近づいてくる敵
魔王が暴走し、高笑いをしながら単騎で飛び出していった。
気分が高揚する魔法文字も含んでいるとはいえ、こちらの指示に従う程度には冷静さを保っている予定だった。
とはいえ、過ぎた事はもうどうしようもない。
耳を疑いたくなる報告を受け、頭を抱えながらも引き返すことは出来なかった。
仮面と同じように装備した、魔法で作り上げた鎧などの防具にも様々な魔法を施してある。魔王がそこにいるだけで、大抵の者が絶望し戦意喪失するくらいの威力はある。
暴走という事実は失敗という他ないが、勇者の目を引き付けて、一年という時間を稼いでくれたと前向きに捉える。
後どのくらいの猶予があるか。
この場所も、すでに勇者に嗅ぎ付けられている。
実力差を見せつけて追い返したのだから、しばらくは時間があるはずだ。
まさか性懲りもなく現れることは無いだろう。
場所を移すことも考えたが、祭壇の移動、そして何より魔王の移動が難しい。
祭壇のあるこの広間は、魔王の領域であり、強化のための食事の間。
魔王の強化にあたって贄とした狼の魔獣は、一匹一匹は弱かった。
贄としても微力にしかならない。
しかしそれを百、千と積み上げれば話は変わる。
一年の間、祭壇でおびき寄せた魔獣を喰わせ続けた。
その広間に入った者を魔王は食べ、力を取り込む。
一種類の魔獣に絞ることで、純粋にその特性を継がせた。
一振りで肉を引き裂く鋭利な指と爪。
骨をも噛み砕く強靭な歯と顎。
一度動き出せば、この広間の中を縦横無尽に動き回る俊敏な足。
そして、一切の躊躇を見せない凶暴さ。
広間に入った食料を感知し、視認すれば鎖を振り解き食事を始める。
食事を終えれば自分で鎖に繋がれ、次の食事を待つ。
今のケービットはさながら猛獣の世話係である。
しかし目的のためなら下男の真似事にも興じよう。
機が熟せばこの魔王を解放し、その猛獣の本能のままに暴れてもらう。
それを安全圏から見物すればいい。
(さて、贄の魔獣でも連れて来るか)
狼の魔獣はどこにでもいる。
見つけるのも、誘い込むのも容易い。
――……ん?
広間の近くから離れようとする足が止まる。
何かが近づいてくる。
まだ遠い、しかし洞窟の中に入ったのは間違いない。
この気配、魔力の波長は知っている。
――また来たのか
勇者だ。
先日追い返したばかりの勇者が、またやってきた。
――愚かな
実力差は見せつけたはずだ。
あれから時間はほとんど経っていない。
その短時間で埋められるような実力差ではない。
勇者の防御は“火の槍”二本、“爆破”一発で壊れる。
戦士の妨害は軽く魔力を込めれば壊れる。
神官の突進は“物理防御壁”で防げる。
――まあいい
立ち向かってくるなら来ればいい。
しかし前回のようにはいかない。
勇者一行の実力は把握できている。
勇者を倒すだけなら、機が熟すのを待つ必要はない。
この山の中では、魔法の利はこちらにある。
未熟で蒙昧な勇者を討ち取れば、ゆっくりと目的を達成できる。
そうすれば元老院としての地位も揺るぎないものになるだろう。
先日侵入されてから強化した探知魔法で、その動きを確認する。
迷いのない足取りには、警戒し足踏みする様子を感じられない。
この洞窟は迷路の様に入り組んでおり、かつ同じ大きさの穴が続くため、さらに迷いやすいはずだ。更にケービットは土の魔法により一部の通路を塞ぎ、侵入を拒むように対策をしていた。
そして魔王の食糧確保のために設けた祭壇により、多くの狼の魔獣を洞窟内まで誘い込んだ。彼らはたとえ暗闇でも匂いを頼りに襲ってくる。
しかしそれすらも難なく突破し、まっすぐにこちらを目指してくる勇者一行。
あちらにも探知魔法を得意とする者がいるのだろう。
前回の侵入で位置を特定されているなら、ケービットの策は意味をなさない。
多少の消耗を強いる程度で、時間稼ぎにもならない。
勇者がここに辿り着くのに、そう時間は掛からないだろう。
だが、慌てる必要はない。
勇者たちの実力は知れている。
ケービット一人を相手に、防戦一方の戦いしか出来ない。
なら、ここに魔王を加える。
優位な状況をさらに絶対のものにするために、惜しむ手ではない。
幾千の魔獣を食らった魔王の実力はケービットと同等。
彼が参戦するなら、次は勇者たちに敗走の機会すら与えない。
現在は魔王の領域を定め、その中に入ったものに襲い掛かるよう仕込んである。
先日の勇者も、おそらくその事に気付いたからこそ慌てて逃げた。
であれば、あの広間に足を踏み入れることだけは避けるはず。
逆に広間に入らなければ、まだ安全だと思い込む。
ケービットは広間に足を踏み入れる。
それに反応した魔王がゆっくりと頭を上げていく。
「勇者が来る。私が注意を引き付けるので、静かに準備を整え、隙をみて襲え。
優先するのは神官だ。徹底的につぶせ」
淡々と指示を伝えると、魔王を小さく頷く。
仮面の魔法文字を調整したおかげで、こちらは暴走することなく従う。
最初に狙うべきは勇者、といきたいところだが、神官の回復魔法が侮れない。
隙をみて防御の堅い勇者を討っても、神官に回復されては意味がない。
ならば先に神官を潰す。
自己回復するだろうが、魔王に集中されれば間に合わないだろう。
当然援護に入ろうとする勇者と戦士はこちらで相手をする。
ケービットの魔法の前に、二人は防戦を強いられるしかない。
そして神官を仕留めてしまえば、魔王も合流する。
そうすれば勇者は終わる。
圧倒的な戦力を前に、緻密な作戦などは不要。
(勇者などと恐れられようとも、所詮は悪鬼)
ケービットの目に焦りはない。
むしろ、悲願でもあった打倒勇者を目前に高揚し、小さな笑みが隠せない。
(いつでも来い。その屍を踏み越え、実りの大地を返してもらう)




