老魔法使い、動く
町の中に不穏な闇の魔力を感じた老魔法使いフレデリックは、衛兵二人を伴い、町中を往く。
その足取りに迷いはなく、老人ながら衛兵二人を置き去りにしそうな速度である。
――この方向は。
衛兵には心当たりがある。
しかしその情報を、この老魔法使いが知っているはずない。
情報を隠す理由はないが、あえて公開する理由もなかった。
「ここじゃの。ここは何じゃ?」
その足がようやく止まった。
三人の前には倉庫のような建物。
「ここは、避難住民と一緒に輸送してきた備蓄の保管場所ですね」
フレデリックにその情報は伝えられていない。
しかし、彼はまっすぐにこの倉庫に辿り着き、断定した。
疑っていたわけでは無い。
それでも、衛兵たちが何も感じていない“気持ちの悪い”ナニかを理由なく信じることは出来なかった。
フレデリックが行動で示した以上、彼の言う事は一定の信憑性を帯びた。
衛兵たちの立会いの下、倉庫の扉が開かれる。
普段倉庫は使われていないのか、物資はほとんど無い。
がらんとした広い空間に、村から輸送されてきたとみられる木箱や樽、麻袋が収められていた。
町に納められる物資というわけでは無く、避難住民の食糧でもあり財産である。
今は一時的に倉庫で保管しており、そこに冒険者であるフレデリックが無許可で近づくことは出来ない。
フレデリックは衛兵に目配せをし、衛兵は頷く。
――調査を許可します。
フレデリックとて、無用な誤解を受けたくはない。
衛兵二人には、開け放たれた倉庫の入口を見張る一人と、物資の調査をするフレデリックの手元を見張る一人に分かれてもらった。
「ふむ」
嫌な気配を辿り、フレデリックは物資に近づいていく。
余計な物には触れない。
この闇の魔力の出処に意識を集中する。
木箱……違う。
樽……違う。
麻袋……これか。
「この麻袋は何じゃ?」
何袋も積まれた麻袋。
その中から、フレデリックを不快にする闇の魔力を感じる。
「えっと……麦ですね」
衛兵は目録を確認し、答える。
村の農作物の一つである。
「村で食害を起こしたのは、虫の魔物かの?」
「そ、そうです。よくご存じで」
続くフレデリックの質問に、衛兵は答える。
事前に情報を得ていたのではないかと錯覚してしまうほど、フレデリックの質問は事実に即していた。
村からの避難住民のことも、一緒に輸送物資があったことも、村での食害のことも。
「いや、知らぬ」
しかし、フレデリックには事前に知り得た情報は何もない。
すべて衛兵から聞いた情報で、後は自分の知見のみである。
「えぇ……」
フレデリックの返答は、衛兵にはとても信じられない事だった。
とはいえ、この老魔法使いが嘘を吐く理由は思い当たらない。
知らないと言うのであれば、本当に知らないのだろう。
麻袋を一つ、積まれた山から下ろし、中を確認する。
精選し、乾燥された麦の実がずっしりと入っている。
それを手で掬い、じっと見つめる。
「ふむ、これじゃの」
ただの麦の実に頷くフレデリックに、衛兵はたじろぐ。
「ろ、老師……?」
ここにはフレデリックの言う“気持ちの悪い”ナニかを確認しに来たはずだ。
もしや、麦の品質に文句を言っているのか。
怪訝な表情を浮かべていた事に気付いたのか、フレデリックはその誤解を払拭するように、手のひらに乗せた麦を差し出す。
「よく見てみぃ」
衛兵は麦の実を、目を凝らして確認する。
麦の整粒のようにしか見えないが、じっと見つめていると、だんだんと違いが見えてきた。
細長く端部に若干の尖りがある麦の実の中に、同じ大きさではあるが尖りがなく少しだけ色の薄い麦の実のようなもの。
単に精選具合による個体差のようにも見えるが、フレデリックは断言する。
「小さくて分かりにくいが、魔物の卵じゃ」
「ま、魔物の卵……ッ」
顔を近づけていた衛兵が仰け反って退避する。
その言葉に、倉庫の入口で待機していた衛兵も振り返った。
フレデリックは指先で小さな魔物の卵を摘まみ上げる。
麦とほぼ同色、同形状の卵は、フレデリックの衰え始めた指の力でプチっと潰される。
本物の麦の実は乾燥され、水気もほぼ無く硬くなっているのに対して、その卵は潰されると僅かな汁で彼の指先を濡らした。
麦に擬態することで人族に安全なところで保管させ、孵化した魔物の幼体は周囲の麦を餌に成長する。
やがて成長した魔物は移動し、さらに成長し、繁殖を繰り返す。
もちろん孵化前に食べられてしまうこともあり、魔物にとって絶対に安全圏というわけでは無い。
それでも、孵化直後に十分な餌が周りに備えてある場所への産卵は、成虫まで生き残るためには必要なことでもある。
おそらく食害を受けた際、虫の魔物が麦の詰められた麻袋に産卵したのだろう。
そうとは知らず、避難住民はこれ以上の食害を防ぐため麻袋を持ち出した。
その中に、魔物の卵が託されているとも知らずに。
「孵化間近かの。魔力が漏れ始めておるわ。孵化して町に拡がればコトじゃの。さっさと燃やしてしまうのじゃ」
「はっ!」
衛兵に魔物の卵の存在を再確認させると、フレデリックは指示を飛ばす。
麦の中に紛れた卵を一つ一つ選別してはいられない。
麻袋ごと焼却処分するしかない。
「あと、これと…これと……これもじゃ」
フレデリックの指示で麻袋が次々に持ち出される。
念のため一つ一つ袋を開け、卵が混ざっていることを確認する。
結局、輸送されてきた麻袋の半数近くは、魔物の卵が混ぜられており、処分されることになった。
事実を伝えられた避難住民は収穫物の廃棄に落胆しつつ、そんな物を持ち込んでしまった事への謝罪をした。
避難住民は欲に走ったわけでも、悪気があったわけでもない。
ただそのような魔物も存在することを知らなかっただけであった。
フレデリックの知見によれば、幼体、成体ともに麦などの穀物を餌とする飛蝗の魔物がおり、穀物を求めて大移動する。
しかし、近年では目撃例も少なく、その被害を受けたことのない地域ではあまり知られていない魔物でもある。
今回のことは、その飛蝗の魔物の被害が村、ひいては町の近くにまで及び始めていることを示している。
今後、穀物への被害が増えることも予想され、飢饉に備え、備蓄の保管方法の再検討が必要であると助言した。
「しかし老師。よくお気づきになりましたね」
焼かれる麦入り麻袋を見ながら、衛兵は傍らのフレデリックを称賛する。
彼の助言が無ければ、孵化して麦を餌に成長した魔物が町の中で跋扈していたかもしれない。
今回の件で、町はフレデリックに対して褒賞を用意した。
「最近澄み切ったきれいな魔力に触れたばかりでな。魔物の濁った魔力は分かりやすいのぉ」
フレデリックにとっては、褒賞があるかどうかは問題ではなかった。
あのきれいな闇の魔力に触れた後から、魔物の放つドロドロとした魔力に対して敏感になってしまい、それが町の中にあることが我慢ならなかった。
この町にはあのきれいな魔力を持つエステルという娘がいる。そこを魔物が荒らせば、あの娘にも危害が及ぶかもしれない。それは看過できない。
冒険者としての役割とか、研究のための賞金とか、それらを置き去りにしてでも優先したくなってしまった。
もちろん、そんなことをわざわざ口にする事はない。
魔法研究室に所属せず、自分の魔法研究を優先している時点で、利己主義であることを否定はしない。
「さすが老師」
「ほっほっほ」
しかし、周りからの称賛の声に対して否定する理由はない。
この町を守りたいという気持ちに嘘はなく、それに対する感謝は素直に受け取っておく。
麻袋の焼却を終え、念のためもう一度倉庫を確認した後、フレデリックは本来の予定に戻る。
冒険者組合に報告を済ませ、予定していた食事に向かう。
虫の魔物の対応でずいぶん遅くなってしまったが、食堂に静けさが戻るにはちょうど良い頃合いだろう。
汚れた体をきれいな水で洗い流すように、濁った魔力を間近に感じた後は、またあのきれいな魔力を近くで感じたい。
フレデリックは食堂を訪れ、
「今日はエステルちゃん居ねぇよ。そもそもしばらく町には来れないって、昨日言いに来てたぞ」
がっくりと膝から崩れ落ちた。




