心変わりを咎めるつもりはありません。え?私を愛してる?…???
「…愛してる」
「え?」
「え」
「え?」
この人は何を言ってるんだろう。
「???」
「…いや、そんな反応されるのも仕方がないな」
「ん?んんん?…聖女さまを愛してらっしゃるのですよね?」
「それは…過去のことだ」
「???」
過去とは?
「聖女さまを愛しているとつい先日仰ったじゃないですか?」
「…」
「…あ、聖女さまが誰とも結婚せず国のために尽くすと宣言されたから心を改めたとか?」
「…」
聖女さまは、この国で貧民街で生まれた方。聖なる力を発現してから教会に引き取られ、聖王猊下直々に育てられた。
純粋培養で育てられた彼女はとても無邪気で誰にでも優しくて、だから多くの貴公子から愛された。私の婚約者も聖女さまに惹かれた一人。
…けれど、心の本当に清らかな聖女さまは多くの貴公子の心を知りショックを受けた。大概、婚約者のいる人ばかりだったから。
自分のせいで数々の女性が泣いたと知った聖女さまは宣言した。生涯誰とも恋愛はしない。結婚もしない。国のために心を捧げ、尽くすと。
聖女さまのその宣言は、神への誓いでもある。その縛りは、聖女さまの聖なる力を強くした。そのかわり、誓いは破ることは許されない。破るとどうなる…ではなく、破ることが絶対できないのが神への誓いというものだ。
「…まあ、お心を改めたのならとてもご立派なことだと思いますが。それでなぜ私を愛しているなどと?」
「…俺は、お前への気持ちを思い出した」
「???」
「俺をいつも支えてくれた。いつだってそばにいてくれた」
「まあ、婚約者ですから」
そりゃそう。
「俺が一番愛していたのは、お前だ」
「…?」
んんんんんんん?…うん。
「そ、そうですか」
「将来、予定通りに結婚してくれるか?」
「そりゃあ婚約者ですから」
うん。家の存続やら醜聞やら色々心配して、私との婚約を持ち直そうとしていらっしゃると。
まあ実際、聖女さまへの心変わりを理由に捨てられた貴公子も少なからずいる。実家同士のパワーバランスにもよるけど。私は辺境伯家の娘で、彼は伯爵家の跡取り。うちの方がどうしても格は上だから、不安になるのもまあわかる。
あと、単純にケンカになったら負けるからかもしれない。辺境伯領で魔獣との戦いに女の身でありながら剣を持って参加する私はまあ、強い。殴り合いになれば確実に彼に報復できる。
…けれどちょっと待って欲しい。私は別に心変わりされた程度で婚約を破棄したり殴り合いに発展させたりするほど彼には興味ない。婚約者だから結婚する程度の認識で、私は浮気しないけれどあちらの浮気には目を瞑る気満々である。
つまり彼が心配するようなことは、何もないのだ。
「…心配しなくても、私は貴方を咎めるつもりはありません」
「!」
「そもそも咎める理由もありません」
安心して欲しくてそう言ったのに、彼は何故か絶望感溢れる表情でこっちをみてくる。
「???」
「いや…そう言われても仕方がない。長い年月をかけて、償う。そして、信頼を取り戻す」
「償うとは?償うようなこともないでしょう。心変わりしただけで、実際不貞行為に及んだわけでもない。そもそもあの聖女さまがそんなこと許すはずもなく。…むしろ、完膚なきまでに失恋してお可哀想です。元気出してくださいね!」
「…」
励ましたのに、何故か撃沈する彼にはてなマークが消えない。が、やっと話は終わりのようで開放された。
「明後日は孤児院への慰問だったか」
「そうなんですよ。うちの孤児院、他と違って魔獣と戦う騎士を輩出する育成施設でもありますから。辺境伯家最強たる私が出向くとめちゃくちゃ盛り上がりますし」
「自分で言うか…」
「だって強いですもん」
唯一の弱点は月一の腹痛くらい。それさえなければ男に遅れをとるつもりはない。女の身体はやはり少し不便だが、その分男にはない俊敏さが私の売りだ。
孤児院の子供たちは当然女の子も多く、私は女騎士を目指すあの子達の手本になる。男の子たちも、女に負けていられるかと私に闘志を燃やしてくれるし。
「無理はするなよ」
「おや、こちらのセリフです。辺境伯領と違って平和な伯爵家の跡取りだというのに、今更鍛え始めたとか。どういう風の吹き回しか知りませんが、無理は禁物ですよ。強さなど、ようは積み重ねですから」
「…」
何故か微妙な顔をされる。
「今まで、本当に悪かった」
「?」
「女なんだから女らしくしろなどと。お前のことを少し知れば出るはずのない言葉だった」
「まあ、貴方はそんなものでしょう」
「…そういうところだぞ」
それを言うのならば、私も彼を知らなかった。支えてきたつもりだったが、聖女さまに癒された彼は初めて見る顔をしていた。聖女さまへの恋を語る彼もやはり、初めて見る顔をしていた。
「逆に言えば、私もどこまでいっても私です。そんなもの、と思って見ておいた方がいいですよ」
「…」
「なんだか最近、妙に私のことを再評価してくれているようですが。実際、貴族の娘としては私は異端です。だからこそ、ここまで強くなりましたが」
「お前…」
「ですが、この強さは辺境伯領を出ればむしろ弱点となるでしょう。貴族社会という魔の巣窟では格好の餌食となるでしょうね。…その時は、貴方が頼りです」
目を丸くする彼。自覚がなかったのかと驚く。
「なんて顔してるんです。しっかりしてくださいよ」
「お前に頼られることがあるとは思わなかった」
「仕方ないじゃないですか、私はあまり人の考えがわかりません。まして貴族社会など魔獣どもより獰猛な獣たちの巣窟です。反吐がでる」
「言い方」
「そこにおいては物を考えるのが得意な貴方の方が、私などよりよほど強いでしょう。普段は支えてやりますから、よろしくお願いしますよ」
ほんと頼むよ、と彼を見れば…何故かかつてないほど優しい表情。
「いつも一人で活躍してきたお前にそんなに頼られるのなら、いくらでも」
「おや、失礼な。一人で活躍するのは戦場を駆ける時のみの話。普段は至らない貴方を助けてきてあげたでしょう」
「そうだな」
「まあ、戦場ではあの女一人で充分だろと散々言われてきましたがね」
ふふんと胸を張れば、何故か微妙な顔をされた。
結婚してからも特に彼との関係は変わらない。
辺境伯領を出た私はもう無類の強さを褒められることはなくなった。それどころかそれを貶められる始末。わかりきっていたことではあったし、弱き者が吠える姿はむしろ嗤えるので愉快だったがそれはそれ。舐められるのはいけないが社交の場は不得手なので、彼に面倒は丸投げした。
その分、領地経営などは全力でサポートした。彼は優秀だが、少しばかり優しすぎる部分もある。鈍い男のくせに、下手に頭は回るから考え過ぎてしまうのだ。だから、非情になりきれない彼の代わりに私が鬼になる。
そうして支え合う。子宝にも恵まれて、子供たちも良く育っている。
けれど、アレ以降彼が私に愛を囁くことはないし私も彼を愛してはいない。私たちの関係は変わらない。だが、私にはそれが心地いい。…そのはずだった。
「貴方にお土産ですよ」
「なんだ」
「あのクソ野郎のクビです」
「は?」
「ついに失脚させてやりましたよ!」
家臣の中にもまあ、面倒な者はいる。それを追い落とすのも私の役割だ。
「いつも悪いな」
「貴方は甘いですからね。貴族どもとやり合う時にはそれなりに悪い顔もできるくせに、手元にいる人間にはそうしない」
「…」
「でもま、そういうところは実際気に入っていますよ」
珍しく褒めた(?)私に彼は目を見張る。
「…そうか」
「ええ」
「今なら、信じてくれるか?」
「?」
「愛してる」
彼の言葉にはてなマークが浮かぶ。
「???」
「…まだダメか」
いや、彼がそんな嘘をつく理由もないので本当だろうとは思う。だが、彼には聖女さまに向けていた熱い熱を感じない。
愛にも種類があるのだろうか?
私には、理解ができないが。
「いや、まあ、貴方が愛しているというならそうなんでしょう」
「…」
「けれど、それは私には理解できないものです。長く一緒にいたんです、お気付きでしょう?」
私には、あまりそういうものが理解できない。それは戦場に長く出た弊害なのか、どうか。もしかしたら、背を預け合うような仲の者たちを魔獣に目の前で殺され過ぎたから…そういう感情には鈍くなったのかも。
あるいは、強すぎて一人で生き残り続けたほどの私だから生まれつき何かが欠けていたのか。
だから、多分おそらく彼の望む言葉が私から出ることはないだろう。もしくはそんな機会があるとしてもまだまだ時間がかかるか。
「…まあ、信じてもらえたなら進歩だ」
「そうですか」
「しつこく言い続ければ、お前もやがて絆されるだろう」
「私でなければ離婚案件のセリフでは???」
「お前だからいいんだ」
いいのか。本当に愛している相手に言うセリフなのか。知らんけど。
「それにお前、気付いてないだろ」
「ん?」
「娘達や息子に向ける目が、年々優しくなってる」
「…ほう?」
「お前も、愛を知ったんだ。知らないうちにな」
…ならば、まあ、彼の言うように絆される日も近いのか。
「では、自覚できるのを楽しみにしています」
「自覚する努力をしろ」
「面倒です」
「そういうところだぞ」
でも、まあ。
「それが楽しみでにやける程度には、実際もう絆されてるのかもしれませんけどね」
「…そういうところだぞ」
いつになく上機嫌な私の顔に、大きな手で自分の顔を覆う彼に笑う。やはりからかい甲斐がある。…ああ、自分からこんな風に構う程度には。
やはり私は、彼を気に入ったらしい。
関係は変わらないと思っていたが、無自覚だっただけらしい。
「これからも期待していますよ。私を楽しませてください」
「言い方」
「なんです?文句でも?」
「言い方」
そんな反応を返すくせに表情は優しいから、やはり彼は甘い。
「まあ、どうせのことです。最期までよろしくお願いしますよ」
「任せろ」
結局、私には彼でよかったのだろう。
ああ、けれど。
彼は聖女さまのことは、本当にもういいんだろうか?
きっと、あんな熱は他に向けられないだろうに。
…まあ、その方が今の私には都合がいいのでこの疑問は心の中で握り潰すとしておこう。
【長編版】病弱で幼い第三王子殿下のお世話係になったら、毎日がすごく楽しくなったお話
という連載を投稿させていただいています。よかったらぜひ読んでいただけると嬉しいです。