サーシャの過去7 父の面影
次にサーシャが目を覚ました時、魔法使いの男性はすでに発った後だった。
視界に映るのはやはり半裸になったルーウェンの素振り姿。
いつから振っているのだろう。
またたくさんの汗を流している。
「お目覚めかな?」
目を開けたサーシャに気付いて素振りを止めたルーウェン。
昨日は身振りだけだったが、もう心配はいらないのか声を掛けられた。
サーシャは体を起こし、石の上からゆっくり降りようとする。
しかし、いつもより妙に体が重く、あちこちが痛い。
いつもとは明らかに違う寝床で寝たせいだろうか。
「“身体強化”の使い過ぎだな」
その疑問にルーウェンが答えを教えてくれる。
“身体強化”の魔法は、魔力で体を保護しつつ通常以上の力を発揮する魔法。
保護しているとはいえ、酷使すれば体を痛め、効果が切れた後にも響く。
“身体強化”の魔法自体、使ったのは初めてだった。
両親に詠唱を教えてもらっていたが使う機会は無かった。
走り続けて逃げまわったせいか、特に足の負担が大きい。
ズキズキと痛むのに、太股から先の感覚が鈍く動かせない。
このまま立ち上がろうとしても、きっと転んでしまうだろう。
石に腰掛けたまま、足の痛みに耐えるサーシャ。
「その痛み、忘れないようにな。――――、“治癒”」
そんなサーシャに、ルーウェンは“治癒”の魔法を掛ける。
体から痛みが少しずつ引く。
ただ、それよりも気になることがサーシャの中に生まれた。
「……詠唱?」
昨日掛けてくれたらしい知らない魔法は詠唱すらしていなかった。
サーシャの中で、本来は詠唱が必要なはずの魔法行使を、ルーウェンが詠唱なしで使った事は問題ではない。そういう人もいるんだと思った程度だった。
ただ、今の“治癒”の魔法は、よく知っている詠唱を口にしていた。
その違いは一体何なのだろう。
「昨日は……詠唱してなかった……」
その疑問を、サーシャは口にせずにはいられなかった。
魔法は両親の影を近くに思い起こせる大切なもの。
その魔法の知らない部分をもっと知りたいと吸い寄せられてしまう。
そんな疲れの中にも満ちる好奇心を隠しきれないサーシャの目を前に、ルーウェンはひとつ溜め息をついた。
そして鋭い目つきでサーシャを値踏みするように見る。
「……きみ、名前は?」
大人でも怯みかねないその人相を前にしても、サーシャが臆することはない。
どんなに怖い顔をしても、助けてくれた事実は変わらない。
「サーシャ」
まっすぐにルーウェンを見つめ返して答える。
「俺はルーウェンだ。サーシャ、少し話をしようか」
頷きを返すサーシャの前に腰を下ろしたルーウェンは淡々と語りだす。
人族が魔法を使うには、かつて賢者によって考案された魔法詠唱が必要なこと。
詠唱を口にすることではじめて、人族は魔法を扱うことが出来る。
サーシャでも知っている魔法の基礎知識。
昨晩盗み聞きしてしまった話も踏まえると、賢者以前にも通用する常識。
「俺はね、その詠唱がなくても魔法が使えるんだ」
そう言いながら、指先に小さな火の玉をつくる。
サーシャがよく孤児院で自分を慰めるために使っていた“種火”の魔法。
それをルーウェンは話しながら行使した。
サーシャがつくるものよりも少し大きく、しかし火の揺らぎはとても穏やかで、それでいて輝きはまるで光の玉のように眩しい。
その美しさに、サーシャは目と心を奪われる。
ルーウェンが常識に当てはまらないことなど、気にもならないほどに。
「サーシャ、俺が怖くないか?」
「?」
ルーウェンの突然の質問に、サーシャが首を傾げる。
火の玉から視線を外せば、ルーウェンがどこか心配そうな表情を浮かべていた。
なぜ、そんな質問をしてきたのか。
この時のサーシャには理解できなかった。
「怖くないよ、どうして?」
質問の意図も理解できないまま、サーシャは素直に返した。
サーシャにとってルーウェンは恩人であり、その魔法と魔力はきれいなもの。
憧れこそすれ、恐れる理由がどこを探しても見つけられない。
サーシャの言葉を聞いたルーウェンはきつく閉ざした口を震わせながら、大きく上を向き、大きく深呼吸をした。
大きく息を吐きながら顔を下ろしたルーウェンは、先ほどまでの剣呑な目つきを抑えながら、初めて会った時のようにサーシャに手を差し伸べた。
「ありがとう、サーシャ」
そのお礼が何なのか、やはり当時のサーシャには分からない。
ただ、どこか嬉しそうなルーウェンを見ていると、とても胸が温かくなった。
差し伸べられた手を取ると、強い衝動に駆られた。
サーシャは石から腰を上げ、ルーウェンを観察する。
長話の間に、汗は完全に引いたようだ。
昨日は叶わなかったが、今なら阻まれないだろうか。
意を決したサーシャはルーウェンの胸に飛び込み、その首根っこにしがみ付いた。
「うおっと!?」
驚きに声を上げるルーウェンに構わず、サーシャは彼を抱き締める。
――お父さん……
父よりも少し大きな体で、父のような安心感を覚えてしまう。
自分を守ってくれる存在。
まだ六歳のサーシャにはそれが必要だった。
縋りつく様なサーシャの様子に気付いたのか、ルーウェンは無理に引き剥がすようなことはせず、あやすように優しく背中を叩いた。
大丈夫、もう大丈夫。
そう言われているような気がして、サーシャは静かに涙を流した。




