戦いの結末 サーシャとケービット
ケービットへの焦点に戻ります。
――……は?
痛みよりも先に、地面に倒れ天井を眺めている自分の状態への混乱を覚えた。
今の一瞬、ケービットは何が起きたのか理解できなかった。
自分の目が捉えた事象を思い起こしても、よく分からない。
籠手に包まれた戦士の拳を防いだと確信した瞬間、視界が暗転した。
思い出してから、顔の中心が焼けるように熱くなっていることに気付く。
鼻に触れた手が真っ赤に染まる。
――痛い……
鼻は折れているが、この程度なら数分で回復する。
大した問題にもならない。
問題なのは、自分の魔法に何が起きたのか。
魔法行使の失敗……、そんな事は今まで起こったことがない。
もちろん、初めて使う魔法や試作中の魔法などは失敗もする。
それは当然のことであって、不自然なことではない。
今の問題は、手足を動かしたり喋ったりする事を同じくらい自然に使えるはずの魔法に不調が起きたこと。
なぜ、戦士の拳は展開したはずの“物理防御壁”をすり抜けた?
いや、そもそも“物理防御壁”が発動しなかった?
――なぜ?
分からない。
気になるのはあの瞬間、聞こえた小さな声。
『“魔法解除”』
――それが答えか?
あの魔法が、“物理防御壁”を阻んだのか。
しかし“魔法解除”は持続性のある魔法に対する解除魔法。
“物理防御壁”を発動できなかった原因とは考えにくい。
考えられるのは“魔法阻害”。しかしこれは魔法を発動できなくする魔法であり、魔力制御自体ができないため、魔法を使う感覚すら無くなる。
先程の“物理防御壁”は確かに発動する手応えがあった。
だからこそ次の手も考えていて、戦士の拳を避けることを考えなかった。
「ぐっ……」
痛む鼻を押さえながら状態を起こそうとすると、拳を振り降ろそうと構える戦士の姿が目の前にあった。
“物理防御「“――”」壁”
今度は聞こえなかった。
しかしまたケービットの魔法が発動せず、拳が顔面に振り下ろされる。
――まずい……ッ
直感的にそう悟る。
魔法が発動しない上、容赦のない打撃が意識を刈り取ろうと繰り出される。
これを続けられると、間違いなくケービットの意識は飛ぶ。
腰に差しておいた短剣を掴み、振り払う。
戦士は籠手で防ぐが、攻撃の手は止まる。
籠手に防がれた短剣をなおも力任せに振り切り、まさに馬乗りになろうとしていた戦士を引き離す。
ケービットはどうにか体を起こして後ろに飛び退り、短剣で牽制する。
短剣を警戒しているのか、戦士は距離を詰めてこない。
“治癒”
すぐに治るだろうが、思考の邪魔になる熱を持った鼻を癒す。
(防御魔法が解除される……おそらく攻撃魔法も……。
なら、徒手格闘か……?)
手にある短剣に視線を落としてから首を振る。
出来るはずがない、と。
ケービットの本職は研究者。
前線で戦う戦士を支えるための魔法研究や作戦立案。
敵の攻撃が届くような場所に身を置き、防御や回避をしながら魔法を使うような展開は、訓練も想定もしていない。
ましてや魔法が効かない敵と一対一で、魔法なしで戦うなんて考えた事もなかった。今まさにその状況になっていても、その選択肢を取ることが出来ない。
できるのはただ、今まで自分が信じてきた魔法を使うことだけ。
それが通用しないなんて事は、決してありはしないと。
“火の槍” “火の槍” “火の槍” “火の槍” “火の槍”
“火の槍”の一斉掃射を行う。
魔法が解除されるからなんだ。
解除されるなら、解除し切れないほどまとめて使えばいい。
まとめて五本の“火の槍”。
(解除できるものならするがいいッ!)
これだけの脅威を前にして、戦士は慌てた素振りを見せない。
それどころか後ろを流し見る始末には、ケービットをさらに逆撫でる。
“爆破”
更に左手に魔力を集め、追撃の準備を行う。
洞窟を崩してしまう危険はあるが、それ以上にこの戦士が気に入らない。
その不遜な態度を後悔するほどの絶望を味わわせたい。
しかし飛来する“火の槍”を、戦士は冷静に観察していた。
その様子はまるで児戯に興ずるよう。
まっすぐ自分に向かってくる五本の“火の槍”を、横に飛び退って避ける。
“火の槍”に追尾効果はなく、緩やかな曲線を描く洞窟の壁へと衝突した。
――な……ッ
ケービットは言葉を失う。
“魔法解除”を使うと思っていた。
魔法には魔法で対抗してくると思い込んでいた。
魔法への信頼、魔法研究に費やした長い時間、そして実戦経験の乏しさが、ケービットに致命的な隙を作ってしまう。
「“――”」
“キャンセレーション”ではない何か短い発声。
それと同時に、ケービットの左手に集まっていた“爆破”の魔法が解除される。
魔法が消えた左手に意識を向けてしまい、それが失態だとすぐに気付く。
一瞬の隙に肉薄してくる戦士。
理解が追いつかない。
咄嗟に短剣を振ろうとした腕は掴まれていた。
「あなたの土俵に上がるつもりはないよ」
懐から聞こえる戦士の声、そしてその前髪から覗く冷ややかな目。
神官の目は、そこに宿る怒りが対峙中のケービットへ向けられていない矛盾に違和感を覚え、恐怖を抱いた。
しかし戦士の目は、ケービットに対する明確な怒りが宿っているにも関わらず、その目は彼を見ていない。
こちらを見透かすような目はまるで……。
(私の魔力を見ているのか……? 先日から、ずっと……)
戦士の拳がケービットの腹部に痛烈にめり込む。
肺の空気が、内臓が口から溢れ出るような錯覚に目を剥く。
続いて掴まれた腕を引き寄せられ、額当ての頭突きを顎に受ける。
視界が揺れ、膝から力が抜けたところに足を払われた。
流れるような一連の動作は戦士の身に染みついたもので、近接戦闘に不慣れなケービットでは防御も回避も出来ない。
そのまま地面に押し倒され、今度こそ馬乗りになられる。
振り下ろされる拳を防ぐ手立てがケービットには無かった。
“物理防「“――”」御壁”
拳を防ぐための防御魔法は意味をなさない。
“治癒”
痛みに耐えかねて無意識に使ってしまう回復魔法。
殴られるたびに意識が飛びそうになる頭の中で、これだけが唯一妨げられることなく発動できている。
まるで、死なないように手加減されているように。
いったい何度、その拳を受けたのだろう。
もはや攻撃魔法や防御魔法は頭に無く、回復魔法だけを際限なく使っている。
しかし度重なる回復魔法でも、回復しきれないものはある。
魔力が残っていても、魔法を使う気力はどんどん削られ回復ができない。
気力が尽きれば、魔法という攻撃手段を失う。
短剣も押し倒された時に取りこぼし、手元にない。
(なぜ、私がこんな目に遭っている……?)
見慣れてしまった振り下ろされる拳を前に、ケービットは胡乱な目で訴える。
こんなはずではなかった。
容易く制圧できるはずだった。
魔法に関して、たとえ勇者が相手であったとしても利はこちらにある。
八十年ばかりの寿命でどれだけ研鑽を積んでも、決して及ばないと。
魔法に対する恩恵も、感謝も、熱意もすべて勝っているのだから。
勇者を降して実りの大地を取り戻すくらい出来るはずだと。
しかし、結果は予想とは真逆。
降されるはずの勇者一行に、一方的に追い詰められた。
“治癒”
弱々しい魔力の光が、ケービットの気力の限界を知らせる。
「“魔法阻害束縛”」
その上で戦士による束縛魔法が掛けられ、ケービットの敗北が決まった。




