路傍の石
「ほら口を開けなさい加江須。あーんしなさいよ」
「あ、ありがとう。でも自分で食べれるからさ…」
「ダーメ、私が食べさせたいの。はい…」
心を蝕んでいた胸の内に潜んでいた悩みを仁乃へと吐露して胸がすいて楽になった加江須、そのまま彼は彼女へと告白をかまして無事に正式なカップルが成立した。そして今は彼女の作って来てくれた手作り弁当を恋人となった仁乃に食べさせてもらっていた。
「どう美味しい?」
「ああ美味いよ。ただ…そのな仁乃、少し距離が近くないか?」
二人は屋上の中心部で座って昼食をとっているのだが仁乃の距離がかなり近いのだ。何しろ自分の体を密着させてベタベタと甘えてきている。今までの彼女を考えればあまりにも変化が著しすぎて少し戸惑いを憶えてしまうのも無理はないだろう。現にこれまでは愛理にからかわれたりしていたら猫が威嚇するかのように否定的だったはずだ。それがこうまで極端に変わるとは恋い慕う女の子とはこうまで化けるものなのだろか?
だけどそれ以上にこうまで密着されるとその…色々と当たってしまって弁当の味なんて分からねぇよ……。
まるで家猫の様に身体を遠慮なしにグリグリとくっ付けて来る恋人に気恥ずかしく感じていると仁乃はニヤリと笑う。
「あー、何だか顔が赤いわよ? もしかして私に引っ付かれて照れてるのかしら?」
そう言いながらさらに身を寄せて来る仁乃。
彼女の豊満な胸が加江須の腕に押し付けられマシュマロの様に歪む。そうなれば加江須は頬を更に紅く染めるのでその反応を見て彼女は楽しそうに笑う。どう考えてもわざと押し付けている事が明白、完全に確信犯だろう。
「お、お前少しキャラが変わり過ぎじゃないか? その…俺だって男なんだから少しは節度を持って…」
「私に抱き着かれるのはイヤ?」
悲し気な顔で潤んだ瞳を向けながら甘えた声色でそう言われて否定などできる訳もなかった。
「イヤじゃありません。むしろ嬉しいです」
「じゃあいいじゃない。もっとぎゅーっとしてあげる♪」
まるで別人の様に豹変した仁乃に少し振り回されつつもそのまま屋上で昼食を終えた二人。
まだ午後の授業までは時間的に余裕があり二人はそのまま屋上でまったりと残りの休み時間を過ごす。
「ねえ加江須、もっとギュッと抱き寄せてよ」
「ああ、こ、こうか?」
完全にもたれかかっている彼女にそう言われ肩を回して抱き寄せると嬉しそうに目を細める仁乃。
降り注ぐ日を浴びながら互いに並んで体を預け合う二人。そんな今が心地よくて幸福だった。
「かーえーすー」
「ん、どした?」
「ふふ、呼んだだけ♪」
自分の隣に居るこの少女は本当にあの伊藤仁乃なのだろうか? 時々小言をぶつけ、不満があれば自分の頬を万力の様な力で引っ張って来た娘と同一人物なのだろうか?
未だに急激な変化に当惑気味な加江須とは違い仁乃は自分の性格が変化した事に疑問は微塵も感じてはいなかった。
どちらかと言えばもう好き同士と確定しているので今までの様な照れ隠しなどで無駄に気持ちを我慢する必要がないと分かり解放的になっていると言った方がいいだろう。それに何よりこうして大好きな人へ甘えるのはとても心地が良くて仕方が無いのだ。
そうして日向の下でしばしまったりとしていた二人だがもう間もなく午後の授業が開始される。
「さてそろそろ教室に戻るか。ほら行くぞ仁乃」
「ん~…」
いつの間にか自分に寄り掛かっていた彼女はうたた寝をしていたようで少し眠そうな呻き声を漏らしながら目元を擦る。
まるで仔猫の様な愛らしい仕草に秘かに胸を打ち抜かれてしまう加江須。
「ほら起きた起きた。早くクラスに行くぞ」
「分かってるわよ。でもその前に~」
手を借りながら立ち上がる仁乃だが屋上を出る前に彼女は正面から加江須へと抱き着きハグをして来た。
「午後の授業の為のエネルギー充電~♪」
「………」
やばい…俺の恋人ちょっと可愛すぎやしないか……?
こうして目一杯の力でハグをして満足したのか彼女はゆっくりと自分から体を離すと最後にこう言って来た。
「それじゃあまた放課後に一緒にパトロールよ。校門前で待っているから」
◆◆◆
それからの時間はあっという間に経過して放課後となり校門前へと急ぐ加江須。午前中とは違い午後の授業はとても長く感じて仕方が無かった。と言うのも早く仁乃と顔を合わせたくて授業内容などまるで耳に入ってこなかったからだ。
教室を出て廊下を注意されない程度の速度で早歩きしているとある人物を目撃する。
「じゃあ今日はあなたの家に遊びに行ってもいいかな真君?」
「うん、女の子が楽しめそうなものはないけど……」
「うふ、真君と居ると楽しいからいーの♪」
それは幼馴染である愛野黄泉と昨日に見た彼女と一緒に街中を歩いていた少年であった。どうやらあの男子生徒は彼女のクラスメイトだったみたいだ。
そのまま通り過ぎようとする加江須であるが昨日とは違い今回は向こう側もこちらに気付いたようで、黄泉は声のボリュームを僅かに上げてその真とやらと楽し気に話す。どう考えても自分にも聴こえるようにわざとだろう。
だが加江須はまるで気にも留めずに彼女の横を何食わぬ顔で通り過ぎて行った。
「なっ…んぐっ…!?」
まさか完全に無反応だとは思わず逆に黄泉の方が動揺して表情を引き攣らせてしまう。
確かに今までなら黄泉の姿を視界に入れるだけで無意識に過去のトラウマを掘り返されていたのだろう。だがそんなウジウジとした自分は仁乃のお陰で完全に彼の精神から消えていた。もう今の彼にとって黄泉が何をしようが完全なる意識の外であった。
まさかのどスルーに思わず悔し気に下唇を噛みしめる事しかできない黄泉。
今まで満面の笑みを浮かべていた黄泉が急に渋い顔をした事を不思議に思い心配して声を掛ける真。
「どうかしたの愛野さん?」
「うるっさい! 余計な茶々入れるな!」
「え……?」
心配してあげたはずがむしろより一層の怒りを買ってしまい真は混乱してしまう。
思わず本音が飛び出てしまった事をしまったと思いつつも黄泉はすぐに猫かぶりフォローを入れる。
「ご、ごめんね真君。何でもないから気にしないで!」
「う…うん……」
どうにか目の前の勘違い男を誤魔化す事には成功したが黄泉の心は決して晴れなかった。
今日のカエちゃん何だかおかしかった。いつもは怒りや嫌悪感こそ向けられたけどそれでもまだ私を意識はしてくれたのに……。
今までは煩わしそうな反応しかしてくれなかったがそれでもまだ自分を見てはくれていた。だが今の彼は怒りも憤りも何もない。道端に転がっている無数の石ころ、その中にダイヤが転がっていれば人は注目するだろう。しかし周りの石には見向きもせず意識にすら残らない。
仮にも幼馴染の私でも彼にはもう路傍の石としか思っていない?
「………ッ!?」
そこまで思考がいくと黄泉は思わず吐き気を催してしまう。
そんな馬鹿な事あってたまるか。私とカエちゃんは昨日今日の付き合いじゃない。どれだけ嫌われてもいつかは元の関係に戻れるはずだ。
「……ごめん真君。何だか急に体調が悪くなったから今日の予定は無しでいい?」
「それはいいけど…でも大丈夫? 本当に顔色悪そうだけど」
不安げに自分を見つめる高宮をおざなりに対応して玄関へと向かう黄泉。
今日はこのまま家に帰ろう。下手にやせ我慢して高宮に勘付かれたら計画にも支障が出るし……。
この期に及んでも自分の身を案じてくれる彼を木偶としか見ていない黄泉。ここまで堕ちた彼女にはもう加江須との修正が本当に困難な道のりである事に気付けない。
だが玄関を出て外に出ると彼女の思考は停止してしまう。
「遅いわよ加江須。ほら早く行く!」
「ちょっ、他の人にも見られるからあまりくっつくのは…!」
「あははヘタレね~。別にどう噂されてもいいじゃない。もう本物のカップルなんだから」
呆然とする彼女の瞳に映り込む光景、それは大好きな人が自分の憎き女と腕を組んで歩いている光景であった。




