サーシャの過去1
少し残酷な描写がありますので、ご注意ください。
サーシャの最も古い記憶は、父が操る帆馬車の中で母に抱かれている事だった。
旅商人の両親に連れられ、幼い頃から馬車で移動することが多かった。
かつて冒険者だった二人の口から語られる冒険譚はサーシャにとっては子守唄であり、日常的に使われる魔法はとても綺麗で憧れでもあった。
そんな生活に終わりが訪れたのはサーシャが五歳の時。
運が悪かったのだ。
いつもどおり町から町へと移動していると、魔獣の群れに目をつけられた。
腹を空かせていたのか、それともただ気が立っていたのか。
焦る父の嘆声を聞き、母はサーシャを布に包んで空の木箱の中に隠した。
目と耳を塞いで、絶対に外に出ないよう言った母が、木箱に蓋をした。
幼いながらも物覚えの良かったサーシャは正確に事態を把握できないまでも、言いつけに従って木箱の中でじっと待った。
激しく揺れる馬車。
魔獣の唸り声に、聞いたこともない父の怒声。
そして一際大きく馬車が跳ねると、木箱ごとサーシャは転がった。
母が巻いてくれた布のお陰で軽い打撲ですんだが、馬車が完全に止まっていた。
そして聞こえてくる父と母の悲鳴。
どんなに強く耳を押さえても、その声は容易くサーシャの脳まで届いてくる。
父と母の声はいつしか止み、聞こえてくるのは不快な音だけ。
引きちぎるような音と、硬いものが砕ける音。
外で何が起きているのか、木箱の中のサーシャには分からない。
分からなかったが、痛いほど渇きを覚える喉は震え、涙が溢れてきた。
程なくして、別の音が聞こえてくる。
それは人の足音だった。
駆け寄ってくるいくつもの足音と、鬨の声が上がり、相対するように魔獣も大きく吠える。
そして一つ、また一つと魔獣のか細くなった声が響くと、途端に静かになった。
息を殺したまま、サーシャは塞いでいた耳を解放する。
聞こえてくるのは人の話し声だけ。
魔獣による強襲は終わりを告げたのだ。
きっと冒険者だ。
両親の冒険譚では、街道の安全を見守るのは冒険者の仕事だった。
安全を悟ったサーシャは急いで木箱の蓋を開けようとする。
しかし転がった拍子に蓋は底となり、木箱から出られない。
外にいる人に知らせるべく、サーシャは木箱を叩いた。
「出して、ここから出して!」
冒険者の手によって、サーシャは木箱から解放される。
冒険者の安堵する表情に、どこか悲痛な面影が浮かんでいた。
嫌な予感がした。
いや、木箱の中にいた時からずっと頭によぎっていた。
冒険者の静止を振り切り、サーシャは駆ける。
転倒した帆馬車で見えない向こう側へと。
「見るな!」
後ろから冒険者に抱き上げられ、目も覆われる。
しかし、もう見てしまった。
目が合ってしまった。
他の冒険者たちによって丁寧に回収されていく遺体。
血溜まりの中に転がる、いくつにも分かれてしまった遺体。
その中で、サーシャの方を見つめる四つの目。
見開かれ、生気のない二組の目がこちらを向いていた。
それが誰のものであるか、サーシャには分かってしまった。
そしてそれが何を意味するのかも、物覚えの良い所為で分かってしまった。
――ぁ……
目が覆われてもなお、まだ目が合っているような気がした。
たった一瞬。
しかし脳裏に焼き付いた光景はいくらでも逆行再現する。
――ぁぁ……
さっきまで楽しくお喋りしていたのに。
――ぁぁあ……ッ
もう二度とあの頃には戻れない。
それが五歳にして正しく理解できてしまった。
どうしようもなく悲しくて、自分の中に大きな穴が出来たように空しくて。
「ぁああ、あああっ、ああああああ――!!」
言いようのない大き過ぎる喪失感がサーシャに襲い掛かる。
慰めるように冒険者が優しく抱きしめてくれるが、決して埋まることはない。
喉が潰れそうなほど大きな声で、サーシャは泣き叫んだ。
決して戻らぬ父と母。
もう二度とあの笑顔を見ることも、優しく撫でられることもない。
最後に見てしまった血溜まりの中に浮かぶ、血の失せた目と千切れた腕。
あらゆる希望を打ち壊し、サーシャを絶望へと沈めた。
サーシャの悲しみを理解しているのか、冒険者は決してサーシャを放そうとはせず、ただサーシャが落ち着くまでの間、彼女の泣き叫ぶ声を黙って聞き続けた。
どんな言葉も、今のサーシャには届かない。
届くとすればそれは両親の声だけだ。
泣き疲れて眠ってしまったサーシャを、冒険者たちは近くの町まで運んだ。
町には保護施設を兼ねた教会があり、孤児が何人も養育されている。
両親を失ったサーシャはここで暮らすことになる。
強制ではないが、身寄りのない子どもには他に頼る宛もない。
冒険者たちによって回収された両親の遺体は教会で埋葬された。
形見になりそうなものは洗ってからサーシャに返された。
「元気出せとは言わない。でも、強く生きろよ」
別れ際に冒険者がそう言って、サーシャの肩を叩いた。
両親の死で頭がいっぱいで、絶望に沈んでいたサーシャだが、その時に冒険者が言ってくれた言葉と、叩かれた肩の温かさは鮮明に覚えていた。
両親の死の直後からずっと寄り添ってくれたあの冒険者。
彼のように強く、優しくなりたいと意識したのはもうしばらく後のことだった。
「それが、サーシャちゃんの言うお父さんですか?」
サーシャの話を聞いていたエステルは思わず質問を投げてしまう。
両親を亡くしたサーシャが憧れを抱いた相手。
もしかするとその冒険者がのちのサーシャの養父ではないか、と。
「え、違うよ?」
しかしサーシャの答えは否だった。
予想外の質問に怪訝な表情で返すサーシャに、こちらのほうが予想外だと言いたげなエステルががっくりと肩を落とす。
「てっきりそうかと……」
サーシャと養父の出会いの話だというので早とちりしてしまった。
「お父さんの登場はもうちょっと先だよ」
焦らない、焦らないとサーシャは余裕そうな微笑みを浮かべる。
両親の話をする時は少し辛そうだったが、こうやって切り替えができるあたり、冒険者の言うように強く生きられているのだろう。
気を取り直して聞く姿勢に戻るエステルに、サーシャは話の続きを語る。
孤児院での生活に転機が訪れたのは、保護されて一年が過ぎた頃だった。
申し訳ありません。
ルーウェンの登場までたどり着けませんでした。




