帰路にて
モニカは虚ろな目で天井を見上げる。
ウィルが抱えている問題に対して、自分の無力さを感じていた。
これ以上、何かできることはあるか。
これほどの力を持っていながら溺れることも驕ることもないこの老人に対して、すべきことが思いつかない。
「……ん、んん……」
「ウィルさん。この子起きそうです」
エステルの身動ぎを、オリビアがウィルフレドに報告する。
「なら、私たちはそろそろ戻る。私たちがいたら、その娘にとっては事だろうから」
ちょうどいい、とモニカが席を立ち、オリビアはそっとエステルを横たえる。
「すまないね。気を遣ってもらって」
ウィルフレドも立ち上がり、帰り支度を始める三人を見送る。
「代わりに言い聞かせておいてほしい。人族に害をなさないならこちらから手を出すつもりはない、と。しばらくは」
「しばらく?」
最後に一言付け加えるモニカに、ウィルフレドは首をかしげる。
「その娘の意思はどうあれ、この状況を魔族に知られれば、どう利用しようとするか分からない。
その娘を始末することが人族のためになるのなら、私はその手段を講じる」
(手段を講じる……か。この子をどうにかするとは言わない辺り……)
「そのように伝えておくよ」
モニカが口にはしない真意を酌み、ウィルフレドは嬉しそうに小さく笑う。
「おじいちゃん、これ渡しておくね」
「ん? あぁ、連絡用だね。持っておくよ」
サーシャも随分慣れた様子で、ウィルに魔法文字を書いた紙を渡す。
オリビアとサーシャを先に家から出したモニカは、玄関をくぐる前にくるっとウィルフレドに振り返る。
「最後に一つだけ」
その表情に、最初の恐怖や緊張、話し慣れてきてからのむら気はない。
あるのは、どこか底の見えない静かな怒りと悲しみだ。
大切なもの、生き甲斐を不当に奪われた者が見せた、見る者を不安に誘う表情。
この表情をウィルフレドは知っている。
長く生き、様々な経験を経たつもりでも、この表情には慣れない。
それがたとえ自分に向けられたものでないと分かっていても。
――あまり、いい話ではなさそうだ。
モニカの様子に、自然と自分の表情も硬くなるのを感じながら応対する。
「なんだい?」
「人を魔物に変える魔法か呪い、研究について、何か知っているか?」
感情を押し殺したように淡々とモニカが口にした内容の研究は、ウィルフレドも聞いたことはない。
人を魔物に変える。
成長や変態ではなく、生物を全くの別物に変えてしまう。
そんな魔法や研究が実在するのではあれば、それは恐ろしいことになる。
「物騒な話だね。残念だけど、聞いた事はないよ」
なぜモニカがそんな話を持ち出してきたのか分からないが、今の彼女を見ていると、深く突っ込むべきではないと感じる。
「そうか。ありがとう」
モニカも食い下がることなく、話を終える。
そうして、勇者一行は町へ帰路についた。
「どう見る?」
ウィルフレドの家からの帰り道、横を歩くオリビアにモニカは問う。
「難しいわね。敵ではないではないでしょうけど、本心のところが見えないわね」
突然の問いかけに言い淀むこともなく答えるところから、オリビアも現状の分析を行っていた様子。
しかし、正確に把握できるほど、すべての情報は開示されていない。
「え? ただ人族として生きたい訳じゃないって事?」
サーシャは、エステルの本心に偽りはないと感じた。
過去はどうあれ、現状の彼女に人族への害意はなく、ウィルへの信愛も厚い。
町の住民からの評判も良く、人族としての生活に満足している様子だった。
「いや、魔王……エステルの方はたぶんそれが本心で嘘はない。
咄嗟に嘘をつけるほど器用でも利口でもなさそうだ」
サーシャの抱いた感想については、モニカもオリビアも頷き同意する。
エステルから直接言葉を聞いたモニカと、町で評判を聞いたオリビアは共に、彼女の「人族として生きたい」という願いに嘘はないと確信している。
「いま問題なのはウィルの方だ」
しかし、ウィルの方の本心は分からない。
エステルの正体を知っていた事も、魔法を消した力の正体についても分かった。
目的が人族を滅ぼそうとする呪いの解呪であり、そのために最善を尽くしている。
魔族侵攻以上の脅威と推測できるあの呪いに対して、国を挙げての対応をして然るべきと考えるが、あれを前にして無事でいられる理由が不明瞭である以上、おいそれと情報を広げることは出来ない。
ウィルはその理由が加護にあると考えているが、それも推測に過ぎない。
そもそも、加護を持つ者が同時代に数人現れることが稀ともいわれる。
当代がウィルだとすれば、他にも加護を受けた者がいる可能性は低い。
現状、あの呪いの対応を安全に行えるのは彼以外に考えられない。
しかし、そもそもの話がある。
「あの呪いは、一体どこから来たのか」
人族を滅ぼす呪いを放つ何か。
その正体も出処も、一切が分からない。
魔法のようなものなのか、物理的な形状があるのか。
魔族につくられたものなのか、自然に生じたものなのか。
あるいは、神の意思なのか。
ウィルなら何か掴んでいるかもしれない。
あの呪いの影響を受けない彼の手に渡ったことも、何かの運命なのか。
しかし、そこまで聞き出すことは出来なかった。
エステルが起きそうになったことも理由の一つではあるが。
「何で聞かなかったの?」
サーシャの純粋な疑問に、モニカは足を止める。
突然足を止めたモニカに、質問したサーシャもオリビアも戸惑いの表情を浮かべる。
モニカは俯き、下げた握り拳をプルプルと震わせながら一言。
「……怖かった」
「「……え?」」
――聞き間違い?
思わぬ言葉に、二人の声が重なる。
しかし、そんな二人の反応を、心外とばかりに顔を上げたモニカは、その目に溢れそうなほどの涙を溜めながら鬱憤を吐き出す。
「どこまで踏み込んで聞いて良いのか、全っ然分からないッ!
どこまでなら、ウィルが気分を損ねないのか……。
考えてもみなさいッ!
私の言葉選び一つで、あの訳の分からない圧力に潰されるかもしれない。
あんなの、怖くないわけがない……」
普段では聞くこともないモニカの弱音。
早口から始まり、だんだんと声が弱々しく震え始める。
歯を食いしばって耐えてはいるが、もう限界は近い。
その様子には、さすがに慌てた。
「ご、ごごごめんねお母さん! 泣かないでっ……」
慌てたサーシャが正面からモニカを抱きしめる。
もはや普段は控えている昔からの呼称を抑えられない。
「そうよねっ。モニカはいろいろ考えながらやってくれてるものね。
辛い時もあるわよね」
オリビアも焦りながら後ろからモニカを抱きしめる。
「……泣いてない」
正面にいるサーシャに顔を見られないように、モニカは上を向く。
その行動自体が泣き顔を隠そうとしている証だと気付けない程に、頭は真っ白だ。
「町に戻ったら、美味しいもの食べよ。お酒も飲も」
「そうよ。辛いことは忘れるに限るわ、今日は盛大に飲むわよ」
「なんか……余計に惨めな気持ちになってきた……ぅぅ……」
二人の心配を素直に嬉しく思う反面、過ぎた励ましが逆にモニカの余裕を奪っていく。
そのことに二人が気付くのは、静かな嗚咽が聞こえた後だった。




