恐怖の対象
森を出たサーシャとエステル。
森を脱してしまえば“念話”による交信が安定する。
『おじいちゃん、森を出たよ。どのあたりに――』
「あっ、ウィル様!」
“念話”で合流を試みるサーシャの横で、辺りを見回していたエステルのほうが先に、森から出て待機していたウィルを発見した。
『――居る? って聞こうと思ったけど、見つかったね』
『そのようだね』
決して肉眼で顔を確認できるような距離ではないが、エステルが断言して駆け出したのであれば間違いはないのだろう。
“念話”越しのウィルも駆け寄ってくるエステルの存在に気付いたようで、思わず笑みがこぼれてしまっているのが感じ取れた。
無事にウィルとの合流を果たしたエステルは隠しきれない幸せ顔のまま、サーシャにペコリと頭を下げる。
「サーシャちゃん。本当にありがとうございました」
「私からも礼を言うよ。本当にありがとう」
「ううん、無事に合流できて本当に良かったよ」
魔族であるエステルと、なにか隠し玉を持ってそうなウィルであれば魔物が生息する森を一人でも何とかやり過ごせるだろうが、一般人なら自殺行為になる。
森の実りを採取、魔物の狩りは当然、集団で行うものであり、たとえ冒険者であっても単独で森に入ることは避けるものである。
「エステル、二度目だよ。森で勝手に先へ行ってはいけないと言っただろう」
「ごめんなさい」
どうやら森で逸れたのは初めてではないらしく、少し語気を強めたウィルにエステルは小さくなって謝罪する。
たとえ魔物を一人でやり過ごせる力があったとしても、ウィルはエステルに危険なことをして欲しくないのだろう。
森の浅い場所ならともかく、エステルが逸れていたのは十分に危険な場所。
いつ魔物に遭遇してもおかしくはなかった。
「えっと、それでね……おじいちゃん」
その雰囲気の中で少し言いづらくはあるが、サーシャはウィルへ話しかける。
うん、と柔和な笑みを浮かべてサーシャへ顔を向けるウィルに、サーシャは今後の関係構築のための一歩を踏み出す。
「エステルちゃんをまた、森の中にある私たちの村に誘ってもいいかな?
もちろん、魔物除けの策は講じるよ」
モニカとエステルの対話、エステルの希望、サーシャの目的のためにも、エステルとよりよい関係を築くことが重要になる。
エステルの保護者であるウィルに、魔物が棲む森の中にある村へ訪問することの断りを入れておく必要がある。
「ウィル様、私からもお願いします」
サーシャの言葉に、エステルも乗りかかる。
ウィルは穏やかな表情のまま、なんだそんな事か、と小さく息をつく。
「そちらに不都合がないなら、どうかエステルのことをお願いするよ」
その言葉に、サーシャとエステルは同時に顔を合わせて笑い合う。
いくつか安全策を講じなければならないが、村を訪れる許しは出た。
とはいえ、エステルが村にいる間、ウィルを一人にするのも少し気が引ける。
森の外で隠れ家を用意して、手が必要な時は差し伸べなければ。
「おじいちゃん、住むところはあるの?」
「向こうにまだきれいな廃村があってね、そこを間借りしているよ」
ウィルが指差す方向にはサーシャも心当たりがある。
二十年ほど前に村人全員が離村した、小さな村があったはずだ。
「掃除とか終わってなかったら手伝うよ。
他にもできる事があったら言ってね」
元居たニウェ―ストの町近くからの距離を考えると、まだ間借りして間もないはずだ。廃村になって二十年の汚れはそう簡単に片付くまい。
エステルとウィルだけでは清潔な寝床を確保するにも時間がかかりそうだ。
ウィルが安全に過ごせる場所を確保しないことには、エステルが安心して村に来ることができない。
それにサーシャも、ウィルには聞いてみたい話がいくつかある。
そのきっかけ作りには良いだろう、と提案してみる。
するとウィルは少し訝しむような、どこか不思議そうな表情をした。
「……きみは、私が怖くないのかな?」
ウィルの言葉にサーシャは目を瞬かせるが、すぐに思い当たった。
彼が気にしているのは、彼が持っている死の気配を放つ呪いの存在だ。
エステルを守るためにウィルは一度、サーシャたちに死の気配を浴びせた。
至近距離であれば、人族では抗えない絶対的な死の呪いを。
距離があったことと、サーシャの鋭敏な感覚からの察知、モニカの俊敏な退避により大きな痛手を負うことはなかったが、心には大きな傷を負った。
今こうして近くで話せているのは、対面するに当たってウィルが呪いを完全に封じ込めているからに過ぎず、もしこの至近距離で開放されれば死は免れない。
そんな危険なものを持っているウィルに対して、やすやすと距離を詰めようとしていくるサーシャの態度が不思議でならないのだろう。
ウィルの懸念を、サーシャは当然のことだと思った。
「う~ん、おじいちゃんが持ってるモノは確かに怖いけど……」
事実として、サーシャは死の気配を放つ呪いの影響を今でも鮮明に思い出せる。
過去で一番強かった魔王すらも凌ぐほどの恐怖だった。
指先から伝わってくる冷たく痺れるような、痛みにも似た不快感。
それが全身に及び、体が少しずつ蝕まれていくような恐怖。
少しずつ自分が死へと向かっているような錯覚。
そこから逃げることもできないほどに圧倒された。
正直、二度と味わいたくない感覚であり、忘れたい記憶でもある。
ただ――
「おじい……ウィルさんは、あの呪いを何とかしようとしている人だから」
呪いへの恐怖を、ウィルにも重ねるのは違うと思った。
サーシャは少し気を引き締める。
今は、軽口で話すような時ではない、と。
老いなくなってからというもの、十代中頃の見た目に合わせた振る舞いが自然と出てしまうが、それでも三百年以上を生きた経験と人格がある。
サーシャの返答と変化に、ウィルは少し驚いたように目を開く。
エステルも思わず息を呑んだ。
「ウィルさんは、自分にしか出来ない事をしようとしてる。今までどれだけの時間が掛かったかは知らないけど、それはすごい事だって思ってる」
死の気配を放つ呪いがある以上、ウィルは人の近くには居られない。
誰かと共に時間を過ごすことが出来ない。
そんな孤独を強いられても、ウィルは解呪のために呪いと向き合い続けている。
それが自分にしか出来ないと知っているから。
「ウィルさんは加護があるからって言ってたけど、加護はあくまで手段の一つ。
それで誰かのために行動できるウィルさんを私は応援したいし、助けたい」
まっすぐにウィルを見つめるサーシャの目に恐怖も迷いはなかった。
サーシャが恐れている対象は呪いであって、ウィルではない。
「加護は……手段の一つ、か」
「お父さんの受け売りだけどね」
神の加護を授かっていた養父ルーウェンから教わった事。
加護は力としてではなく、手段として使うものだと。
神の加護の存在は古くから知られているが、そのどれもが常識の埒外にある。
その力に溺れてもおかしくないほどに。
しかし、加護を与え給うた神がそんな事を望まれるだろうか。
その加護で何かを成すべきではないか。
「神の加護は何かを成すための手段で、何を成すかが大切、だって」
それこそ、本気になれば暴虐の限りを尽くせる力を持っていた養父の加護。
そんな加護を持ったルーウェンが成そうとしたのは破壊などではなかった。
だからこそ、同じように加護を使っているウィルには敬意を向ける。
「良きお父上だね」
「えへへ、そうでしょ~」
緊張が解けたように目尻を緩めたウィルが放った感想には、気を引き締めていたサーシャもだらしなく頬が緩んでいく。
その緩みに気付いたのか、ハッとして両頬を勢いよく挟んで気合を入れ直す。
「だ、だからね、私はおじいちゃんの助けになりたいんだよ!」
呪いは怖いが、直向きに努力を続けるウィルには手を貸したい。
そうまっすぐに宣言するサーシャ。
「ありがとう、サーシャ。きみの気持ち、ありがたく受け取るよ」
「うん!」
嬉しそうに微笑むウィルに、満面の笑みで答えるサーシャ。
二人の間にもう壁はなく、それを見ていたエステルがプルプルと震える。
「ウィル様! 私もウィル様の助けになりたいです!」
二人の間に割って入り、自らの存在も大きく主張する。
「あぁ、ありがとう」
「サーシャちゃんと時と違う!」
いつも自分に向けてくれる笑みだが、先ほどサーシャに見せた笑顔とはどこか違って見えてしまう事に不満を隠しきれないエステルだった。




