長い一日の終わり
勇者一行は町長オースティンに連れられ、再び町長宅へと戻る。
精神的に大きな疲労を抱えてしまったため、その日はそのまま町長宅から出る事はなく、通された客間で休息を取ることになった。
「はぁ……」
ベッドに腰掛け、今度こそ本当に一息吐く。
まさかこんな事態になるとは予想だにしなかった。
収穫があったとは言え、直面した恐怖に今も手指の震えが止まらない。
思い出しただけでも、背筋が凍り付く。
アレが本気で使われていれば、間違いなく生きてはいられない。
どういう死に様になるのか、想像もできない程に恐ろしい。
アレは人が触れてはいけないものだ。
神の寵愛とも例えられる加護を持つウィルだからこそ、アレと向き合えるできるのだろう。
しかし、ウィル以外の人族では抵抗できない死の気配は、それを手放せないウィルを孤独にしていたはずだ。
アレがあるから、ウィルは町に住むことは出来ない。
だからこそ、死の気配の影響を受けないエステルの存在は、ウィルにとって掛け替えのないもののはずだ。
そしてエステルにとっても、ウィルは特別な存在であることが汲み取れた。
かつて王城に突撃し、残虐な行為に及ぼうとした魔王エステル。
身を挺してまでウィルを守ろうとした町娘エステル。
彼女は変わったのか、それともあれが本来の姿なのか。
「そういえば……、町でのエステルの様子はどうだった?」
オリビアに情報収集をしてもらったことを忘れていた。
それどころではなかったとも言える。
「そうねぇ」
オリビアは片手を頬に当てながら、視線を宙に漂わせる。
そして、クスっと笑みを溢した。
「よく働いて、よく食べて、よく笑う子」
「……ん?」
「元気が良くて、挨拶の声がよく通る子」
「…………」
エステルの日常はあまりにも平凡と言える。
あの様子から予想はしていたが、予想どおり過ぎる答えに声も出ない。
オリビアが住民たちから聞き集めた情報に、エステルの特異性を示すようなものは何もない。
やや華奢な見た目に反した体力や膂力による働きぶりは目を見張るものではあるが、それも常軌を逸する程ではない。
特別なにか目新しいことをするでもなく、魔法による大活躍をするでもなく、いち住民として他者の手伝いに奔走する姿は、ただの働き者でしかない。
よく働き、息を抜くように子供たちとも遊び、集団に馴染んでいる。
困っている人がいれば声をかけ、時に町の内外の清掃にも精を出す。
誰とも垣根を作らず、分け隔てなく明るく接するエステルに住民たちは心を開き、住民たちもまた彼女の力になりたいと、彼女が好きでいてくれる町を維持しようと努めていた。
「……まさに清廉潔白、と言ったところか。黒いところは無いの?」
「ちょっと言いたいことがある人もいたわよ」
「どんな?」
「あんまりにも美味しそうに食べるものだから、ついつい財布の紐が緩んでしまうのと、釣られて食べ過ぎちゃう事」
「……平和だな」
仮にも魔王だった者への評価とは思えないほどの長閑な文句。
しかしそれが、あの町の住民がエステルに下した評価。
モニカの光の魔法“浄化”でも確認した。
エステルによる精神支配の魔法は住民たちに掛けられていない。
人族と魔族の、長い長い戦いの歴史。
戦いが終わった後の理想的な姿は、この町の様に両種族が仲良く平和に過ごしている事なのだろう。
「この町自体がかなり治安の良いところだから、そのせいかもしれないけど」
「それもあるだろうな」
町長オースティンが誇らしげにするように、この町の治安はかなり良い。
暴力も窃盗も起きている様子はなく、隅々まで見たわけではないが、浮浪者や孤児の姿も確認できない。
そのような町であれば、他者を悪し様に言うことも少なくなる。
そのことが、エステルに影響と与えたとも考えられる。
「なんにせよ、彼女にとっては幸運が続いたのだろう」
真っ当な人格者のウィルに保護されたこと。
治安の良い町で、悪意に晒されることなく生活出来ていること。
それらの要因が重なったことで、あの平和な性格に落ち着いたのだとすれば、エステルにとっては、この上ない幸せなのだろう。
「このまま何事もなく、平和に過ごしておいてほしいわね」
魔王にかける言葉ではないだろうが、敵対しないのなら望むままに穏やかな日々を送っておいてほしい。
たとえ本人に戦う意思がなくとも、正体を知られればその力を利用しようと企む者が現れるかもしれない。
それこそ、エステルが大切にしているウィルや町の住民を人質にしてでも。
「じゃあ、何か対策がいるかな?」
「そうだな。信頼できる者に護衛を任せておきたいな」
「あの子の事情に踏み込まずに引き受けてくれる人……いる?」
「…………」
エステルが余計なことに利用されて人族の敵に回ったり、果てにはそれに腹を立てたウィルが敵に回ることだけは避けなければならない。
そのための護衛も、傍から見れば要人でも何でもないエステルを、事情を明らかにすることなく警護してくれる人材でなければならない。
「王の近衛騎士から選抜してもらうか……」
「……無理でしょ」
「……無理だよ」
近衛騎士はそれこそ王やその周囲の安全を守ることを使命としている。
事情を明かさぬまま本分以外の守護を任すのは、不満の種にもなってしまう。
一難去ってまた一難。
エステルとウィルという直接的な不安材料が落ち着いても、間接的な要因は今後も注意しないといけない。
北の山脈の洞窟に潜む魔族。
魔族侵攻はまだ終わっていない。
――どうにか早く収めたい。
一日の疲労を吐き出すように、三人は今日一番の溜息を溢す。




