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モニカが受けた傷

 エステル、ウィルとの再開を果たした日の夜、サーシャはまたモニカの部屋を訪れていた。ただ、今日に限ってはサーシャが押しかけたわけではない。


 昼の一件以降、言葉も少なく過ごして夕食も済ませたあと、一度は各々の寝室へと分かれたが、やはり気になったサーシャはモニカの部屋を訪れようとした。


 そこに、同じように部屋から出てきたモニカと出くわし、互いに同じように考えていた事にサーシャが喜び、モニカは気恥ずかしそうにしながら部屋へ招いた。


 ベッドに腰掛けるモニカの隣を陣取ったサーシャは、モニカの言葉を待つ。

 もしモニカがまだ言いたくないのであれば、それでも良いと思った。


 少なくとも、モニカはサーシャに何かを伝えようとしている。

 それが確認できただけでも、今日は十分だと思っている。


 モニカは目を瞑り、しばらく手を絡ませながら迷ったあと、ひとつ大きく息をついてサーシャに向き直った。


「もう気付いていると思うけど」

「うんっ!」


 少し食い気味にサーシャは相槌を打つ。

 待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。


「…………」

 そのあまりの勢いに、サーシャの額を手のひらで押し返すモニカ。


 もう一度吐く息はため息だった。

 とはいえ、これで出鼻を挫かれたとは思わない。


 どんな話だろうと聞く、というサーシャの姿勢と気持ちは受け取った。

 そういう意図での行動だったのかもしれない、と感心してしまう。


「私は……ウィルが持つ呪いを恐れている」

 モニカはぽつりと溢すように、今の心境を吐き出す。


 それはサーシャが予想していた事だった。

 今日のことから、モニカの不調は何かを恐れている事に起因する、と。


 それさえ分かれば、記憶を辿り恐怖の対象を見つけるのは簡単だった。

 モニカが普段から抑えている感情を隠しきれなかったのはつい最近の事だ。


 魔王エステルとの邂逅、そしてウィルとの初対面、その帰り道のこと。

 彼女が感情を発露させたのは、最近ではそれだけだ。


 あの時モニカは、はっきりと「怖い」と言い放った。

 相手が魔王でも魔族でも、真正面から向かっていく彼女の口から「怖い」と。


 ウィルはあの呪いを「人族を根絶やしにする呪い」と言った。

 事実、あの呪いの影響を受けた際は、自分が死に向かう錯覚すら覚えた。


 ただ、それでモニカがこれほど怯えることには違和感を覚えた。

 言っては何だが、肝の据わり方は常軌を逸している女傑である。


 だからこそ今日まで、モニカが沈思しているのはエステルやウィルとの関係改善やエステルに待ち受ける未来を思案しているものだと思っていた。


「…………」

 モニカの感情をこれほど揺さぶる呪いの影響を、サーシャは少し考える。


 サーシャ自身が感じた呪いの効力は確かに絶大なものだ。

「人族を根絶やしにする」の形容に遜色はなく、短時間でも効果があるだろう。


 だが、モニカがそれだけでこれ程怯えるとは思えない。

 彼女なら向かってくる死にも真っ向から立ち向かいかねない。


 そう考えてから、呪いの効果範囲について考える。

(呪いの中心からの遠近差による効果の差……)


 嫌な気配を感じてから、身の毛がよだつ悪寒に切り替わり、迫りくる死の気配。

 呪いの強さは一様ではなく、呪い本体に近いほど強くなる。


 モニカはサーシャよりも前に立っていた。

 ならば、自分よりも強い影響を受けた可能性が高い。


 それが、モニカが恐怖するに至った原因。

 サーシャが感じたもの以上の何かを、モニカは受けてしまった。


 モニカが絡めたままの手に、サーシャはそっと手を乗せる。

 少し冷えた手は、触れてようやく分かるくらい小さく震えていた。


「お母さん。

 あの呪いに、何をされたの?」


 震えるモニカの手に少し力を込める。

 不安と恐怖に震える母を温め、元気づけるように。


 そして、サーシャは自分の中に熱いものを感じた。

 それは怒りだ。


 優しくて気丈な母をここまで怯えさせた呪いへの怒り。

 そんな母の状態に気付くことが出来なかった不甲斐ない自分への怒り。


「やっぱり、サーシャは違ったんだね」

 力なく呟くモニカも、サーシャが至った結論には気付いていたようだ。


 すでに覚悟を決めたように鋭い顔つきを見せるサーシャに、モニカはもう隠す必要はないと、あの時のことを語り始める。


「私が感じたのは、紛れもない死だった。

 何も見えない、何も聞こえない、体の感覚が何もかも消えていった」


 サーシャは息を呑む。

 その時点で、既にサーシャが受けた影響を超えていた。


 サーシャが感じたのは、自分の体が蝕まれていく不快感と逃げられない恐怖。

 これが続けば間違いなく死へと繋がると分かるものだった。


 だが、モニカの体験は違った。

 最初から抵抗する猶予もなく、モニカは死へと突き落とされている。


 心の準備どころか、何も分からないまま死に、それを知覚させられる。

 だが知覚して尚、自分の死の原因すら確認できない。


 おそらくはそれが延々と繰り返される

 たやすく人の心を壊すだろう。


 並外れた精神力でなんとか呪いの影響を逃れたモニカでも、負った心の傷は深く、そして同時に気付いたのだろう。

 ウィルがその気になれば、死そのものが容赦なく襲ってくる、と。


 それは何という恐怖だろうか。

 いや、恐怖というにはあまりにも生温いかもしれない。


 呪いによる死を逃れても、いや逃れてしまったからこそ、二度目の可能性が起こり得る恐怖にモニカは怯えている。


「それなのに私は、エステルを送っていこうとするサーシャを止められなかった。

 あの呪いがどれほど危険か、分かっていたのに……」


 そんな呪いを持つウィルの元へ向かおうとする(サーシャ)を止めることも、共に行くことも出来ずにただ見送ってしまった事への罪悪感と無力感に苛まれた。


 それを聞いたサーシャは、改めて呪いの危険性を理解した。

 そしてモニカが負った傷の深さも。


 危険な呪いに近付こうとした自分を止められなかったモニカを、サーシャは責めようとは思わない。あの場ではエステルを送っていく他の道はなかった。


「……でも、ウィルさんは悪い人じゃないと思うよ」

 会話をして、サーシャはウィルに対して嫌な気持ちも危険性も抱かなかった。


 モニカとエステルが戦った後もそうだったが、ウィルは終始穏やかで、感情的に物事を決めつけない理知的な性格をしていた。


 呪いの危険性はおそらく彼が一番理解しており、だからこそ人族を滅ぼし得る呪いの解呪に奔走している。


「分かってる。でも……」

 その事はモニカも理解しているが、理解したからこそ狂気を感じる。


「呪いを受けない筈のウィルが、あの呪いの効果を知っている。

 それは、誰かで試した可能性に繋がる……」


 モニカの推測に、サーシャは息を呑んだ。

 まるで考えもしなかったが、確かにその通りだ。


 呪いを受けないウィルが呪いの効果を知る方法。

 それは、その呪いが実際に作動することを見るしかない。


 つまりは――

「あの呪いで、誰かを……」


 断言はできない、とモニカは首を振る。

 その可能性があるだけで、確証は何も無い。


 しかし、その可能性が残る以上――

「ウィルがまた呪いを使わない保証はない」


 事実、エステルを助けるためにウィルは呪いを解放した。

 モニカたちの危険を顧みずに。


「彼にとっての優先順位も、何が彼の逆鱗に触れるかも分からない。

 迂闊に首を突っ込めば、あの呪いを受けることになるかもしれない」


 呪いを制御できるウィルの気持ち次第で、モニカたちは全滅する。

 だからこそモニカは、呪いだけではなくウィルも恐れている。


 語り終えたようにモニカは俯き、目を伏せる。

 サーシャに包まれた手の震えはまだ止まらない。


 思った以上に、ウィルという老人は危険かもしれない。

 その認識をサーシャも持つに至った。


 確かにウィルの人柄を決めるには、まだあまりにも交流が少ない。

 あの呪いを手にした経緯すらも明らかではないのだ。


(……でも、敵じゃないと思う)

 それはサーシャの直感にすぎない。


 ウィルが保護したエステル、エステルと接しているウィルを見ていて、彼に悪意があるようには見えなかった。


 ただ、攻撃とも言える呪いを受けたモニカではそれを明らかには出来ない。

 どう取り繕おうとも、恐怖と警戒が態度に出てしまう。


「じゃあ、私が見定めるよ」

「サーシャ?」


 震えるモニカの手をぎゅっと握り、キリッとした目つきでモニカを見る。

 モニカに出来ないなら自分がやる。


「私が、ウィルさんが危険かどうか確認する。

 それまでは絶対に、お母さんに近づけない!」


 ウィルが持つ加護の力はモニカの目的のためには魅力的だが、だからといって危険性を無視して協力は求められない。


 ウィルが本当に善良か、それとも悪意を隠し持った危険人物か。

 もし危険人物だとすれば、交流はそこで途切れさせればいい。


 今のところ好印象なだけに少し勿体ない気もするが、それでもモニカの気持ちを蔑ろには出来ない。


「まかせて、お母さん!」

 どん、と自分の胸を叩き、自信を見せつけるサーシャ。


「……無理はしないようにね」

 力なく微笑んだモニカは、少しだけ恐怖が和らいだようにも見えた。

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