は毒物を無理やり食べさせるんですよ。そうすると恐怖心で肉が硬くなりますしストレスで酸化も進み美味しくなくなるんですよね。死後硬直ってのが始まると一番ダメです。鮮度が命ですから」
そう言って料理長は記者が持っていた鞄に剥いだ服を詰め、まとめてゴミ箱に捨てた。
「まぁ、食材の仕入れはかなり手間がかかりますけど、最近は人間界も便利になってましてね。宣伝すれば向こうから来てくれるので助かってます」
料理長は四人の身体をシンクに入れて丁寧に洗い、四匹の前に一人ずつ差し出した。
「どうぞ、安楽亭名物人体の毒盛りです。息があるうちにお召し上がりください」
怪物たちは我先にと食らいつき、毒が回っていくのを惚けた顔で楽しんだ。
「あぁ、やっと死ねるんだ……」
「今まで生きてきて一番うまい肉だった……」
怪物たちは満ち足りた笑みを浮かべ、その身は砂となり消えていく。だが、料理長の背後、かすかに揺れるカウンター――そこには、朽ちかけた人の腕が一つ、まだ命を留めているようにも見えた。