ウィルとエステルの仮住まい
「さて」
エステルたちと再会した翌日、サーシャは行動を開始する。
狙いはウィルを村には近づけず、エステルたちとの交流を図り、合わせてウィルの事情と本性を確認する事。
そのためにはどうしてもサーシャが二人の元へ向かうことになり、モニカが一人になってしまうが、ルーウェンのいる村でなら少しくらいは大丈夫と判断した。
とはいえ、実際に村を開けるのは半日にも満たない短い時間だけ。
朝はモニカと一緒に朝食を食べ、夕暮れには戻ってくるつもりだ。
それにエステルが比較的モニカに興味を示していることも幸運だった。
彼女からモニカへの恐怖を取り除けば、モニカを一人にさせずに済む。
「じゃあ行ってくれるね」
「サーシャ、何度も言うけど……」
先に家を出ようとするサーシャを呼び止めるようにモニカは声を掛ける。
その表情は少し暗く、不安と心配が感じられた。
外に向けていた足を翻し、モニカのもとへと駆け寄るサーシャ。
不安そうな彼女の手を取り、安心させるように満面の笑みを向ける。
「大丈夫。危なかったらすぐに逃げるから」
サーシャの危険に対する直感にはこれまでも助けられてきた。
たとえウィルが敵意を隠していたとしても、呪いを使おうとした瞬間にサーシャは“空間転移”で逃げることが出来るだろう。
以前は未知の呪いのせいで反応が遅れてしまったが、既知となった危険な呪いから逃げ遅れるような下手を打つ育てられ方はしていないと胸を張るサーシャ。
あまりに自信あふれる表情を向けてくる愛娘に、少し心配し過ぎたと反省しつつ、やはり安心しきれないモニカ。
たとえサーシャがどんなに強かろうと、無事を祈らない理由にはならない。
せめて油断だけはしないよう釘を差しておく。
「……気を付けて、いってらっしゃい」
「うんっ、日暮れまでには戻るよ!」
元気な笑顔と声を残し、サーシャは今度こそ家を出た。
村を出て、森を出て、向かう先はウィルが言っていた廃村がある方向。
森の外縁にあり、五十年もすれば完全に森に飲まれる村があった。
森を出てから歩いてそう遠くない距離。
しかしいきなり“空間転移”で近づいたりはせず、徒歩で進む。
もしウィルが呪いを解放していて”空間転移”で飛び込んでしまい一巻の終わり、なんて洒落にもならない事故は避けなければならない。
何も手入れされていない石まじり草原が遠くまで広がっていて、その向こうには少し盛り上がった森も見える。
いずれはサーシャたちの村がある森と一体になるだろうその森の手前あたりに、確か村があったはずだ。
遠目に、なんとなく人工物が見えてくる。
廃村になって朽ち果てる前の家だろう。
その手前のほうで、しきりに動き回る人影も見えた。
大きく手を振り、こちらを呼ぶような動きが――
「サーシャちゃーん!」
いつから待っていたのか、あるいはどこから見えていたのか。
サーシャには人形が辛うじて見えるくらいだったが、驚くほど届く声にその主が判明する。
「……元気だねぇ」
老いぬが故にいつまでも若いつもりではいるが、あれが本当の若さなのだろうかと思わず感想が声に漏れるサーシャであった。
「いらっしゃい!」
にこやかに出迎えてくれるエステルに釣れられてサーシャの口元も緩む。
昨日、再会して自己紹介しなおした時の怯えが嘘なくらいに、喜色と歓迎の気持ちが前面に押し出されている。
ニウェーストの町で聞いたエステルの評判は確かにこういったものだった。
彼女の笑顔や行動が、町の人たちを前向きな気持ちにしてくれるのだと。
裏表を感じさせてない笑顔からは、純粋にサーシャの来訪を心待ちにしていた事、そして未来への希望さえも見ているような明るさを感じた。
――ま、まぶしい……
幻覚と分かっていても、サーシャは思わず目を覆いそうになる。
サーシャの目的の一つは、いま目の前で煌々としているエステルが慕うウィルの観察と調査。後ろ暗いつもりはなかったが、なぜか少しだけ罪悪感を覚える。
「こっちです!」
そんなサーシャを気にもせず、エステルは彼女の手を引く。
足を踏み入れた村は、既にかなりの老朽化が進んでいた。
打ち捨てられて二十年、戻る者も懐かしむ者もいなかったのだろう。
こまめに手入れをしているサーシャの村と違い、屋根が抜け落ちた家がいくつもあり、主要な道筋すらも分からないほど草に無造作に伸びている。
そんな道なき道を進んでいくと、まだ家としての体裁が保てている内の一軒の前に立つ老人の姿が見える。
「ウィル様、サーシャちゃん来てくれました!」
「こんにちは」
笑顔のエステルの横で、会釈するサーシャ。
どうしても無邪気なエステルの隣では同じように無邪気さを装えない。
「あぁ、よく来てくれたね」
優しい穏やかな笑顔に少しだけ嬉しさを浮かべるウィルが出迎える。
こちらもサーシャの来訪を心待ちにしていた様子が窺える。
彼にとっても、呪いを知った上で友好的なサーシャは好ましく思えてならない。
「まぁ、中へどうぞ」
「サーシャちゃん。昨日の続き、聞かせてください」
そんな非常に好意的な二人に対して密かに罪悪感を覚えつつも、しっかりと自分のやるべき事はやらねばと意気込み、招かれた家に足を踏み入れ、愕然とする。
「なに……これ?」
家の中を様子は、あまりにも酷い惨状が広がっていた。
急に足を止めて驚いているサーシャに、先に家に入ったウィルも、彼女の後ろにいるエステルも不思議そうな表情を向ける。
二人はこの状況がおかしいと思えないのか。
サーシャは驚きと不信の表情を浮かべる。
ウィルはこの村の家を「間借りしている」と言っていた。
おそらく住み始めて二、三日ということはないはず。
にも関わらず、一歩足を踏み入れた瞬間から漂う異臭。
長年放置されて蓄積した、湿ってカビを含んだホコリの臭い。
明かり取りの窓から差し込む陽光に反射し、家中を舞うホコリ。
先に入ったウィルによって生まれた対流で床から舞い上がるホコリ。
――なんで……
こんな埃が立ちこめる中で、何も気にせず生活できるなんて……
「……あぁ、気にしてなかったな」
「ウィル様も気にしてなかったので、別にいいのかなと……」
いま気付いたというように顔の前で扇ぐウィルに、気付いてはいたが問題なしと判断していたエステルに、サーシャは唖然としてしまう。
『掃除とか終わってなかったら手伝うよ』
終わってないのではなく、そもそも始まってすらいなかった。
さっきまで抱いていた罪悪感は消し飛ぶ。
そんな些末な感情の機微など、どうでも良くなった。
「もぉお! 掃除するよ!」
まずは家中の埃を追い出す。
話をするのも、ウィルのことを知るのも、エステルと交流を深めるのも、すべては掃除の後にすべきこと。
「「は、はい!」」
サーシャの剣幕に慌て、エステルとウィルは急いで掃除道具を探し始める。
(お母さん。私はまた、掃除のお時間です)
遠い目を空に向け、同じ空に下にいる母へと思いを馳せるサーシャであった。




