騒動の鎮静
エステルの姿が消える。
サーシャが雑踏の中から抜け出して最初に見たのは、一人の娘が消える光景だった。
それが“空間転移”によるものだという事は、魔力の残滓で感じ取れた。
モニカは“空間転移”を使えない。
つまり、あの娘が自分で“空間転移”を使ったという事。
“空間転移”は、そんなに誰でも簡単に使えるような魔法ではない。
膨大な魔力と緻密な魔力制御、そして詠唱にも時間がかかる。
この距離で、詠唱中における魔力の変化を感じ取れないサーシャではない。
だからこそ先程の“空間転移”が詠唱なしに発動したものだと分かる。
詠唱なし、そして発声もなしに魔法を使う存在を、魔族を除けば一人しか知らない。
サーシャは先程から動かないモニカに近寄る。
あの娘が、エステルが消えた今、人だかりの視線はモニカに集中している。
注目の的に近付くのは、サーシャとしては避けたい。
しかし、モニカが動かない、という事はまた何か考え込んでしまっている。
「し、神官さま。エステルちゃんはいったい……」
エステルを心配していた住民が、モニカに問う。
しかし、モニカが長考から戻って来ない。
この状況で、何も分かっていない住民に主導権を渡してはいけない。
状況を整理する筋書きをモニカに考えてもらわないと。
サーシャはモニカの袖を引く。
はっとした様子でサーシャに気付き、頷く。
「安心しなさい。私の教会に転移させただけです。
あの子は、強い呪いに蝕まれているようでした。
先程の症状は呪いが原因でしょう」
モニカは、エステルが魔王である事を伏せた。
あの苦しみはモニカの“神聖領域”によるものではなく、呪いによるものだとした。
エステルが魔王であると、住民たちが知っていたかどうかは分からない。
しかし、あれだけ周りが心配するほどの人望を得ていたのなら、人族の仇敵、魔族の王だと知らなかったと判断する。
エステルが魔王であると知っているモニカには、それも気掛かりとなる。
――魔王がこれほどまでに住民の信頼を得ていたのか。
人族を根絶やしにしようと攻め込んでくる魔族の王が、どのような考えで人族の中で生活し、人族と打ち解けていたのか。
確認しなければならないことが多い。
そのためには、モニカの口からはエステルの正体について言及しない。
住民から、ありのままのエステルの様子を確認する必要がある。
しかし、エステルの状態を聞かされた住民はそれどころではなかった。
エステルが倒れた時以上の喧騒が巻き起こる。
「エステルちゃんが、呪いに!?」
信じられないと言うように、人だかりから悲鳴のような声が上がる。
何故、エステルが呪いをかけられるのか?
あんなに良い子が、どうしてそんな目に?
神官であるモニカの言葉を疑う者はいない
しかし同時に、エステルが酷い目に合うことに心当たりのある者もいない。
それはエステルが周りに信頼を寄せられていた証である。
「理由は分かりません。しかし、早急に呪いの対処が必要と判断しましたので、教会で保護いたしました。
皆さんには、呪いを解くために情報を提供していただきたいのです。
あの子について、どのような生活をしていたのか、生い立ちについて、分かる範囲で結構です」
モニカの呼び掛けに、住民たちは力強く頷く。
エステルが快復するためなら、惜しむものはないと。
エステルの日常生活の評価について。
そしてウィルという老人と一緒に住んでいる住居について。
「モニカ、これはどういう状況?」
オリビアと町長が、騒ぎの中心に辿り着いた。
町長の手には瓶が握られている。
恐らく万能薬だろう。
モニカは状況の説明を町長にしつつ、“念話”でサーシャとオリビアに事実を告げる。
『前回の魔王を見つけた。すぐに追いたいが、気になることもある。
サーシャは私と共に、オリビアはもう少し情報を集めてくれ』
情報を集めるにあたっては、まだ幼さを残す外見のサーシャより、見た目がより勇者らしいオリビアの方が適任だ。
人当たりも良く、聞き上手でもある。
「そ、そんな……。エステルさんが、呪いに……」
オースティンの悲痛な表情から、町の代表からも慕われていたことが分かる。
「皆さん。私はあの子と一緒に住んでいるという老人の様子を見に行きます。
あの子と同じ呪いを受けている可能性もあります。
話の続きはこちらの勇者さまが聞きます」
逃亡したエステルが、正直に住んでいた場所に戻るとは思えない。
前回逃げた時も、魔王城には戻っていなかった。
しかし、何らかの手掛かりがあるかもしれない。
一緒に住んでいるという老人も気になる。
「あ、神官さま。これをお持ちください」
オースティンが手に持った万能薬を差し出してくる。
「エステルさんとウィル殿は、この万能薬の材料になる貴重な薬草を納めてくれていたんです。
これで助かった者たちが何人も居ます。
どうか、どうか二人のことを、よろしくお願いします」
呪いの解呪に役立つかどうかは分からない。
それでも、なにかの助けにはなってほしい。
そんな町長の気持ちが伝わってくる。
「分かっています。必ず」
言葉は少なく、モニカは万能薬を受け取る。
『サーシャ、一度目立たないところに転移してくれ』
モニカの“念話”から、彼女の意図することを汲み取る。
「“空間転移”」
サーシャはモニカを連れて転移する。
どこに転移したのか、その場にいる誰にも分からない。
転移先は建物の屋根の上。
町長宅の客間の窓から見えた、一際高い建物の上。
「……、“浄化”」
少しだけ詠唱して発動した、精神支配の魔法を解除する光の魔法。
もし住民たちが闇の魔法で洗脳されていたとすれば、この状況にも納得できる。
魔族らしく魔法で人族を操り、都合のいい話をさせているだけだと。
闇の魔法に対抗する光の魔法。
効果範囲はオリビアの周囲の住民だけ。
『オリビア、みんなの様子は変わったか?』
“念話”で状況を確認する。
洗脳されていたとすれば、先ほどの“浄化”で解けているはずだ。
『もう発動したの? 全然変わらないわ。みんな、エステルちゃんエステルちゃんってすごい人気よ』
しかし、住民の様子は変わらない。
エステルは住民を魔法で操ってはいなかった。
そもそも普段から魔法すら使っていなかったと聞く。
本当に人族として生活していたのか。
魔族の目的は人族を滅ぼし、人族の領域を手に入れること。
そのための魔族侵攻であり、その頭目が魔王だ。
その魔王が人族として生活し、人族と仲良くしている?
目的が分からない。
「サーシャ、頼む」
「うん。“空間転移”」
サーシャは再度転移する。
次は町の外へ。




