サーシャの過去3 ルーウェンとの出会い
森の中を逃げ惑うサーシャ。
魔物との遭遇など頭にはなく、とにかく追ってくる男性から身を隠す。
見つからないようにと森へ逃げ込んだのに、まるでサーシャの居場所が分かっているかのように男性は追ってくた。
息を潜めてじっとしていても、男性は草木を避けながら向かってくる。
たまらず“微風”と“身体強化”の魔法で逃げ続けた。
もう森に隠れている事はバレてしまっている。
あとは諦めてくれる事を願って逃げ続けるしかない。
「はぁ……はぁ……」
しかし、それよりも先にサーシャの限界が近づいてきている。
“身体強化”はもとより、“微風”による急激な移動が、未成熟なサーシャの体を痛めつけない筈はない。
そして度重なる魔法の使用でサーシャの魔力は尽き欠けている。
尽きれば、男性からは逃げきれない。
しかし今逃げなければ捕まる。
距離を取るために“微風”を試みる。
「――っ、……!?」
疲労から“微風”の詠唱に詰まってしまう。
かつて賢者が考案した詠唱を使えば、誰でも安全に魔法を使用できる。もし多少詠唱を間違ってしまっても、暴発による事故が発生しないようにもなっている。
しかし暴発しなくても、完成するはずだった魔法に使う魔力は消費する。
サーシャはなけなしの魔力を失敗に費やしてしまったのだ。
「――――、ぶ…“微風”ッ」
つっかえずに復唱しても、もう魔法は発動しない。
「ぁ……」
サーシャの中で、何かがプツリと切れた。
喪失、焦燥、絶望。
震える手で頭を抱え込み、回らない思考に陥る。
魔法がないと、男性から逃げられない。
魔法がないと、両親との思い出に縋れない。
今まで魔力が尽きたことはなかった。
人目を忍んで手慰みな魔法を使うくらいなら一晩で回復していた。
魔法が使えなくなる。
そんな事、今まで考えたこともなかった。
魔法があったから、いつでも両親を近くに感じることが出来た。
魔法があったから、強く生きることに希望が持てた。
しかし、心の支えだった魔法が途切れた。
支えを失ったサーシャは、もうただの子どもだ。
「もう諦めろ。逃げ場はない」
投げかけられる少し掠れた声。
まるでサーシャの魔力が尽きたことを察したかのように、絶望のサーシャをさらに追い詰めていく。
男性の姿が見えなくても、近づいてくる暗い魔力を感じ取れてしまう。
その暗い恐怖に、サーシャは逃げることすら出来なくなった。
――足が……ッ
魔法の反動か、それとも恐怖からか、力なく足が震えた。
立ち上がろうとしても足に力が入らない。
まるで腰から下が自分のものではないように動かない。
もう逃げられない。
そう諦めかけた時、頭の中に声が響いた。
『強く生きろよ』
一年前、魔物の襲撃から助けてくれた冒険者が別れ際に掛けてくれた言葉。
両親を失い、絶望の中にいたサーシャに送られた激励。
それを思い出した瞬間、足の指先まで力が通った。
助けてもらったのに、こんなところで終わるわけにはいかない、と。
しかし、どれだけ決意を固めても、戦うという選択肢はない。
サーシャにはただ逃げることしか出来ない。
走る。
逃げる。
木の枝に引っかかっても、石に蹴つまずいても、痛がっていられない。
諦めることなく逃げ続けた。
後のことを考える余裕はない。
とにかく全力で逃げ出した。
逃げたその先で、出会ってしまった。
森の中、すこし開けた場所にたどり着いた時。
「え……? 子ども?」
引き締まった筋肉がついた上半身をむき出し、滝のように汗を流しながら長剣を素振りする男性が、飛び出してきたサーシャに目を瞬かせていた。
「つ、ついにですかっ?」
まだか、まだかと待ちわびた件の人物の予感にエステルは興奮が隠せない。
「うん、ルーウェンお父さん」
嬉しそうな笑顔で肯定するサーシャと、同様の笑顔を見せるエステル。
サーシャが絶望の中で追われている時は、きっと次に出てくる人がサーシャを感動的に救い出してくれる、その人が『お父さん』なのだろうと予想していた。
まさか初対面の『お父さん』が半裸で素振りとしていたとは予想できなかったが、きっと悪そうな男性から華麗にサーシャを救い出す、と期待が止まらない。
心優しいサーシャが父と慕うルーウェンが果たしてどのような人物なのか、エステルは引き続き、サーシャの話に耳を傾ける。
後のサーシャの養父であるルーウェンは、決して初対面の子どもが気を許すような風貌をしていなかった。
強面とまでいかなくとも、鋭い目つきは野生の獣かそれらを狙う狩人のようで、今は驚きで少し間の抜けたものになっているが、それでも隠せない切れがある。
修練に打ち込むために露出した上半身についた筋肉と、前衛の冒険者だったサーシャの実父よりも大きな背丈からは迫力すら感じる。
ルーウェンは森の中から突然現れたサーシャに驚きつつも、すぐにその普通ではない状況に気持ちを切り替え、警戒するように生来の鋭さを取り戻した。
本来、こんな森の中に子どもがいること自体がおかしい。
罠か事件を疑い、当然サーシャにも厳しい視線を向けた。
その大人でも気圧されかねない視線を前に、サーシャは別のものを見ていた。
それはルーウェンが微かに帯びている魔力。
――きれい……
魔力量こそ控えめではあるだろうが、サーシャにはその澄んだ水が陽を浴びて光り輝くような魔力がこの状況を変える光明に見えた。
しかし呆けている場合ではない。
後ろの方から迫ってくる暗い魔力に振り返る。
「た……ッ」
――助けて
緊張と疲労で渇き切った喉から声が出ない。
そういえば朝から一滴の水も飲んでいなかった。
声が出なければ事情を説明することも出来ない。
助けを求めることも出来ない。
面倒事に巻き込んでしまう危険など考える余裕もなかった。
どうにかこの状況から助けてほしかった。
「おいで」
それをルーウェンは汲み取った。
鋭い目つきは崩さず、しかしその奥ではサーシャを慈しむような優しさを宿し、腰を落としてサーシャに手を差し伸べる。
「ッ!」
サーシャは迷わず駆け出した。
出会ったばかりの、まだ何一つ言葉を交わせていない後の養父の元へと、最後の力を振り絞って駆け込んだ。




