魔王、迎撃される
魔王の奇襲をやり過ごした勇者一行。
魔王が成長途中と侮った力を、魔王はその身を以て体感する。
「“束縛”」
軽戦士サーシャの可愛らしい声によって紡がれた魔法は、魔王の手足をその場に縛り付けた。
すぐにその“束縛”を解こうとする魔王だが、まるでビクともしない。
『ッ!?』
こちらの魔法を防がれたばかりか、あちらの魔法を突破できない。
これではまるで、魔王の闇の力よりも強い魔力が行使されているようではないか。
魔王の視線が自身の手足を縫い付ける“束縛”に向いた一瞬の隙に、宙に囚われた魔王の眼前に、杖を振りかぶる神官モニカが迫る。
身動きの取れない魔王の頭部を、容赦のない一撃が襲う。
『ぐうっ!?』
髑髏の面にひびが入り、魔王は大きく仰け反った。
サーシャの束縛が解けたのは、その後だった。
サーシャの束縛が解けた瞬間、モニカに向けて魔王の手が伸びた。
モニカは上体を捻り、その手を避けたが、掠った頬に血筋が一本走った。
魔王の闇の力がモニカの頬の傷から侵入した。
強力な呪いのような魔力が体中を駆け巡り、死に至らしめる。
魔法に心得のない国王にもわかる、その闇の力強さ。
かつて、戦いを終えた勇者一行が長らく苦しんだあの光景が脳裏によぎった。
「“属性治癒”」
しかし、モニカの手が頬の傷をなぞった瞬間、その傷は消えた。何事もなかったように、闇の魔力はおろか、血痕すら残っていない。
『バカなッ、私の魔力を!?』
最強の闇とも言われる魔王の闇の力。その魔力を打ち消すには、それと同等以上の強さの光で打ち消すか、それより強い闇で上書きするしかない。
魔王と同等以上の光の力を、この神官は持ち合わせているとでもいうのか。
モニカの異常な力のせいで考えがまとまらないまま、魔王はモニカから距離を取る。
杖による一撃は回避しなければならない。神官とは思えない膂力から放たれた一撃は、もう一度受ければ意識を持っていかれる。
さらに、軽戦士サーシャからの魔法にも注意しつつ、平静を保とうと努める。
勇者以上に厄介な存在の出現に、まるで平静を保てない。それどころか、震える手足が、魔王の心境を魔王自身に知らしめている。
「“物理防御壁”」
平面的な幾何学模様をいくつも空中に展開する聖騎士オリビアの魔法。
魔王の移動を妨害し、同時にモニカの足場にもなっていく。
先程モニカが宙に囚われた魔王の眼前に現れたのも、オリビアが魔王で足場を作ったからだ。
『ちぃッ!』
魔王を逃がすまいと接近してくるモニカに向けて舌打ちをし、単なる闇の力をぶつける。先ほどまでのような炎の形状を取れていない、力の塊だ。
すでに至近距離。回避する間はないはず。
練られていない魔法であっても魔王の魔力である。まともに浴びれば無事でいられない。
だが、足場から飛び出したモニカは身を翻し、杖を使って放たれた闇の力を打ち返してきた。
それは一体、いかなる芸当なのか。
弾き飛ばされた闇の力は魔王に跳ね返り、魔王の顔面に直撃し、ひび割れた髑髏の面を砕いた。
「くふぁあっ!!」
面を失った魔王の地声。それは意外にも可愛らしい少女のようなか細い声だった。
そしてその中から覗かせる顔も、まだ幼さを残す少女のものだった。
「くぅ、なぜ……?」
魔王は空中で後ずさるも、退路はすでにオリビアの魔法によって絶たれている。
モニカと相対する前方以外、すべて“物理防御壁”が展開されていた。逃げ場はない。
振り翳されるモニカの杖。それをもう一度受ければ昏倒は確実。
防御に徹するか、回避に専念するか、はたまた逃亡するか。
すでに、攻撃の選択肢は浮かばない。
魔王が逡巡する間に、モニカの杖は迫っていた。
すでに眼前。
今からでは、防御も回避も逃亡も間に合わない。
目の前に迫る敵が、魔王の目には死神に思えた。
「これで終わりだ」
モニカの杖が魔王の頭部を強打した。
「―――――っっ!!」
魔王の意識は混濁する。
もはや浮遊を維持できない。
足元に展開されているオリビアの“物理防御壁”の上に崩れ落ちた。
意識が薄れてくる。
こんな事になるなんて、思ってもみなかった。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
魔王は、まだ若い娘だった。
同世代よりも少し魔法を使うための魔力が強いだけだった。
皆の御旗になってくれと祀り上げられた。
皆のために何かできることを誇らしく思い、快諾した。
見た目からは魔王としての威厳がまるで感じられないため、仮面や鎧が渡された。
凶暴なデザインのそれらを身に着けると、なんだか強くなった気がした。
鏡に映った姿は、まるで今までの気弱な自分とは違う、強い存在に見えた。
今なら、何でもできる。
皆の生活のために、人族の領域もすぐに手に入れられる。
そんな予感がしたのだ。
しかし、結果は惨敗。
ただの一度として、この三人の冒険者に対して攻撃が通じなかった。
あまりにも一方的な戦いだった。
――このまま死にたくはない。
――まだ、生きていたい。
そんな思いで、最後の最後に、魔王は無意識に魔法を使った。
“空間転移”
「“魔法解――”」
無意識で放たれた魔王の魔法をいち早く察知した軽戦士サーシャの“魔法解除”は間に合わず、不完全に発動した“空間転移”は、転移先の指定がないまま、魔王の体をどこかに転送した。
後に残ったのは、砕けた髑髏の面だけだった。
「逃げられたか」
杖を下げたモニカは、髑髏の面を拾い上げて呟く。
「ごめん、モニカ。間に合わなかった」
「気にするな。私は発動にも気付けなかった」
悔しそうに俯くサーシャの頭を、モニカは優しく撫でる。
数回撫でられると、サーシャはモニカに抱きつき、頭をグリグリと押し付けていた。
「転移先は追えるか?」
「むり。無茶苦茶に組まれているから、解読できない」
無意識化に発動してしまった魔法の残滓からは、細かな情報を読み取れなかった。
それがまた、サーシャの悔しさを一層際立たせている。
もう泣き出す寸前のように声が震えている。
「モニカ、それ…」
モニカが拾い上げた髑髏の面を凝視するオリビアの表情は、心なしか引き攣っている。
髑髏の面の裏にびっしりと刻み込まれた文字。魔力を感知し自動で起動する魔法が仕組まれている。
魔力の高いあの魔王が身に付ければ、それだけで魔法が発動しただろう。
破損したため、すでに効果は消えているが、その内容を断片的に読み取ったモニカは苦い表情を浮かべる。
「あぁ。本当に碌でもない物を使うものだ」
嫌悪感を隠せない。
こんな呪いのようなものを使う魔族に怒りが込み上げてくる。
サーシャの頭を優しく撫でながらも、モニカは魔族に対する怒りを抑えきれていない。
そんな冷静さを欠くモニカの代わりに、オリビアが国王に告げる。
「陛下、私たちは逃げた魔王を追います。おそらくですが、近いうちに吉報をお持ちできるでしょう」
この戦い、そう長くは続かないだろう。
魔族の統率者があの程度なら、この三人の敵ではない。
魔王は三人を成長途中の勇者だと侮った。
しかし、この三人は成長途中などではない。
そのことを知っている国王を強く頷いた。
「頼んだぞ」
「はい。“空間転移”」
オリビアはそんな国王に微笑みを一つ返すと、“空間転移”の魔法を発動させる。
モニカ、オリビア、サーシャ。勇者一行は王城より姿を消した。
残された国王は崩れた瓦礫に腰を下ろし、見かねた宰相はすぐに椅子の代わりになるものを手配するよう近衛兵に命じ、近衛騎士団長も謁見の間の修繕のための職人の手配を命じた。
国王はすでに安心しきった表情を浮かべている。
オリビアが“近いうちに”と言った。彼女たちの中ではすでに勝算が付いているのだ。
ならば、焦る必要はない。
予定通り、各地に兵士を派遣し、冒険者組合にも魔物討伐の協力を依頼するだけだ。
後は、彼女たちが魔王を討てば、すべて片付くのだから。