身勝手な企て
「ほらほら早くパトロールに行くわよ加江須♪」
がっしりとまるでコアラの様に腕を組んで一緒に歩こうとする仁乃。
だが放課後で部活動もなく直帰する生徒もそれなりに居るので必然的に二人は他の生徒から見てこの二人は目立つ。しかも仁乃はハッキリ言って美少女の部類に入る。実際には男子にはその端整な顔立ちと高校生離れしたプロモーションでかなり人気もある。そんな美少女を一人の男子が独占しているとなれば嫉妬の視線が加江須へと集中してしまうのはある種自然な現象だろう。
「あれって2組の伊藤さんだよな。隣に居る男って誰?」
「なんかめちゃくちゃ抱き着かれてるけど……くそ、アイツ羨ましいじゃねぇかぁ…!」
「マジかよ。伊藤さん…狙ってたのになぁ……」
強化を施されている聴覚はバッチリと他の男子からのやっかみの言葉も拾っており少し居心地が悪いのだが、かと言ってここまで甘えて来る恋人に離れて来れなんて言えずに仕方なしに周囲からの敵意のむき出しの視線を独りで受け止めるのだった。
だが加江須を見つめる瞳は男子達のような嫉妬の炎を灯したものばかりではない。
「ありゃりゃ…これは随分と見せつけてくれますなぁ~」
嫉妬に塗れた男子の他には興味津々と言った感じで二人のことを見つめている者もいる。
この紬愛理もまたその中の一人であった。特に彼女の場合は加江須と交流もあり仁乃とは親友でもあるのだ。
「昼休みが終わってクラスに戻って来てから仁乃の様子があからさまに急変していた時は驚いたけど…」
思い出すのは午後の授業が始まる直前に戻って来た仁乃の上機嫌な姿。
口元は緩んでおり締まりのない顔をしていた。そのまま5限目の授業中は完全に上の空で終始口元はニコニコとしていた。
間違いなく加江須君と何かしらの進展があった事が丸わかりだったので授業終わりにもちろん愛理は質問を投げたのだ。
『ねえ仁乃、もしかして何か加江須君と進展でもあった?』
『あ、分かっちゃう? 実はさ、彼と正式に付き合う事になったのよ♪』
『マジ? 良かったじゃん仁乃。これからは堂々とイチャイチャできるんじゃないのぉ?』
愛理のこの発言は半分は純粋に二人のゴールに祝福、そしてもう半分は完全に冷やかしの気持ちであった。だがここで友人の返して来た反応は予想外のものであった。
『そうよねぇ。今までと違ってもう恋人なんだから遠慮しなくてもいいのよねぇ。一杯甘えちゃおうっと♪』
『んん?』
自分の冷やかしに対して返って来た反応は普段の彼女からは想像もできないセリフであった。
それどころか仁乃は自分が訊いてもいない加江須との昼休みのラブラブっぷりを自分へと聞かせて来たのだ。
ナニコレ? あの仁乃が自分から惚気話をしてきてるんですけど? えーっと…これ誰だ?
もはや今の仁乃にはこれまでのような愛理のおちょくりは一切通用しなくなっていた。恋は盲目とは言うがここまで露骨に変化をもたらすのは愛理にとっても予想外であった。
『それでねそれでね加江須ったらね♪』
『う、うん。あともう少しボリューム下げた方がいいよ。クラスのみんなに聞かれてるから』
思春期である高校生にとっては他人の恋愛話は中々に関心を寄せる話題なのでクラスの連中はこっそりと聞き耳を立てている。しかしそんなことなんてお構いなしに相変わらず砂糖の吐きそうな惚気話を続行している親友。
「いやー…恋は人を変えるもんだなぁ…」
クラス内での出来事を思い返してしみじみとする愛理。
学園で上位の人気を誇る女子生徒を落としたと言う事で周囲の男子の恨みがましい視線にさらされる加江須に同情しつつも心の中で無事にゴールインした二人の友人を祝福しておく。
「でも恋人かぁ…ちょっと羨ましいかも」
今までは親友をからかっていただけであったがこうしてその親友の心底嬉しそうに笑顔を浮かべている姿を見ていると自分もあんな風に好きな人を見つけたいと思ってしまう。とは言え今のところは意識している男子も居ないのでそんな出会いは当分ないのだろうが。
まあ何にせよ無事にあの二人が結ばれた事はめでたい事だ。そう思いながら愛理の口元には小さな笑みが浮かぶのだった。
だがそんな愛理とは真逆に加江須と仁乃の関係を祝福できない人物が彼女の更に背後に居た。
「何で…何であんなベッタリとしている訳? あの女…いつの間に私のカエちゃんとそこまで進展していたわけ!?」
完全な自業自得で見限られたにもかかわらず幸せそうにしている仁乃を背後から血走った目で見つめていたのは加江須の幼馴染である愛野黄泉。
今までよりも少し、いやかなり距離感が縮んでいる二人を見て黄泉の精神が激しく揺さぶられる。
あんなにも周りの目をはばからずカエちゃんと腕を組んでいる。異性同士であれってどう考えても友人なんて枠組みじゃないわよね? そんな…もうあの二人はそこまで関係が出来上がっているわけ!?
自分の大事な人が視線の先では照れ臭そうにあのツインテールの泥棒猫に柔らかい表情を向けている。
「うぷっ…」
自分のもっとも大事な幼馴染を横取りされたと考えると喉元から酸っぱいモノがせり上がってくる。思わず吐き気を催してしまう黄泉であるが必死になり嘔吐しそうな精神を安定させようと自身に言い聞かせる。
大丈夫大丈夫大丈夫。あの二人が恋人になってもまだ大丈夫。所詮はあの泥棒猫はカエちゃんと知り合ってからそんなに日数は経っていない。きっと一時の気の迷いで仕方なくあの馬鹿女と恋人関係を構築しているだけ。長い時間を共に過ごした幼馴染である私が負ける訳がない。
私の目的はあの高宮に身も心も穢されてしまい弱り切ったところでカエちゃんに助けを求める事。今は口をきいてもらえないけどそこまで私が貶められたと知れば絶対に私に手を伸ばしてくれる。そうなればそこから言葉巧みにあの馬鹿ツインテールに悪印象を与えて自分に好意が移るように誘導すればいい。
自分の計画に変更はない。だが予想外なのはあの泥棒猫がここまで早い段階でカエちゃんにすり寄って交際をしていたと言う点だ。あまり自分の企てに時間を使い続ければもしかしたらカエちゃんの心が完全にあの女に囚われるかもしれない。
黄泉の頭の中では計画を本来よりも短縮して一刻も早く加江須へと助けを求めるシチュエーションへともっていこうと画策をする。
そしてそこへ不幸にもこの少年が現れてしまったのだ。
「だ、大丈夫かい愛野さん! かなり顔色が悪いよ」
聴こえて来た声に反応して振り返ればそこには自分の木偶として採用した高宮真が立っていた。
「…真君じゃん。どうしたの?」
「僕も今から下校しようとしていたら愛野さんの姿が偶然見えたから……それよりも本当に愛野さん大丈夫? 何だかかなり具合が悪そうだよ? そう言えばさっきも体調が悪くなったとか言っていたけど…」
自分の大好きな人が苦しそうにしている姿を見てまるで自分のことのように不安そうな顔をする真だがその心遣いは黄泉の心には何も響かない。
誰もお前なんかに心配して欲しくない。私を我が身の事の様に心配してくれる男性はカエちゃんだけでいいんだ。
彼女の心にはわざわざ身を案じてくれている彼に一ミリの感謝の気持ちは存在しない。むしろ使い捨て予定の玩具に過剰に懐かれても鬱陶しいだけだ。
だがこの瞬間に黄泉の中に最低最悪のアイディアが浮かんでしまった。
「ねえ真君。さっきは断ったけどやっぱり今日はあなたの家に行ってもいい?」
「え、でもそれより保健室にでも行った方が…」
真としては体調の悪そうな黄泉を介抱しようと考えていたのだが彼女は真の腕をギュっと掴むと潤んだ瞳を向けてこう言って来た。
「私ね…実は今悩み事があるの。そのせいでとても胸が苦しくて…体調が悪いのも精神的な不安からなんだ。だから真君と二人きりで話したいんだ…」
「愛野さん…」
「黄泉って呼んで。真君…私の悩み聞いてくれる?」
そう言いながら消え入りそうな声で名前で呼ぶように訴える彼女を見て真は思わず頷いてしまう。
「何か悩んでいるならいくらでも話を聞くよ。じゃあ…僕の家に行く?」
「うん…ありがとう」
確かに今の黄泉は精神的に参っている。だがその理由を馬鹿正直に彼へと話す気はない。
この時に黄泉の中には鬼畜とも言える考えが張り巡らされていた。それはこのまま適当な理由を付けて彼の家へと行きそのまま彼に身を捧げようと考えているのだ。
本当はこんなヤツに抱かれるなんて御免だけどカエちゃんから同情を買う為にはそれだけの事をしないと……そう、致し方ないわ。ああ…初めてはカエちゃんに捧げたかったけど我慢しましょう。
自分の本当に欲しい者を手に入れる為には純潔を散らす事も覚悟しようではないか。いやむしろそんな大事な物を奪われたと思えば間違いなくあの幼馴染は自分を救ってくれるはずだ。
「それじゃあ真君…あなたの家に行ってもいい?」
熱を帯びた黄泉の顔を見て彼は目に分る程に動揺しつつも頷いた。
そして先程の加江須と仁乃と同じように腕を組んで学校を出る二人。
だが悲しいかな、少年の方は想い人と心が通じ合っていると思っているのだろうが少女の方は少年の心など見ても居ない。ただ自分の目的を果たす為の小道具としてしか認識されていなかった。
だが愛野黄泉は思い知る。人の想いを踏みにじったこの作戦は最初から成功などしなかった事を。そんな非道を平然と実行する者にはそれ相応の報いが訪れる事を……。




