サーシャの朝
サーシャの一元視点となります。
その日の朝、サーシャは土を耕す音で目を覚ます。
隣で寝ていたはずのモニカがいないことから、音の正体に気付いた。
「ふぁぁ~……」
寝ぼけ眼のままでも、サーシャはモニカの状態を把握できた。
硬くなった畑を耕すなら、“耕耘”の魔法を使うほうがよい。
魔法を使わず、あえて道具で耕しているという事は――
(またいろいろ考えちゃうのかな?)
今は何も考えたくなくて、畑を耕しているのだろう。
昨日のうちに汲んでおいた水で顔を洗い、“洗浄”した水を飲む。
朝ごはんには昨日採った果物と王都で買っておいたチーズを食べる。
果物の自然な甘味と酸味、チーズのねっとりとした濃厚な口当たりがサーシャの舌を喜ばせるが、チーズの在庫がだいぶ減ってきた事が寂しい。
果物や肉は森で、魚は川で採れるが、加工品はそうもいかない。
専門の生産者による加工でなければ、この味は引き出せない。
無くなったら町へ買い出しに行かなければ手に入らない。
(オリビアが来るときに買ってきてくれるといいけど……)
そんなことを考えながら、最後の一口を頬張る。
――ま、いっか
これはそこまで切迫した問題ではない。
今ある物を食べる、それだけでよい。
「さてと」
寝巻から外着に着替え、教会に行く。
神の像へと祈りを捧げてから、ルーウェンの墓参り。
昨日もした掃除をモニカは今朝もしたようで、墓石には土埃一つない。
(綺麗なお花……供えたいなぁ)
明るい養父の墓にしては、華やかさが足りない。
どこか近くの村で花でも栽培していないだろうか。
しかしモニカを一人残して村から遠く離れたくはない。
「もうちょっと待っててね」
もう少し落ち着いたら、前みたいに賑やかに飾り付けよう。
畑で作業中のモニカの邪魔をしないように、サーシャは森に入る。
食料と薪の確保、後は魔獣が寄ってこないように香草を焼いた灰を撒く。
背負った籠に野草やキノコ、果実を入れ、薪は蔦を切って一束にまとめる。
薪は乾燥するまで使いにくいので、早めに確保して保管する。
鬱蒼とした木々の隙間から漏れる光が上の方から射し込んでくる。
「そろそろお昼かな?」
モニカは畑を耕すのを終えただろうか。
(多分まだかな?)
普段なら黙って考え込むくらいだが、別の作業に打ち込むほど思い詰めているのなら、もう少し時間が掛かりそうだ。
村に戻れば案の定、畑に鍬を振り下ろすモニカの姿が見えた。
畑の一面がもう少しで終わりそうだ。
さすがに一面が終われば、そこで休憩に入るだろう。
サーシャは収穫物を一度持ち帰り、疲れたモニカ用に果物を用意する。
(さすがに疲れてるだろうから、ちょっと酸っぱいの混ぜとこ)
木製の皿に入れて持って行って、作業が終わったら一緒に食べよう。
モニカがよく椅子代わりにしている倒木に座って、作業が終わるのを待つ。
一振り毎にまだかまだか、と期待を込める。
――……あれ?
ふと、何か違うものを感じた。
モニカからではなく、森の方から。
先ほどまでサーシャが入っていた方向とは逆の方から。
(闇の魔力……でも、これって)
果物を持った皿を置き、静かに立ち上がる。
闇の魔力なら魔物や魔獣も持っている。
森から村まで漂ってくることも日常ではあるが――
(この綺麗な闇の魔力……もしかして)
覚えのある魔力に、サーシャの足は自然と森の方へと向いた。
(あ、そうだ)
モニカへの伝言を地面に書いておく。
サーシャが戻るより先に作業が終わったなら、先に食べて疲れを癒してほしい。
そして今度こそ魔力を感じる森の方へと足早に進む。
魔力に敏感だからこそ気付けるくらいにささやかな魔力。
魔法を使った残滓というよりは、ただ漏れてしまっているような不安定さ。
それでも、この柔らかくて優しい闇の魔力を他には知らない。
ニウェーストの町で感じた、大切な人のために練られた綺麗な闇の魔力。
一般的には魔族や魔物を彷彿とさせる、暗い印象の闇の魔力。
その固定観念と矛盾する、魔王エステルの闇の魔力。
王城で初めて遭遇した時は攻撃的で典型的な闇の魔力だった。
いくつか乱れがあるものの、かつての魔王と同じく禍々しい魔力。
次に再会した時は印象が真逆になっていた。
攻撃性が乏しく、代わりに人を想う気持ちがふんだんに込められていた。
こんなに綺麗で純粋な魔力があるんだ、どうすればこんな魔力になるんだ、と。
相手が魔王だと知った後でも興味が湧き、知りたい、語らいたいと思った。
モニカの心の準備がまだできていないようだったので我慢していたが、向こうから近くに来ているのなら、無視するわけにもいかない。
――でもなんか……
魔力に近づくほどに感じる、僅かな乱れ。
王城であった時のような邪なものではなく、これは――
(不安、焦り、悲しみ……?)
魔力に乗った感情が伝わってくる。
意図して乗せたものではなく、自然と乗ってしまったもの。
だからこそ、その感情はサーシャに伝播し、不安を増幅させる。
エステル自身か、あるいはウィルに何が良くないことが起きたのか。
(お母さんを連れてきたほうが良かったも……)
自分のものではないと分かっていても魔力に乗った感情に揺さぶられる。
恐怖ではなく、心のざわつきがサーシャの歩調を重くする。
――でも……ッ
この先でエステルが困っているなら、早く助けたいと思う。
敵であるはずの人族を想い、ウィルという老人を守るために震えながらモニカに立ち向かったあの優しい少女を放ってはいられない。
一歩踏み出すごとに強くなる不安。
それでも退くことはなく、前に進み続ける。
「ぅっ……ぇぐ……ぅ」
向かう先から、小さな小さな嗚咽が聞こえた。
それが聞こえた瞬間、サーシャの足は加速した。
不安をかなぐり捨てて、少しでも早く駆け付ける。
小さな嗚咽が聞こえた時点で、距離がそう開いていない事は明白。
サーシャは声の主をすぐに見つけられた。
腰高まである草に隠れるように、背を木に預けて座り込むエステル。
泣き顔を少し俯かせ、縋るように首から掛けた何かを握り締めている。
「エステルちゃん?」
サーシャの呼び掛けに、エステルはビクッと震えてからゆっくり顔を上げた。
泣き腫らした顔には想像通りの絶望した表情が浮かんでいる。
ウィルと共にあの家から離れたエステルがなぜ一人で泣いているのか。
嫌な想像がサーシャの脳裏をよぎる。
「おじいちゃんはどうしたの?」
座り込んだエステルに目線を合わせるようにしゃがみ、サーシャは状況を問う。
落ち着かせるようにエステルの手を優しく掴む。
「ぁ……、ウィル……さま……」
「うん、ウィルさん」
少しずつ呼吸を整えようとするエステル。
これ以上は急かさず、次の言葉を待つ。
最悪、すぐにでもモニカを呼びに戻ることも考える。
すこし分が悪いが、“空間転移”で村まで移動することも視野に入れる。
「ウィル様と……」
「うん」
「逸れましたぁ……」
「…………」
目を閉じ、サーシャは天を仰ぐ。
そんな事かぁ、と言いたい気持ちをぐっと抑え、しばし口を固く結んだ。




